結局私にスターフェイズさんはケーキを選ばせてくれた。
それなら当然私が選ぶのはショートケーキだ。無事に私のお腹に収まったそれがさっきまで載っていたお皿に視線を移す。 久しぶりすぎるケーキはおいしいだけではなくて幸せな気持ちにもさせてくれた。「ごちそうさまでした」と手を合わせながら頭を下げると、 とっくに食べ終わっていたスターフェイズさんがカップ片手にこちらを見ていた。
口元は緩く弧を描いている。何だかこの表情で見られると私はどうしたらいいのかわからなくなる。
形容するのなら...”微笑ましい”というような表情だ。お寿司のときのようにがっついたつもりはないのだけど...またしてもやってしまったのだろうか。 なんだかそわそわするような心地で、私はお皿を手に取りながら立ち上がった。
スターフェイズさんのお皿の上に鎮座していたミルクレープは消えている。と言っても私が3/1ほど食べたのだけど...。(だって食べてもいいって言ったから...!) そのお皿もついでに持っていこうとすると手で制された。

「僕が洗うよ」
「え? いや、いいですよ」

驚きながら断るもののそれでは引き下がってくれない。

「こんな夜更けに尋ねたんだ、それくらいするさ」
「...けど、ケーキ持ってきてくださったじゃないですか」
「それならコーヒーをご馳走になった」

首をすくめて口角を片方だけ上げるというこっちの人たち特有のリアクションをされたので私も真似て肩をすくめて見たが、やり慣れていない所為でぎこちないのが自分でもわかった。 スターフェイズさんは様になっているけど。

「スターフェイズさんはテレビでも見ててください」

チャンネルを渡すものの受け取ってくれないので半ば無理矢理押し付けた。 そうすると受け取らないわけにはいかないだろう。尚も何か言いたげな顔をされたので、それを遮る形で口を開く。

「そちらにお邪魔したときには私もお皿洗いは任せるので、今回は私に任せてください」 お客さんであるスターフェイズさんにお皿を洗わせるつもりはないのだと言えば、ようやく引き下がってくれたようで軽く笑いながら息を吐いている。

「それなら悪いけど頼むよ」
「はい、テレビでも見ててください」
「そうさせてもらうよ、ありがとう」

チャンネルを持ってテレビの前に移動したスターフェイズさんを確認してからお皿とカップをシンクへと運ぶ。
そうしてシンクに少しだけ溜まっているお皿たちに視線を移す。
昨晩と今日の朝使ったお皿だ。まさかこれまで洗ってもらうわけにはいかない。
まぁ、出来ることなら私も洗いものはしたくないところだけどだからといってこれらをスターフェイズさんに洗ってももらうなんてことは出来ない。 もうすでにだらしないと思われてそうだけど(引っ越してからすぐに片づけを出来てなかったので)これ以上その評価を後押しするようなことはしたくない。
引き下がってくれてよかったー。なんて思いながらスポンジを手にとって洗剤をつける。そこでそういえばと思いだしてちらりとスターフェイズさんを確認すれば、ソファに座ってテレビを見ている。

「あの、もう時間遅いですけど大丈夫ですか?」
「あぁ、君がいいならもうちょっとここに居てもいいかな」
「あ、はい、私はまだ大丈夫です」
「ならもうちょっと」
「こういうときに部屋が隣って便利ですね」

笑いながら今度こそ洗い物を済ませようとお皿を手に取った。
.
.
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ようやく片付けが終わったのでテレビを見ているスターフェイズさんに近づく。
二人掛けの比較的小さめのソファに座っている姿が見える。何だか私の部屋で他人が...それもスターフェイズさんがくつろいでいるというのもおかしな感じだ。 そう思いながら何気なく視線をテレビへと移せば、今話題になっている事件についてキャスターが原稿を読み上げているところだった。
その事件はもちろん私も知っている。だからこそぎくりとした。

「あぁ、お疲れ様」

それまでテレビへ向けられていた顔が突然振り返って私に向けられた。

「あ、いえ...」

ぎこちない返事になったのを誤魔化すために急いで顔に笑みを貼り付けた。
あからさまにおかしな態度だったかもしれない。そう危惧している私を気にした様子も無く、スターフェイズさんがソファ端へと体を移動させる。 それが何を意味しているかなんて考えなくてもわかる。

