戸惑いの視線を同僚たちから受けることはわかっていたのに、私はあれから何度かスカートで出勤するようにしていた。
(というか実際に何人にも声をかけられた。「急にどうした?」とか「今更色気づいたのか?」「好きなやつでもできたのか?!」などなど腹立たしいことばかり) その結果、今までは絶対にパンツのほうが走りやすいと思っていたけれどスカートでもなんとかなるということがわかった。
これは嬉しい発見かもしれない。スリットをめいっぱい開けば可動域はそれだけ広くなる。パンツよりも劣りはするものの、そこまで弊害を感じるものでもない。 けれど生憎あれからスティーブンさんとは会っていない。
一応あれでわだかまりはなくなったんじゃないだろうかと思い、出勤時間は以前のものへと戻した。 あからさますぎる行動を未だに知られていないことにホッとしながらも、やっぱり少し落胆してしまう。
スティーブンさんに言われなければこうしてスカートを穿こうなんて思いもしなかっただろう。
今までは朝や夜、タイミングよく顔を合わせることが多かったけれど紙一重のタイミングなんだと悟った。
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「警部補殿」
「おう」

警部補が軽く手を挙げればライブラの体の大きな人が頷いたのが霧の中でも見えた。
大きな影の隣には誰もいないように見える。てっきり前と同じように会えるものだと思っていたので、私は霧の中にその姿を探すように視線を泳がせた。 それでも見つけることができなかったのでどうやら今日は来ていないらしいとわかり、がっかりしてしまう。ライブラは忙しいようだからきっと違う仕事をしているのだろう。 今日も例にもれずスカートを着ていたので今日こそは見てもらえるかもしれないと期待していたけどその期待は外れてしまったようだ。

「早速だがこの間の...」

挨拶もそこそこに口火を切った警部補の声がいつもより若干低いことに気づき、急にバツの悪さを感じた。
スティーブンさんに会えるものだと浮足立っていたのが恥ずかしくなった。今は仕事の話をしに来ていたのにまるで頭の中がお花畑の恋に浮かれた人のようになってしまっていた。 背筋を伸ばして馬鹿な自分を断ち切るように二人の話に耳を傾ける。
例の怪しいドラッグを製造していた組織はライブラが壊滅させたのだが、肝心の探していたドラッグの製造首謀者については捕まえることができなかったらしい。 というのも組織に乗り込んだ時には姿を消していたということなので、逃げられたのか...はたまた匿っている者がいるのかもしれないとライブラのボスは話を締めくくった。
そうなるとトカゲのしっぽ切りの状態が続くことになってしまう。ここまで逃げ切れるのは誰か力のある者の庇護下に匿われている可能性もある。
考え込むようにしばらく黙り込んでいた警部補が息をそっと吐いたのがわかった。
またしても取り逃がすことになってしまったので落胆しているのだろう。それを感じたらしいライブラのボスが大きな体を折り曲げた。

「すまない...」
「いや、しょうがねぇ。また何かわかったら連絡するからそのときは頼む」
「もちろんだ」

スティーブンさん相手には少しとげとげした感じだったのに...ライブラのボスには随分と物言いが柔らかい。
向こうもとても丁寧なので自然とそうなってくるのだろうか。

「今日は色男はいねぇんだな」

唐突に空気が軽くなったのを感じる。
それを意図して話題を変えたことがわかるくらいには警部補という人がどういう人かわかっているつもりだ。

「...彼は今動くことができない状態でね」
「ついに女にやられたか」

警部補の声が少しだけ面白そうに感じる。そのことからも気の所為ではなくスティーブンさんは警部補にあまり好かれていないことがわかる。 きっと何かの事件に関わって動くことができないってことだろう、と私は予想してみる。
それに気づいているのかいないのか、強面を少し陰らせているライブラのボスに何かざわっと胸が騒いだ。

「いや、女性が原因ではなく...」
「なんだ? なんかあったか」

途切れた言葉の先を促す警部補に、一緒になって少し前のめりになる。

「ある問題を片づける際の戦闘で負傷し、今は入院中なのだ」
「...えっ?!」

予想外の言葉に思わず反応してしまった。メガネのレンズ越しに驚いたように軽く目を見開いているボスに構わずに近づく。

「だっ、大丈夫なんですか?」
「あぁ、今はもう意識も取り戻しているが安静と言われている」

その言葉からも随分大きな怪我を負っただろうことが予想できた。頭にはあの日の背中の傷が浮かぶ。 あれ以上の怪我をしたということだろうか...。
顔から血の気が引いていくのを感じた。手の先が冷たくなるような心地と耳が遠くなったように音を拾わず、耳元でどくどくと血液が流れる音がやけに大きく聞こえた。


