「血界の眷属です!」

そう告げられた無線の声に、私と警部補は目を合わせた。私は慌てて車から降り、車を回り込んで助手席のドアを開けて身体を車内に滑り込ませる。 そうすれば素早く運転席に移っていた警部補がサイレンを鳴らすボタンを押してからアクセルを踏んだ。 急発進した車に、私の身体は構えていても後ろに引っ張られ、全身を座席に叩きつけることになった。
私が運転していたのではもっと時間がかかっているであろう道のりを警部補はかっ飛ばしていく。 パトカーがサイレンを鳴らしながら走っているのだから通常車両は避ける必要があるのだが、このHLではそんな常識はない。 ということで、何度かぶつかりそうになる危うい場面もあったが、警部補のテクニックがすごかったおかげで”危うく”で済んだ。 精神的に疲れてはいるものの、これからのことを考えると身体に緊張が走る。 警部補もそれは同じようで、車内の空気は張り詰めていた。
ほどなくして現場に到着すると、すでに何台かの警察車両がやってきていて、円を描くようにして止まっている。
その中央に血界の眷属が居るのだと今までの経験からも察しがつく。開いているスペースに車を滑り込ませるようにして警部補は駐車して、揃って車を降りた。 ポリスーツ隊が応戦しようとしているものの、時間を稼ぐことしか出来ないのはわかりきっている。
私たちに出来ることは、住民達に被害が及ばないようにするということと、出来ることなら血界の眷属の力を削ぐということだ。 ホルスターに突っ込んである銃を取り出すが、この武器は相手を選ぶ。そして今回の相手には残念なことに効果が無い。

! お前は住民の避難を手伝え!」

血界の眷属の力を持ってすればここ――いくつかの店が立ち並ぶ比較的人通りの多い場所では被害が甚大なものになる。 まだ全ての人の避難は終わっていないだろう。
上司であるロウ警部補の指示に私は二つ返事で答えると同時に駆け出した。ここに居てももともと自分が役に立つとは思えない。 警部補のように的確な指示を出すことも出来なければ、この手に持っている銃が役に立つとは思えない。
近くに居た警官に状況について確認して、まだ見回りができていない建物に飛び込んだ。
建物内部に入り込んでここがスーパーであることを理解した。中は惨憺たる状況で商品ごと棚は倒れてしまい、窓が割れてガラスが散らばっていた。 床には血溜まりや、ぽつぽつと血痕が残っている。それらを眺めて自然と眉間に皺が寄るのを感じながら奥へと足を踏み入れる。 足を踏み出すたび、ざりざりと靴裏と床の間でガラスが擦れる音がする。

「誰かいませんかー!」

一階建ての建物ということもあり、ほとんどの人たちは自力で脱出することが出来たようなので軽く店内を見回しながら小走りで駆けていると小さく泣き声のようなものが聞こえた。

「大丈夫ですか?!」

倒れた棚の影に隠れるようにして女の子が一人とその子の母親と思われる女性が倒れこんでいた。
慌てて駆け寄ると女の子が涙に濡れた顔を上げた。拳銃を仕舞い、女の子の背中を撫でながら倒れている女性へと話しかければ、安心したように表情を緩める。

「ちょっと待ってくださいね!」

どうやら泣き止んでくれた女の子を下がらせ、女性を改めて見てみれば足が倒れた棚の下敷きになっていた。
棚を見てみればまだ商品がところどころに入っている。棚自体の重量にあわせて商品の重さもあるということだ。 金属製の棚は、見ただけでも重量があることを伺わせた。だけどそんなことを言っている場合ではない。 棚の隙間に両手を突っ込み、全身の力を込める。

「くぅっ…!!」

ざり、と足元のガラスが音をたてるだけで棚はびくともしなかった。
やはり自分一人ではこの棚を動かすことは難しいようだ。

「ママ大丈夫?」
「うん、もうちょっと待ってね」

上着を軽く引っ張られたので下を見れば女の子が泣きそうな顔でこちらを見上げていた。 それに出来るだけ笑顔を浮かべながら答えて、私は来た道を辿って出入り口へと走った。

「誰か! 手を貸してください!」

声を上げれば何人かが応答してくれた。それを確認しながらも視界に映った光景に私の意識は一瞬持っていかれた。
血界の眷属と応戦している人が炎を出している。拳を繰り出している。そして空中で車両が氷付けにされている。 バチバチと爆ぜるものも見えた。このHLでも見慣れない光景は、強く私の瞼に焼きついた。
.
.
.
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「終わりましたか?」
「あぁ。......大丈夫か」
「え? あ、大丈夫です」

頬にできた傷を気遣われているのだと視線と声音でわかったので頷いた。それから視線を受けた右頬に触れてみれば、手に少し血がついていた。 棚を持ち上げるときに四人居るといってもまだ不安だったので、全身を使って持ち上げたのだ。身体で棚を支えたときに切ったらしい。 まるで砂糖をまぶしたドーナツのように、棚にはガラスの破片が巻き散らかされていた。
その際に感じた痛みは気のせいではなかったらしい。ついでに両手を見てみれば細かい切り傷がたくさんついていた。このぶんではガラスが皮膚の中に入り込んでしまっているかもしれない。

「結構出てるじゃねぇか」

「ハンカチか何か持ってないのか」と言われたのでお尻のポケットに入れてあったものを取り出す。
そうすると警部補がおもむろに手を伸ばしてそれを持っていった。そしてハンカチは警部補の手によって私の頬に当てられることになった。

「...あぁー、血がついたら取れないじゃないですかぁ」
「買ってやる」

そういう問題でもないのだけど...とは思いつつも心配してくれているからこその行動なので私は口を噤んでされるがままになった。 だけど何だか照れるというか恥ずかしい。面倒見がいいとは思うが警部補はスキンシップが多いほうではないのだ。 だからその手ずから労わられると落ち着かない。

「っていうか、こういうときは警部補のハンカチで拭いてくださいよ」
「お前...俺がハンカチ持ち歩いてるような男に見えるか?」

照れを隠すための可愛くない発言を警部補は対して気にもしていないらしい。
頬に未だ当てられているハンカチの感触にどうにもむずがゆさを覚えていると、何か視線のようなものを感じた。
反射的に視線がそれを辿れば、こちらを見ている男が居た。
一瞬誰だかわからなかったが、何か引っ掛かりを覚える。
向こうもそれは同じだったようで、一瞬訝しげな表情を浮かべてからお互いに相手が誰なのかわかった。 思わず呼吸をするのを忘れる。

「オラよ」

署に戻ったら消毒しとけ。そう言って私の手の中にハンカチが捻じ込まれた。それによって私の視線は警部補へと戻ることになった。 警部補がこの惨状を眺めながらぽつりと呟く。

「ライブラだ」

――ライブラ、それは私が会いたいと思っていた秘密結社の名前だ。
こちらを見ろと命令してくる強い視線に抗えず、私は警部補から視線を反らし、再度そちらに目をやって確信した。
昨日も挨拶をした隣人――スターフェイズさんで間違いない。
まさかこんなにも近くにライブラが居たなんて...。驚きと戸惑いでリアクションを取ることが出来ずに居る私と違い、あちらはすぐに現状を理解したようだった。 初めて挨拶を交わしたときの別れ際と同じように、小さな笑みを浮かべながら軽く手を振られた。
隣で警部補が面白くなさそうに鼻を鳴らした。






(20150920)