「今の時間帯にやってるものってドラマとかもわからなくてね、映画も途中だし」
「...あ、ですよね」

どうしようか、ここに座ればまた事件について尋ねられるのかもしれない。そう考えると足は進まなかった。
だって私は答えることができない。以前のように曖昧に濁すみたいな返答を...
「この映画見たことある?」

気づけばテレビのチャンネルは変わっていた。さっきまで深刻な表情をしたキャスターはどこにもいない。
変わりにテレビに映っているのは綺麗な女優とかっこいい俳優だ。その二人が距離がちょっと近すぎるんじゃ?っていいたくなるくらいの距離で見つめあいながら何か囁きあっている。 多分愛してるだとかそういうことだろう。ちょうどクライマックスっぽいところらしい。
見たことがあるような無い様な場面だ。

「いつまでつっ立てるんだい?」

膝の上に左腕を立て、それに顎を乗せながらおかしそうに目を細めるスターフェイズさんに急かされているような気持ちでソファの空いた隙間に体を滑り込ませた。 出来うる限り体はスターフェイズさんと離すためにぎりぎりまで端へと詰める。そうして同時にホッとして息をついた。

「あまり映画とか見ないんですか?」
「うん? そうだな、あまり見ないかもな」
「そうなんですか」
は?」

ぎくっと体が強張った。心臓が体の中で大きくジャンプしたような気がする。
そうしてじわじわと顔に熱が上ってくるのが感じられてそれを隠すために俯いた。

「...えっと...あ、最近はあんまり、ですね」

声を出したときに「しまった」とは思った。だって明らかに声が上擦っていた。
それをなかったことにして言葉を続けたというのに、やはりなかったことにはならなかったらしい。というのも、ちらりと隣を伺えば今にも笑い出しそうなスターフェイズさんの顔があったからだ。 その顔を認めた瞬間にカッと顔と体が発熱した。

「き、急に名前で呼ばれたらびっくりするんです! しょうがないじゃないですか!!」

「私は日本人なんです!!」口早にそう言えばスターフェイズさんが片眉をあげて怪訝な表情を浮かべた。

「何も言ってないけど?」

そう言われてしまうと何も返すことができない。というか私だけ一人で焦りまくっていて恥ずかしい。

「変えてもいいですか?」

チャンネルに手を伸ばしながら問えば「もちろん」と返って来たので何かめぼしい番組はないかとあてもなくボタンを押す。 生憎見たいと思えるような番組はなく、時折スターフェーズさんにも声をかけるものの感想は私と同じようだった。 そうすれば当然先ほどのニュース番組へと戻ってくることになってしまった。
相変わらずキャスターが深刻な顔をしている。同じような表情のリポーターが事件現場を実況しているところだった。 マスコミへと流れている情報は全てではない。そしてマスコミよりも当然警察のほうが事件の詳細を把握しているのでめぼしい情報はない。

「気になるかい?」
「まぁそうですね...気にならないわけはないです」

さっきは嫌だったのに結果的に自分から話題を振る形になってしまった。これではこの事件について質問してくれと、いっていると思われてもしょうがない。 テレビから隣へと視線を移動させれば、思いがけずがっつりと視線が合ってしまって驚いた。 反射的に逃げようとするように上半身が軽く反る。目が細まるのを確認して今の自分の態度があからさまだったことに気づく。

「けど今はプライベートだ。気になるかもしれないがそう根を詰めてちゃ疲れるだろう」

握っていたチャンネルを取られたと思うと、テレビ画面が切り替わった。見覚えのある男女が何かを言い争っている。 言い合いをしながらもその距離が徐々に近くなっていくのを見るに、このままキスをすることになるんだろう。 映画とかドラマあるあるだ。というかさっきつけたときにもキスする五秒前って感じだったのにまた...タイミングがいいのか悪いのかわからない。
それともこの二人は始終キスばっかりしているのだろうか。

「そうですね」

オンとオフの切り替えは大事だと警部補に言われていたのだが、その警部補がまずオンとオフの切り替えがそう上手いわけではないことを私は知っている。
隣を出来るだけ気にしないようにしながらテレビ画面へと視線を固定させる。特に見たいわけでもないけど。