帰りの運転は警部補が変わってくれた。
大丈夫だといったけどどうやらハンドルを任せられない状態と判断されたらしかった。
私の反応にきっと何か思うところがあっただろうに結局何も尋ねられることがなったのでそれは正直ありがたかった。
電話をかけてみようかと思いついたが、安静と言われているらしいことからもきっと病院に入院していることが予想できた。 そんな状態のところで電話をかけても迷惑かもしれないと思うと、通話ボタンを押すことができなかった。
メールなら気が向いたときに返事をくれるかもしれないと思い、短いメールを送った。
”ボスの方に聞いたんですが怪我をして入院してるって...。大丈夫ですか?”
結構な時間をかけて作成して送信したというのに、送ってしまってから大丈夫なわけないよな、ということに気づいてしまった。 大丈夫なわけないですよね...! と続けて送ろうかとも思ったけど立て続けてのメールは憚られ結局やめた。
そわそわしながら夕飯を食べたものの返事は来なかったので、しょうがないと諸々の片づけをするために立ち上がった。
シャワーを浴びてから洗面台の上に置いていた携帯を見てみるも、何も変化がなかった。

もう寝ようかとベッドの上でごろごろしていたときに音を鳴らした携帯に、慌てて座りなおしてから液晶に触れた。

「今大丈夫かな」

携帯越しに聞こえる声はいつもよりも覇気がない。

「大丈夫です、というよりもスティーブンさんのほうが大丈夫ですか...?」
「あぁ、たいしたことないよ」

少しだけ笑いの含んだ声に、少し力が抜けたみたいに口角を上げているスティーブンさんが浮かんだ。そのことに少しだけホッとした。

「たいしたことないことは絶対にないと思うんですけど...」

それなら入院なんてしないだろうし、なによりもライブラのボスもああいう風に言うわけはない。
全て言葉通りに受け取るつもりはない。

「あの、よかったら入院してる病院教えてもらえませんか。お邪魔じゃなかったらお見舞いに行きたいんですけど...」

もしメールの返事が来たら何と返事をしようかと散々考えていた内容はするりと口から出てきたけど、口にしながらも距離感を誤っているかもしれない と最後のほうは小さくなってしまった。
電話の向こうを伺うもののよくわからない。目の前にいたのなら仕草や表情で何かを感じ取ることができたかもしれないのにやはり電話だと難しい。

「わざわざ来てもらうほどたいしものじゃないんだ」

何でもないことのように返ってきた言葉に、心臓が凍ったようだった。

「クラウスがどう言ったのかわからないが少し大げさに言ったみたいだな」

大げさに言ったということは絶対にないと思う。
それでもそう付け加えられた言葉になんと相槌を打てばいいのか浮かばず、結局声が出なかった。
一瞬妙な間が開いてしまったのに焦り、頭の中は何もまとまっていないのに慌てて声を出した。

「あの、何か必要なものとかあったら連絡してくれれば、その、持っていきますんで...」

きっと私のこの申し出に応えてくれることはないだろうと想像がついた。
さっきの言葉が答えだったのだから。

「その時は頼むよ。ありがとう」

予想通りの返答に見られることもないというのに反射的に笑みを浮かべた。けれど多分感情を隠しきることができていない見苦しい表情であることは想像できる。 きっと”その時”が来ることはないだろう。それがわかるくらいには私だって察すことができる。

「...それじゃあお大事に」
「ありがとう、おやすみ」
「おやすみなさい」

液晶をタップして通話を終了させた。携帯をベッドの上に放り投げ、自らもその上に身を投げる。
思っていた以上にショックを受けている自分の状態からも、まさかスティーブンさんに断られてしまうとは考えていなかったのだと断言できる。 あの夜のことを思えば私はお見舞いに行くことができる位置にいるのだと自惚れていたのだ。
気まずくてこそこそ逃げたりしてたけど、この間の朝には以前のような関係に戻れたのだと思っていた。
けれどそれはどうやら私の勘違いだったようだ。確実に一線を引かれてしまったことに胸が痛んだ。
今更後悔しても何か変わるわけもなく、潤んだ視界を腕でぐいっと拭うことしかできなかった。






(20181013)