軽い口約束はしたものの、本当にスターフェイズさんが買い物に付き合ってくれる、ということについては半信半疑だった。
だからこうして何でもないような朝の挨拶を交わした後に「それで、いつなら空いてる?」なんて尋ねられるのは不意打ちすぎた。 それもちょうど欠伸をかみ殺しているときだったので「へ?」なんて間抜けな声が出た。

「テレビ台、買いに行くんだろう?」
「...え、あ、あぁ」

あのときに交わした口約束がまだ生きていたことに少々驚いて、私は目を泳がせた。
何せあの約束をした日からもう一月近く経とうとしている。いつも通り騒がしいHLで起きる事件を処理していたらあっという間に 一月経ってしまっていた。あの日の記憶も薄くもやがかかり始め、あのおいしかったお寿司の味も遠い日のことのように思えていたところでこうして声をかけられても正直忘れかけていた。 私の曖昧な返事にそこのとこを察したらしいスターフェイズさんは、途端に不満げに眉を寄せた。

「なんだい、まさか忘れてたとか言うんじゃないだろうね」
「い、いえ、忘れてはないですよ! もちろん! けどなんていうか...ホントのことだったんだーみたいな」

焦りながら紡いだ言葉を誤魔化すように小走りでエレベーターのボタンを押しに行った。
すっかり下っ端根性が身についてしまっている私は、スターフェイズさんと居るときも進んでボタンを押してパネルの前に陣取ってしまう。 別にそれで困ることもないからいいのだけど。
下の階に居るらしいエレベーターの所在を見つめながら、頭の中で予定の空いている日を探した。 今週で言えば、二日後がオフになっているのだけどその後はどうだっただろうか。

「一番近い日だと二日後が空いてます」
「二日後か...仕事終わりでも大丈夫?」
「私は全然大丈夫ですけど...。スターフェイズさんは大丈夫なんですか?」
「あぁ」

その一言によって、あっさり二日後二人で出かけることになった。


携帯が音を鳴らしたので、液晶に表示された名前を確認してから電話に出れば「スターフェイズだけど」という前置きの後に「もうすぐ着くよ」 シンプルな言葉が投げかけられた。それに私のほうも「わかりました」という飾り気の無い言葉で返す。
連絡先は今日のために交換した。食事を一緒にした仲だし、手当てをした仲でもあるわけだけど今までは特に連絡先を交換する必要もなかった。 だけど今日はそうもいかない、ということになってスターフェイズさんに連絡先の交換を提案されたとき、そういえばスターフェイズさんの番号を知らないということに気づいたのだ。 なので、私の携帯には新しくスティーブン・A・スターフェイズの名が刻まれた。
慌てて鞄を手に取り、最後に鏡をチェックしてから部屋を出た。
マンション前で待っていると、すーっと黒塗りの有名ブランドのロゴの着いた車がやって来て目の前で止まった。 ほどなくして窓が開き、中から声がかけられると身を乗り出すようにしている人が見えた。

「わざわざすいません」
「かまわないさ、もともとこっちも用事があるんだし。さぁ乗って」

ドアが開かれ促されるままに助手席へと座り、シートベルトを装着すればそれを確認してから車が走り始めた。 服ってどういうので行けばいいんだろう...という私のささやかな悩みは結局自分で解決した。
テレビ台を買いに行くのだから、当然重いものを運ぶことになるだろうと予想してスカートは却下した。 別にデートに行くわけでもないんだし、あまり着飾りすぎていても不自然だろう。 これでこの間買ったかわいいワンピースなんて着ていった日には勘違い女の烙印を押されかねない。
そう予想して結局シンプルな服装に落ち着いた。
今日はもう仕事は終わりなのかという問いにスターフェイズさんは「あぁ」と短く答えた。
だからなのかもしれないが、機嫌が良いらしいスターフェイズさんの指はラジオから流れる音楽に合わせてハンドルを規則的に叩いていた。 ラジオが流れていることもあって車内は会話がなくても気詰まりに感じることは無い。
気づけば少し力が入っていた体から力が抜け、背もたれにゆったりと体を預けていた。
何度か会話はしたし、少しは親しくなったと思うがそれでも二人で出かけるというイレギュラーな出来事に少し緊張していたのだ。 お陰で今日はほとんど何も手につかなかった。体が流れるように家事をこなしている間も頭はぼんやりしていたので、今日の一日は今から始まるかのようだ。
やがて車が止まったのは来たことはなかったが、リーズナブルな値段と言う噂の大き目の家具屋さんだった。 見るからに敷居の高い店でテレビ台を買うことは考えていなかったので、そのことにはホッとした。
見るからに高そうなスーツに、車...それを持っている人もハイグレードなだけに、少しだけスターフェイズさんに親近感を覚えるが、 一度だけお邪魔させてもらった家の中の家具はシンプルでシック、それなのに質のよさそうな印象があるので私にあわせてくれたのだろうと結論づけた。

