「次の信号右に行ってくれ」
「え? 何かありましたっけ?」

深く座席に座った警部補をちらっと見ながらウインカーを右に出す。そうするとカチカチと、光にあわせて車内に音が響く。 今日はてっきりこのまま署まで帰ることになると思っていたのに、交差点を右に行くとなると署からは遠ざかることになってしまう。 慎重に対向車の様子を見ながら右にハンドルを切る。
まぁ、警部補が右に行けと言うのであれば私は右に行くという選択肢しかない。文句を言うつもりもなければ詮索をするつもりもない。 ただ純粋に疑問に思ったのだ。

「あぁ」

短くそれだけ答えた警部補にそれ以上尋ねることもできず、指示されるままに車を走らせていると見覚えのある場所へとやって来た。 濃い霧に囲まれたそこで車を止めれば、自ずと頭には以前にここに来たときのことが浮かんだ。 車のエンジンを切れば、辺りは静寂に包まれた。それがまたこの場所を余計に不気味に感じさせる。

「何かここって不気味ですよね」
「それがいいんだろ」
「えっ、変わってますね。不気味なところ好きなんですか...?!」
「んなわけあるか」

ちょっとひいていると呆れた声で一蹴された。人がよりつかないだろ。と答えを教えてもらえば思わず「なるほど〜」と声が漏れた。 確かに、出来ればこんな不気味な場所には来たいとは思わない。そういう場所だからこそライブラと会えるのだろう。
腕時計をちらりと見遣ってからシートベルトを外した警部補を見る。「ちょっと早いか」そう言いながら霧の濃い外へと出て行った。 私は今日もここで留守番だろう、と思ったのでシートベルトを外しながらもそのまま座席から動かなかった。 ライブラが来るのならあの人も来るのだろうか。唯一の知り合いと言える人の顔が頭に浮かんだ。

「おい、何ぼーっと座ってる、行くぞ」
「へ?」
「へ、じゃねぇ。さっさと降りろ」
「あっ、はい!」

窓越しに警部補にそう言われ、慌てて車を降りる。当の警部補は車を降りるように指示を出したのにそこからは放ってさくさくと歩き始めていたので、 車の鍵を閉めてから慌ててその姿を追った。下手をするとこの霧の中迷子になってしまいそうなので必死だ。 不気味な雰囲気漂う中、ぴたりと警部補の背中に張り付く。

「私来てもよかったんですか?」
「悪かったら連れて来ない」

簡潔すぎるほどの言葉は、けれど以前のやり取りを思い出せばとてつもなく嬉しいものだった。
つまり、信用されて認めて貰うことができたと言うことだ。じわじわと喜びを実感してどうしたって口端がにんまりと弧を描く。

「もうー、警部補ったら!」
「気持ち悪い声出すな」

言葉は優しくないもののその声音に尖りを感じることは無い。思わずスキップしながら警部補の後ろをついていくと、ちらりと呆れた視線を寄越されたもののその口元には笑みが浮かんでいる。
まだぺーぺーであることにかわりは無いけど、一つレベルが上がったような気分だ。 警部補からの信頼度が上がった! ってな感じで。

「いひひひひひ」
「不気味な笑い方だな...」

抑えようという努力をしているので逆に可笑しな声が出てしまった私を警部補は呆れたように見てきたが、煙草を咥えている口元は薄っすらと弧を描いている。 待ち合わせ場所だと思われるコンテナの横...霧に包まれた中で待ち人が現れるのを待つ。

「ライブラの人たち逃げちゃいますかね?」
「ありえるな」

自分でも不気味な声だとは思ったので否定するつもりはない。不気味な場所に不気味な笑い声が響いているという状況にライブラの人たちは現れないかもしれないと思って尋ねると、 警部補が楽しそうに笑いながら口から紫煙を吐き出した。

「ずいぶん舐められたものだなぁ」

コツコツと響く靴音と共に霧の中から現れたのは二人分の人の姿だった。
赤い髪が印象的な大きな体の男に...もう一人は見慣れた姿だ。いつものように質の良いスーツをスマートに着こなしている。 もしかして、とは思っていたがまさか本当にこの場に現れるとは思っていなかったので驚いた。 だけど向こうは全く驚いている様子も動揺している様子も無く、余裕な微笑を唇にのせている。もしかして私がここに居ると知っていたのかと訝るような態度だ。

