電話を済ませてからお邪魔させてもらう、と言ったスターフェイズさんに、私は鍵を開けておくから入ってきてくれと返した。 そうして鍵を開けてパンプスを脱ぎ、いつもはそのままなのを端のほうに並べながら、そういえばあの時と今が立場が逆になったことに気づいた。 あのときは私がお邪魔したが、今回は私がスターフェイズさんを招いている。
何だか不思議な感じだ。この間まで全然知らない人だったのに。思っていた以上の速度で距離が近づいている。

まずは楽な部屋着に着替えようかと思ったが、スターフェイズさんがやってくるのでやめておいた。
とりあえずスーツの上着だけを脱いで、洗面所で手洗いうがいを済ませてからキッチンへと向かう。
昨日の夜に作って鍋ごと冷蔵庫に入れておいた味噌汁を取り出し、火にかけて温める。 蓋を開けて量を確認すれば、二人分は余裕にあった。お玉を入れてかき混ぜると豆腐とわかめ、ねぎが円を描く。 本当はもっと具を入れたかったのだけど生憎冷蔵庫にはあまり食材が無かったので、これで妥協した。
それから、お寿司を食べるならお吸い物のほうがよかったかなぁ、とは考えたものの今から用意していても時間がかかるのでスターフェイズさんには妥協してもらうしかない。 心当たりが無いが、もしかしたらあるかもしれないなんてわけのわからない期待を持って戸棚を開けて湯飲みを探してみるも、やはり無かった。 まあ、当然の結果と言える。 しょうがないのでスターフェイズさんのぶんのカップを取り出す。
自分のカップも用意して袋に入っている簡易緑茶のパックを取り出したが、お客さんに出すのにそれもどうかと思い、 急須とお茶っぱを戸棚の中から漁った。
自分では買うこともなかったが、母が持たさせてくれたこれが役に立った。
流しに置きっぱなしにしていた食器類を洗っていたところで、スターフェイズさんがやって来た。 ちらりと確認した姿は、私と同じように上着を脱いだものだった。

「お言葉に甘えて勝手にお邪魔させてもらったよ」
「あ、どうぞどうぞ」

ちょうど食器も洗い終わったところだったので、濡れた手を拭くと「30分ほどで着くらしい」と告げられる。
思っていたよりも早いけど、空腹な身としてはありがたい。「早いですね」と答えれば「客が少ないらしい」と返って来たのでなるほどと呟く。

「あ、そこの椅子座ってくださいね」
「何か手伝うことは?」
「ぅわ!!」

てっきり後ろに居ると思って言葉を投げた人がいつの間にか隣に居たことに驚いた。耳元で聞こえた声に驚いて飛び上がってしまった。 それにスターフェイズさんは喉のところでククっ、と声を上げて笑う。

「びっくりした...」
「君といると飽きないなあ」
「...私は心臓が持ちません」
「人生には少しのスパイスも必要なんていうじゃないか。そう考えると僕と居るのはいいことじゃないかな」
「ここに住んでるのでスパイスについては間に合ってます」

ここというのはもちろんHLのことだ。 毎日のように何かしらの事件やおかしな現象が起きたりするのだから、この街は驚きで溢れている。望んでいようがいまいが、この街に居る限り強制的に人生にスパイスを与えられることになるのだ。
殺風景な防音対策が行われている部屋の中は当然とも言うべきだが、音があまりしない。一人でいるときでも時々音が懐かしくなることがあるのだけど、今は余計に何か音が欲しかった。 手軽に、そして不自然ではなく音を発するテレビを点けるために私は足早に奥へと足を進めた。

「片付いているというよりも、物が無いという感じだ」
「引越しをするときにいろいろ処分したんです」

引越しを機に、デザインが気に入らない家具やどこか壊れている家具などについては人に譲ったり処分したりしたのだ。 おかげで私の部屋はさっぱりしたことになってしまった。この部屋を見ただけでは女が住んでいるとは思わないかもしれない。
部屋の中を彷徨っていた視線が、今まさに電源をつけたテレビに向いたのを見て私は誤魔化し笑いを浮かべた。 テレビ台についても、処分をしたものの一つだ。なので今現在、テレビはフローリングの上にそのまま置いている。

「あ、テレビ台も扉部分が割れちゃったんで新しいのを買おうと思ってるんですけど...」

時間が無くて、へへへ。
笑って誤魔化すも、ごまかしきれていない気がする。私の説明にスターフェイズさんは少しばかり目を見開いた。

「何だって割れちゃったんだい」
「えーと、」

それについてはあまり話すのは気が進まない。今更になって自分から話題を振ってしまったことを後悔した。 逃がしてくれそうに無い視線からそれでも逃げるように視線を反らしたところで、ちょうどいいタイミングでインターフォンが鳴った。