「おっきいですね」

初めて入った店内は、思っていた以上に広々としていてどこに何があるのかはすぐにわからない感じに見えた。
テレビ台はどこにあるのだろうか...検討をつけようとしたところで目の前を店員らしき人が通りかかったので尋ねてみることにした。 そうして聞き出した場所を口の中で繰り返してからスターフェイズさんに声をかけた。

「何でしたっけ? 何か、棚の部品? はどこにありますか?」
「絶対に通じないと思うぞ...」

私の説明ではあまりにもぼんやりしすぎていたので、スターフェイズさんにバトンタッチすればすぐにきちんとした説明をしている。 店員さんにお礼を言ってから、一歩足を踏み出しながら隣に立っている人に片手を振った。

「じゃっ、私はあっちを見てきますね」
「えっ」

当然ここで解散の流れだろうと思ったものの、スターフェイズさんは少し目を丸くしていた。 そんなスターフェイズさんに軽く手を振ってからさっさと教えてもらったコーナーへと足を進めた。
付き合ってもらっている身としてはさっさと用事は済ませたほうがいいと思ったのだけど、スターフェイズさんはそうでもなかったのだろうか。 それに自分とは関係のない買い物に付き合うというのはなかなか苦行...とまではいかないけれど、面倒なものだ。 それも男性は余計にそう感じるだろう、ということで私は急ぐ必要があると思っているのだ。


「どうだい」
「うわっ!」

二つまでには絞り込んだところで突然背後から声をかけられて驚いた。
振り返れば予想通りスターフェイズさんが立っている。待たせないように急ごうと思っていたというのに、もうスターフェイズさんは用事を済ませてしまったらしい。 焦りながらもう一度決めあぐねているテレビ台二つを見比べる。

「二つまでには絞ったので...ちょっとだけ待ってもらっていいですか?!」
「もちろん。もう二つまでに絞ったっていうのも驚きだが...ちなみにどれで迷ってる?」
「あの白いのと、こっちのクリーム色のです」

私が指差したのは二つとも色が白と分類してもいいようなものだったけどやっぱり微妙に違う。
そして形ももちろん違うので悩んでいるのだけど...!

「ホワイト系がいいのか?」
「そうですね。別に白でなくてもいいんですけど明るい色がいいかな、と思ってます」
「へぇ」
「白い方が部屋が広く感じるじゃないですか」

自分で部屋を持ったときにはいろいろと凝った感じにしたくて黒や赤なんて家具を選んだこともあったけど今はそれを選ぼうとは思わない。 だけど私の答えを意外に思ったのか、スターフェイズさんが今まで家具に向けていた視線をこちらに移した。

「十分すぎるほど広いじゃないか」
「...今は広いですけどね」

今は十分広い部屋に住むことが出来ているものの、ずっとというわけにはいかないのだ。
期限付きの仮住まいみたいなものなので、早くとも3年後には部屋を出ないといけない。だから家具だって慎重に選ぶ必要があるのだ。 何せ今使っている家具を次の住まいにも移す必要があるのだから今の部屋のサイズに合わせた物を買ったら後悔することになる。 だけどそんな諸々の事情をもちろん知りもしないスターフェイズさんは疑問を持ったらしい。

「この間引っ越して来たばかりでもう引越しのことを考えてるのか?」
「今は考えてないですよ。...やっぱりこっちにしようと思います!」

クリーム色のほうを指差して会話を半ば強引に遮れば、まだ何かを言いたげな表情のままスターフェイズさんは頷いた。






(20160419)