「...え?」

ケーキたちへと向けていた視線を外せば、テーブルの向こうで楽しそうに笑みを浮かべるスターフェイズさんを見つけた。

「って言うんだ。名前」
「あ、はい。けど何で...」
「この間警部補たちに呼ばれてたろう」
「あぁ...」

一瞬心臓が飛び上がったが、すぐにその衝撃は何もなかったものとして処理された。
”この間”というのはたまたま事件現場で顔を合わせたときのことを言っているのだろう。(目的が同じと言ってもいいライブラとは必然的に顔を合わせる機会が多い) 一瞬でもどきりとした自分に罰の悪さを覚えた私は、同僚達から何故ファーストネームで呼ばれることになったのかについての経緯を話すことにした。 警察学校に在学中に自己紹介したところ、日本人は名前と苗字の位置がひっくり返っているという知識を持っている同級生が居たことで、もともとひっくり返していた名前を またしてもひっくり返されたことによって名前で呼ばれることになり、いつの間にかそれが広まってしまったということを...。
お茶の用意をしながらぺらぺらと口が良く回る。
意識は半分以上スターフェイズさんが持ってきてくれたケーキに向いている。なんていったって久しぶりのケーキだ。 それもこっちじゃとんと見ないと言ってもいいくらいまともなケーキ!
こっちのケーキはやたらと着色料を使用してデコレーションされているので、日本人としての感覚で育ってきた私が口にするのは些か抵抗があるものばかりだ。 だって青いクリームとか、七色のわけのわからない生物がケーキの上で踊ってるんだからありえない!
それに味についても言わせてもらえば少し大味のような気がする。
なので、今は夜の10時過ぎだというのに私は”食べない”という選択肢を選ぶことがなかった。 (「ちょっと食べたくなってね。付き合ってくれる?」と言いながら箱を掲げるスターフェイズさんを喜んで招き入れた。)
フォークとお皿を用意してから今度はドリップコーヒーを準備する。良いケーキを食べるのだから、それにあわせる飲み物だって良いものじゃなくちゃならない。 そのためにはいつものインスタントコーヒーは封印するべきなのだ。本当は豆のほうがいいのだろうだけど、生憎そんなものはない。
ここまで準備が進んでくると、またいただいてしまったという遠慮が消えてくる。この間お礼とお返しという意味を込めてちょっと良いコーヒー豆を送ったのは記憶に新しい。 ヴェデットさんに渡してもらったということは携帯にお礼のメッセージが送られてきたことでわかった。
そうして久々にやって来たスターフェイズさんに、今回はケーキをいただいてしまったのだ。このケーキたちも街中で見ないので、きっと良い値段がするんじゃないだろうかと推測する。 何せケーキが入っていた箱は黒く艶光りしていて、箔押しの施されたおしゃれ100%って感じのものだった。
スターフェイズさんってものすごく太っ腹だと思う。

「それで?」
「それで」
「名前で呼ばれてるわけだ」
「そうです」

沸いたお湯を注ぎながら答える。返答は少しおざなりだったかもしれないけどそうもなる。目の前にはケーキがあるのだから。
つやつやと赤く輝く苺が私を誘うのだ。早く食べて...と、だけど苺の誘いに乗るには一つ問題があった。
それは、スターフェイズさんは何を選ぶかと言うことだ。
このケーキたちを用意してくれたのはスターフェイズさんなのだからもちろん選ぶ権利だってある。
だけど私はチョコケーキよりもプリンよりもミルクレープよりも何よりもショートケーキが食べたい...!!
そのためにはどうするべきか、正攻法で「ショートケーキを譲ってください!」と涙ながらに訴えるのが得策か...それとも、 「あ、見てください。このミルクレープすごくおいしそうじゃないですか?これが目の前にあるのに食べれないなんて耐えられないなぁ」と一芝居打って、羨ましがらせ作戦を実行すべきか...。


「...(いや、やっぱりスターフェイズさんが選ぶ権利があるんだから、ショートケーキが選ばれても大人しく引き下がろう...)」

「(いや、やっぱり一口交換してもらおう)」
「...!」
「へっ?! 何ですか」

突然大声を上げたスターフェイズさんにびくっと肩が跳ねた。
そんな私の様子にスターフェイズさんは何だか疲れたような顔で「はぁぁぁ」と腹の底から出てきたようなため息を吐いた。
え、なに。っていうか...

「えっ、今、名前...!」
「...遅い。なんだって君はそう...」

眉を寄せて心底不機嫌な表情を浮かべたスターフェイズさんに何も返すことが出来ずにいる間も「いや、やっぱりよそう」 とかなんとか言って一人で結論を導きだしてしまった。そうして仕切りなおすかのように一つ咳をした。

「僕もこれからは雪美って呼ぼうと思ってね」
「えっ」
「なんだいその反応。嫌?」
「い、嫌じゃないですけど...」

嫌かと尋ねられれば嫌と言うわけではもちろん無い。だけど急すぎて何だか照れくさくなってしまうのだ。 だけどそれらを全て口にするのは躊躇してしまう。(だって一人で何意識してんの?って感じだし)結果、黙ることしか出来ない。そんな私をスターフェイズさんは机に頬杖をついて面白そうに見ている。 そうなると私はますます何だか照れくささを感じてしまい、視線を彷徨わせる。

「じゃあいい?」
「え、や...」

もごもごと口を動かして返答にならない声を漏らしつつ愛想笑いのようなものを顔に貼り付ける。 へらへらしすぎだ、しゃきっとしろ! と、警部補によく叱られる顔だ。

「嫌じゃないけどいいわけでもない?」
「...」

別に同僚たちには気軽に名前を呼ばれているし、こっちの文化じゃファーストネームを呼ぶのは珍しいことじゃない。 だけどそれをスターフェイズさんにされるとなると、途端に恥ずかしさが勝ってしまうのだ。
今まで少しずつ狭まってきていた距離感が急速に縮められるような...。もちろんそれは私の感覚であって、スターフェイズさんにとってみれば些細なことなのだろう。
私が日本人であるということを考慮してほしいところだ。 だけど逆に考えれば名前を呼ぶくらいでうだうだ言ってるのもどうだろうっ?! スターフェイズさんからすれば名前で呼ぶくらいなんだ、って感じだろうし...。 それにここは日本じゃなくてHLだ。つまり、郷に入っては郷に従え...!


「...ウスッ!!」
「ハハッ、なんだいそれ」

意を決して答えたはいいものの、間の抜けた返答にスターフェイズさんが面白そうに笑い声を上げたことによって、さっきまでの落ち着かない心地が幾分か落ち着いた。






(20160311)