「そんなもんはそこらの力の余ってる奴らにやらせりゃいいんだ」

そう言った警部補に抱えていた段ボールを持っていかれた。押収した荷物を運ぶということで駆り出されたのだけどそう重さのある荷物ではなかった。これなら大丈夫だと判断して荷物を運んでいたのだけど......せっかくだし警部補の言葉に甘えることにした。
ぶっきらぼうな物言いは乱暴なようで、実際には優しさが溢れている。警部補は優しい上にとてつもなく気が回る人だ。入院中お世話になったのはもちろん、両親に連絡をしてくれたのも警部補だ。
前からお世話になっていたが、いよいよ警部補に足を向けて寝ることができなくなった。

「警部補に困ったことがあったら私すぐに駆け付けますんで......!」
「ちょっと荷物持っただけで大げさなやつだな」

「今の言葉忘れんなよ」という警部補の口端は吊り上がっている。誰にだってこんなことをいうわけじゃない。まかり間違って人の善意に漬け込むような人には到底言うことができない言葉だ。口約束とはいえ、この場限りのつもりで言ったわけじゃないので大きく頷いて返した。

「深く胸に刻んでます...!」
「いちいち大げさだな」

心臓辺りを右手で叩きながら重々しく答えると、警部補が相変わらず口端を釣り上げたまま呆れたように言った。
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「もう今日は帰れ」

時計はまだ夕方と言ってもいい時間帯だ。窓の外もまだ薄く暗くなっているものの、街灯の明かりがなくても大丈夫なくらいだ。
仕事に復帰してまだそう経っていないので、気を使ってくれているのだとわかったが今作成中の文書を終わらせてからにしようか迷う。

「急ぎじゃないんだから帰れ。本調子になったら嫌でも残業させてやる」

口角を片側だけ上げてにやっと笑った警部補は悪そうなのに、その口から出る言葉は優しさしかない。「そうだ帰れ帰れー」という野次も飛んできたので、ありがたく思いながら帰ることにした。

車に乗り込んで一息ついたところで鞄の中で携帯が着信を告げる。ぎくっと肩が跳ねたのはもしかしたら事件が発生したのだろうか、と思い至ったからだ。だが慌てて取り出した携帯の液晶には意外な人物の名前が浮かんでいた。少し躊躇ってから画面の上で指を滑らせた。

「もう帰るところかい?」
「そうです」
「こっちもあと少しで帰れそうなんだ」

さっきの躊躇いは何だったんだと自分でも思うが、なんてことない会話に意味もなく頬が緩んだ。

「一緒に夕食でもどうだい?」

うっすら期待していた通りの言葉に思わず口角が吊り上がった。

「いいですね」

心がうきうきして今にも歌いたくなるほど気分は上昇したけどそれを悟られないように慎重に返した。それでもやっぱり声には嬉しさが滲んでしまったように思う。

「どこにします?」

頭の中にはいくつかの店をピックアップしたものの、相手がスティーブンさんとなるとどうなんだろう、といまいち首を傾げてしまうラインナップだ。日ごろから利用している店はリーズナブルで、よく言えば気軽に行ける店が多い。となると、スティーブンさんが日ごろ利用している店とは違うだろう。これは悪いけれどスティーブンさんに店選びは任せたほうが無難だ。他の店を検索しようにも今携帯は使用中だ。

「それなんだけど家にしないかい?」

「え?」

意外な提案にそのままの心情を乗せた声が出た。

「家のほうがゆっくりできるからいいかと思って」

確かに。家のほうが間違いなくゆっくりできる。入院期間、ベッドの上で過ごしていた間に落ちてしまった体力は未だ完全に復活したとは言えない状況なので、実は今も一日が終わって疲れを実感していたところだ。

「賛成です!」
「お寿司にしようか」

「快気祝いに」付け加えられた言葉に、いつか出しそびれたメールが浮かんだがあの時とまるで正反対の状況に複雑な気分だ。あの時にはもうきっと二人でご飯を食べるなんてことはないと思っていたのに、今は晩御飯をどうするのか相談している。あの頃には想像もできないことだ。