「あ、来ましたねお寿司!!」
「そのようだ」

走って玄関まで行き、お寿司を受け取ると後からやって来たスターフェイズさんがスマートに支払いを済ませてくれた。 もう一度お礼を言ってから、手の中のお寿司が斜めにならないように慎重に机まで運んだ。
もうお腹が減ったという感覚は当に過ぎてしまったけれど、久々のお寿司に私の気持ちは逸った。

「一応お茶もあるんですけど、ビールとチューハイどっちにします?」
「ビールをお願いするよ」

考える素振りもなく即答されたので冷蔵庫で冷やしていたビールの缶を一本取り出した。

「あれ、君は飲まないの?」
「お寿司を食べるときにはお茶と決めてるんです...!」

マイルールをビールを握りしめながら言うと、興味がとてつもなく薄そうな「へえ」という相槌が一応返って来た。 お寿司の包みを開けてくれているスターフェイズさんの前にビールとグラスを置けば「ありがとう」と声をかけられる。 お茶の葉を入れてすでに用意してあった急須の中にお湯を入れてテーブルの上に置く。
カップは二つ用意していたので、一つはスターフェイズさんの前に置いた。

「それじゃあ食べようか」
「はい、いただきます!」

寿司桶の上にはいろいろなお寿司が盛られている。
それを見ただけでも心が躍るようだった。久々のお寿司、一貫目は何を食べよう。サーモン?いくら?マグロ?はたまたイカ?? 考えているだけで涎が溢れてくる...!
端っこに添えられていたわさびを箸で取り、用意していた小皿に移動させてから醤油を入れる。 そうして散々迷ってから私はまぐろの握りを選び、醤油とわさびをつけてから最高に食べごろの状態になったマグロを口に入れた。 久しぶりに口にしたそれは、今まで食べた中で一番と言ってもいいほどおいしかった。たまらず次の獲物――サーモンを 選んで続けざまに口に放り込んだ。ほどよい脂がとろけるようでこちらもやはりとてもおいしい。
空腹だったこともあって箸が止まらず、次々と食べているとふと視線を感じて顔を上げればスターフェズさんがこちらを見ていた。 その顔は笑っているが、その笑みがどういった類のものまでかは判断できない。
つまり、なんて食い意地の張った女なんだ。と呆れた笑みなのか。飢えた獣のようでかわいい。という微笑みなのか。
...後者はあまりにも無理がありすぎるということは自分でもわかっている。
頭ではスターフェイズさんがいることはわかっていたのだが、無我夢中で寿司を食べてしまっていた。 体が言うことを効かずにひたすら目の前の寿司を求めるのだ。
恐るべき...寿司...!!

「す、すいません。これじゃ初めて寿司を食べた原始人みたいですよね。すごくおいしくて」

いつまでも口の中に居てほしいツブ貝を咀嚼した上でお茶で流し込んで紡いだ言葉に、スターフェイズさんが笑った。 もしかしたらこの人は笑いの沸点が低いのかもしれない。「原始人は箸を使えないと思うから君の方が随分上品なはずだ」 なんて、フォローになってるのかよくわからない返答をくれる。

「かまわないさ。こっちとしてもおいしそうに食べてもらえると嬉しいものだし」
「...そう言っていただけると安心しました」
「この味噌汁もすごくおいしいよ」
「え、お! よかったです」

自分が作ったものをおいしいといってもらった上に、その表情に嘘は見つけられなかったので私のテンションは急激に上がった。 思わずお箸を握っている手でぐっと拳を握る。

「スターフェイズさんにそう言ってもらえると自信が出ますね」
「ははは、そんなすごい舌を持っているわけでもないんだけどな」
「すごく舌が肥えてそうじゃないですかー」

余裕のある大人の雰囲気や、上等であろうスーツや靴、時計などの洗練されたものを見れば彼が普段どういう生活をしているのか想像できる。 きっと私が行ったことが無いような店でおいしい料理を食べているに違いない。ワインの入ったグラスとか傾けながら。 そんな人から褒めてもらえたのだから少しくらい自信を持ったっていいと思う。まあ、お世辞と言う可能性も大いにあるもののここは素直に言葉を受け取っておこう。 そうして今更ながら彼がとても自然な動作で手に持っているものに目が行った。

「そういえばお箸使えるんですね」
「ああ、仕事の関係上使えれば便利だから」

そう言われてみれば、食べる所作がとても綺麗なことに気づいた。箸の扱いについてはもちろんだけど、それを口に運ぶ動きなんかもスマートだ。 ライブラってすごいなあ。純粋に感心してしまう。そうしてからライブラに関係ないのかもしれないということを思った。 そしてさっきまでの自分はみっともなくがっついて食べていただろうことを考えてバツの悪さを覚えた。
気をつけて食べよう。と固く心に誓ってからは先ほどのようにがっつくことなく食べることが出来たと思う。






(20160103)