”退院したよ。”

メールが届いたのはあの電話をした日から一週間ほど経ってからだった。
すぐさま返事を液晶に打ち込んだものの見返してその大部分を削除した。
快気祝いしましょう。なんてちょっと空気が読めなさすぎるだろう。結局無難な文字の羅列となった。

”よかったです。けどまだ無理しないでくださいね。”

それからは特にこれといったこともなく...と言ってもHLでの基準なので、いろいろはあった。 こんな仕事をしているのでこちらから揉め事に突っ込みにいかないといけなかったりするし。 何度か死ぬかと思うようなことはあったもののそんなことは日常茶飯事と言ってもいいくらい不本意ながら刺激的な毎日を送っているので、 過ぎてしまえばそんなこともあったなぁ、で流すことができる。
ここにいるとハプニングに慣れてしまってこのままじゃ心臓に毛が生えてしまうかもしれない。
おかげで落ち込んでる暇もそうないってところに今は感謝だ。
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「なんかつまめるもん買ってきてくれねぇか」

ここ数日ずっと外に出る必要がある事件が多かったので、疎かになった書類作成や整理などについに手をつけなくてはならないという決断が下されたので 長丁場になることを見越した警部補に頼まれた下っ端である私は買出しに行く準備をするためにパソコン画面から視線を外し伸びをした。
「甘いものがいい」「ピザだろ!」「いや、中華だ!」とかなんとか好き勝手言う輩に「そんないろんなもの買ってこれませんよ! そこら中周るのしんどいし!!」 という抗議の声は下っ端なので黙殺された。やいやい未だに言い続けているのを眺めながら携帯をポケットに入れる。
以前のパンツスーツに戻したので、ポケットに携帯だって楽々入る。スカートからパンツへと戻った私にきっと何か思うことがあっただろうけど 未だにそのことについて尋ねられることはない。逆に気を使われている空気がびんびん感じるけど聞かれてもどう答えればいいのかわからないので正直よかった。
「スカート穿いてるところ見たいって言われて調子に乗って穿いてたんですけど、どうやらもうどうでもいい感じになっちゃったっぽいんで!」
...とか、いくら明るく言おうが虚しさが隠しきれない。
結局警部補の「うるせぇ! ドーナツを頼む」の一言によって場は静まった。
預かったお金を持って車を走らせ向かったのは行きつけのドーナツ屋さんだ。
よくドラマとか映画で警察官はドーナツを食べてたりするけど実際ドーナツを口にする機会は多いかもしれない。 なんてったって行きつけのドーナツ屋さんがあるんだし。
5,6人並んでいる最後尾に滑り込む。繁盛している店内を見てみれば、ガラス製のドアに”ただいまセール中”のポスターが張られているのに気付いた。 ここまで並んでいるのは珍しいと思ったけどそういうことかと納得する。
視線を前方に向けながらぼんやりしていると前に並んでいる男の人が振り返ってにこっと笑われた。 反射的に笑い返せば、体がこちらに向けられたので内心身構える。

「よく来るんですか? この間も会いましたよね」
「あぁ、はい。時々来ます」

この間と言われてもピンとくるものがなかったので曖昧に頷いた。
下っ端の役目として買出しは度々しているのでそのときにでも会ったのだろう。

「今日も使いっぱしりですか?」

なんでそのことを?! と驚いて一瞬ぎょっとするも、相手は相変わらず柔らかい笑みを浮かべたままだ。
前に話したことが...? と、その顔をじっと見ているとどこか引っ掛かりを覚えた。必死にその引っ掛かりを解明しようと頭を働かせれば、目wの前の顔に急に既視感を覚えた。

「あっ!!」
「やっとわかりました?」
「だって髭が!!」

何度かこの店で会った男性の顔には髭が生えていたのに、今目の前の顔には髭がなく、記憶よりも随分若く見える。

「剃ってみたんです」

私のリアクションに満足しているように先ほどよりも笑みを深めた彼は、今はない髭を探すように顎を撫でている。 「なんか落ち着かないですけど」と言いながら少し照れ臭そうだ。

「すごく若く見えますよ! かっこいいです」

印象が違って見えるのはもちろんだけど、お世辞でなく彼はかっこよかった。
髭があるときにもかっこいいと思っていたけど、髭がなくなるとまた違うかっこよさがある。
何度かここで鉢合わせすることから顔見知りになった彼にはお使いという名の使いっぱしりをさせられていることへの不満を口にしたことがあるので、 先ほどの言葉だったのだろう。

「ほんとですか、嬉しいなー」

そうこうしているうちに随分と列に並んでいる人は減っている。
世間話をしながら辺りに視線を向けたのは癖みたいなものだった。
警部補が時々あたりに視線をやり、一早く異変に気付くのを知ってから私も思い出したときにするようにしているのだ。 ”思い出したときに”というのがまだまだ下っ端扱いされる所以にもなっているような気がするけど...。
何気なく漂わせた視線の先――通りの向こう側に見えた人影に視線が吸い込まれた。
見慣れたと言ってもいい姿を目にした瞬間、反射的に心臓が大きく跳ねる。
そうして次に視界に入り込んだのはきれいな女性だった。近すぎる距離で腕を組んで並び歩く二人はどう見てもそういう関係にしか見えなかった。 柔和な笑みとは不釣り合いに見える左頬に走る傷跡からも人違いでないことがわかる。
もし同じ容姿の人がこの世に三人いるのだとしても、あの傷があるのはスティーブンさんだけだろう。
凍りついたように体が動かない間にも通りの向こうを歩く二人は徐々に離れていく。
不意に何かに気づいたかのようにこちらに向けられた視線は、私を間違いなく捉えていた。驚いたように見開かれた赤い瞳から逃げるように咄嗟に視線を反らした。

「知り合い?」
「...あ、ううん」

誤魔化せない動揺が出ているであろう顔を見られたくなくて俯いた。

「お似合いだと思って」

自分の言葉に胸を切られたみたいだった。






(20181104)