「それに僕が面白くない」

とうとう唇がくっつく...という二人が映し出されたテレビへと向きを固定させていたはずの視線はいとも簡単に隣へと引き戻されることになった。 悪戯っぽく口端を吊り上げ、目を細めているスターフェイズさんがこちらをじっと見ていた。
なんて答えればいいのか...この雰囲気は何なのか...一向に答えを出せずにただただ脳がめまぐるしく空回りしているのを感じる。

「僕のことは何て呼んでくれるんだい」
「...へっ?!」

ひっくり返った間抜けな声が喉から漏れた。

「...スターフェイズさん...?」
「それだと僕だけが君のことを名前で呼んでることになるだろう?」

「それはフェアじゃない」そういいながら頭を振ったスターフェイズさんに思うところはもちろんある。
「いやいやスターフェイズさんが勝手に呼ぶってことにしたんじゃないですか」と。というか、喉のところまで声はでかかったが押し込めた。 何だかそれってかなり空気が読めていない気がしたので。それにさっき郷に入っては郷に従えという精神を思い返したところだ。

「スティーブンがいいかな」

そう言ってわざとらしいほどにっこり笑ったスターフェイズさんは私が焦っているのを見て完全に楽しんでいる。

「す、スティーブンさんって言うんですね初めて知りました! そうなるとイニシャルはS・Sなんですね! いやー......」
「...」
「めでたい...」
「めでたいのかい?」
「......いえ」

最後に言葉が見つからずに適当を言えば、当然スターフェイズさんは引っかかってしまったらしい。
尋ねられると私は目を反らして小さく否定の言葉を短く口にした。イニシャルがS・Sだからめでたいとか聞いたことが無い。 シンとした部屋の中にテレビの音が響く。爆発音が響いたのでもしかしたらこれはラブストーリーではなかったのかもしれない。

「なんだいそりゃ」

軽い笑い声が聞こえたので恐る恐る見てみればスターフェイズさんが破顔していた。それにつられる形で私も笑ってしまった。
我ながらさっきの発言は間が持たないからと言って適当言い過ぎた。私のソファの背もたれ部分に片腕を置いて完全に気が抜けてる様子のスターフェイズさんに今更ながら違和感を覚える。

「はい、じゃあちゃんと呼んでくれ」
「え? 何をですか?」

スターフェイズさんは私の言葉に例のあの仕草をした。つまり、肩をすくめるというやつだ。

「名前」
「あ、あぁー......」

もうてっきりその話は終わったものだと思っていたのだけど終わっていなかったらしい。
どことなしか楽しそうな表情を前に言葉に詰まる。

「ほら、

今度は体が強張るのをどうにか耐えることが出来たが、やはりスターフェイズさんに名前で呼ばれるのは慣れない。 じっとこちらに向けられる視線からは逃げられそうにないと悟り、私は重い口を開いた。

「スティーブン........さん」
「別に敬称なんてものは必要ないけど」

やはり敬称を省くことは出来ずに妙な間が開いてしまった。そこを指摘されると顔にカッと熱が上った。

「そんなこと言われても何か恥ずかしいじゃないですか...!」
「わかったわかった」

名前を呼ぶくらいで何を大騒ぎしているんだと呆れられているかもしれないと思ったが、表情を見る限りそうではないらしい。 スター...スティーブンさんはただ楽しそうだ。 (言わせてもらえば私だって最初から名前を呼び合っていたのならこんなことにはならなかった。だってこっちで暮らしてそれなりの年月が経っているわけだし!)
続けて顎で先を促すような仕草をされれば、何を求められているのか察しがついてしまった。 さっきの妙な間が開いた呼び方はカウントされなかったということだろう。

「...スティーブンさん」
「なんだい?」

そこで思いがけず優しい声が返って来たので心臓が跳ねた。そしてただただ優しいだけじゃない、雰囲気が視線が...何かが今までと違うということに気づいた。
距離が近い。二人掛けの小さなソファは、けれど距離を開けて座っていたはずなので触れることがなかった。 それなのに今は指が触れそうだし、顔の距離も何だかおかしい。
何だかさっき見た映画のワンシーンが浮かんだ。
ただでさえ近かった距離がもっと近づいて、スティーブンさんの顔が息がかかりそうなほどに詰めてきて...。
私の耳には心臓がうるさくどきどき言う音しか聞こえない。






(20170429)