「お待たせして申し訳ない。ロウ警部補」
「いや、そう待ってない」

短くなった煙草を携帯灰皿に捨てる警部補の半歩後ろで待機する。(意外なことに警部補は携帯灰皿なんてものを持ち歩いている。) 大きな体の人が警部補に謝る姿をみていると、ばちりと音がしそうなほど目がばっちりと合った。
少し目を見張ったのがメガネのレンズ越しに確認出来たので、慌てて頭を下げた。

「こいつのことは気にしないでくれ」

警部補が先手を打つかのように言えば、大きな人が少しうろたえた様だった。それにすかさずスターフェイズさんが「警部補がああ言ってるんだから」と言う。 思わずスターフェイズさんを見つめると、にこりと愛想の良い笑みが返って来る。
お互いに知り合いと言うことを隠しての対面に、私は少し居心地の悪さを覚えているのにスターフェイズさんの表情からは同じものを読み取れない。 もともとポーカーフェイスが上手であろうことはわかっていたがここまできれいに隠せるものなんだなぁと感心する。

そこからは最近HL内で流行っているドラッグの話しになった。というか、これが本題なのだろう。以前からHL特有のドラッグが問題になっていたが、今回のそれはいつものよりも強烈だ。 すでに死人は出ているし、ドラッグ常習者による事件も起きている。段々と深刻になってきているそれを警部補は以前から調べていた。
以前にもある危険なドラッグが流行ったことがあったのだが、それを製造していた組織を潰すことには成功したもののそれを作り出した肝心の人物を取り逃がしたということがあった。 そんな危険なものを製造できる者を野放しには出来ないと警部補は思っていたのだ。だが、今回手がかりを見つけたものの警察が手を出すには厄介なところということがわかり、ライブラに情報を流すことにしたらしい。
警部補はきっと自分で決着をつけたかっただろう。そう思うとこの情報をライブラに回すのは勿体無い様な気もしたが、そういう問題ではないのだろう。
これ以上犠牲者を出さない、ということを第一に優先して貴重な情報を渡す決断をした警部補に、私はますます尊敬の念を抱いた。
そしてその警部補の気持ちをライブラが裏切ることはないだろう。
ライブラを良く思っていない人が署内には多いが、見ている方向が一緒なのだから私としては仲良くできればいいのにと改めて思った。 こんな不気味な場所で、悪いことをしているわけでもないのにこそこそ会うなんてことをしなくてもいいように。どっかのカフェとかで待ち合わせしてコーヒーでも飲みながら話せればいいのになぁと思う。
まぁ難しいだろうけど...。



「どうだった?」
「何がですか?」

話し合いが終わればさっさと解散になり、私はまた車のハンドルを握っている。ここから署までの道を頭に浮かべていると、警部補が隣から声をかけてきた。

「念願叶ってライブラに会えただろ?」

横目で助手席に視線をやれば、面白がっている風な警部補と目が合った。どうやら私のことをからかうつもりらしい。

「そうですねー...」

言葉が見つからずに歯切れの悪い返答しか出ない。あの大きな人...ライブラのボス(警部補が言っていた)と会ったのは 初めてだがスターフェイズさんとは毎日とは言わないが結構な頻度で顔を合わせている。なんてたって隣人だし。
だけどそれを警部補に言う勇気は無い。

「うーん、強そうでしたけど優しい感じでしたね」

ライブラのボスのことを思いだしながらブレーキを踏めば、緩やかに車が止まった。

「副官のほうは?」
「かっこいい人でしたね。...えっと、それに何か一筋縄ではいかない感じ...」

素直に言葉を紡げば探るような視線を向けられたので慌てて付け足した。何を探られているのかわからないけど後ろ暗いことがあると焦ってしまう。 ...いや、別に後ろ暗いことはない。隣人で、時々一緒にご飯を食べたりしてて友達だと思ってるってこと以外。あ、あとテレビ台を組み立ててもらったりとか。 思わず視線が警部補から逃げるように信号に戻った。

「あれはやめておいたほうがいいぞ」

青に変わった信号に従いブレーキからアクセルへと足を移動させる。車が走り始めてしばらくしてから警部補が呟くように言った。 「やめておくも何もどうにもなりませんよ!」と慌てて返しながらも頭の中には先ほどの別れ際、意味深に笑みを浮かべて視線を送ってきたスターフェイズさんの顔が浮かんだ。






(20161107)