「となると、どちらの家にしようか」

当然ともいえる問いに言葉は詰まった。というのも、頭の中には瞬時に荒れ果てた家の中の様子が浮かんだからだ。脱ぎっぱなしで放置している服や、まだ洗っていないシンクに置きっぱなしのお皿......流石にごみはちゃんと捨てているものの、そこかしこが散らかっている。とてもじゃないが人を招ける状態じゃない......。
死にかけて入院していた、ということを免罪符にいろいろなことをさぼっていた私を今更になって恨む。

「あのー......そちらにお邪魔してもいいですか...?」

あれを片付けるためにはそれなりに時間を要すると判断しての言葉は、後ろめたさを隠しきれないものになってしまった。だけど正直に白状する気にはなれない。悪あがきだとしても、家の中が散らかってるような奴だとは思われたくない...。過去一回家の中が散らかってて人様に見せらない状態だったことを知られているわけなので余計そう思ってしまう。

「ぶふっ」
「えっ」

携帯の向こうから聞こえた吹き出すような声を耳が拾い上げ、間抜けな声が漏れた。続いて聞こえたのはどう考えても笑っている声だ。喉のところでくつくつ笑っているのが聞こえる。それをわけもわからず暫し聞いていると、ようやく笑い声が止んだ。

「......いや、ごめん。部屋が散らかっててもしょうがないさ、この間まで大怪我してたんだから」
「なっ......!!」

カッと顔に火が付いたみたいに熱くなった。隠そうとしていたことを全て暴かれてしまい、恥ずかしさで全身の温度が上がったのを感じる。またしてもだらしない女の烙印を押してしまったことに気分は落ち込んだが、同時になぜそれがスティーブンさんにわかったのだろうと疑問が浮かんだ。

「なんで、知って......」
「そりゃあれだけ不自然に玄関で足止めされりゃわかるさ」

ここ数日の自分の行動が走馬灯のように頭に流れる。様子を見に来てくれたり、あるいは差し入れのようなお土産のようなケーキなんかを持ってスティーブンさんはここ数日何回か尋ねてきてくれていた。だが、部屋の中が汚くて人様には見せることができない状況だったので(その上相手はスティーブンさんだし!)悪いとは思いつつ玄関から先へと招くことはしなかった。気が利かない人のふりをして玄関でやり過ごしていたのだけど、スティーブンさんにはお見通しだったらしい。明らかにされた事実に何も言えずに黙り込むも、少し違和感を覚えて、待てよ? と考える。家が散らかっていることをお見通しだったスティーブンさんは、もちろん私が家に招きたくないとわかっていたはずだ。だとすると、さっきの「どちらの家にするか」という問いは意地悪なものだったのだとわかり、ムッとするままに口を開いた。

「ひどくないですか!!」
「ごめんごめん」

笑いを含んだ声で謝罪されてもちっとも謝られた感じがしない。
「ついね」付け加えられた言葉にもその反省の色は感じられない。

「残念だ」
「......何がですか」

声はどうしたって尖ってしまう。なんてったってスティーブンさんにいいように掌の上で転がされて遊ばれたのだから面白くないに決まってる。同時に、様子を見に来てくれたスティーブンさんを玄関からあげなかったことの意味さえ知られていたことを思うと立つ瀬がない。

がしどろもどろしているところを直接見たかった」

唐突に甘さを含んだように聞こえる声にぐっと喉のところで息を止めた。そうして自分に頭の中で言い聞かせる。気のせい、きっと気のせい...勘違いするな!!
だというのに頭に浮かんだのはいつかのスティーブンさんだ。目を閉じる前に見た表情と、おでこに蘇った感触を頭を振って追い払った。
こんなことを考えている頭の中まで全て見透かされているような気がして、居心地の悪さが半端じゃない。もぞもぞと意味もなくお尻の位置を調節してみる。

「趣味が悪いですよ......!!」

返した言葉は威勢なんかまるで無いものだった。バツの悪さを感じたのは私だけで、スティーブンさんの機嫌は落ちる様子はなく小さく笑う声が聞こえた。
そうしてお互いに相手の様子を探るかのような沈黙を数秒過ごし、口火を切ったのはスティーブンさんだった。

「じゃあまた後で」
「はい、また」

名残惜しさを感じながら画面をタップする。無機質な音を立て通信が終了したことを告げるそれを携帯ホルダーへと設置し、ようやく車のエンジンをかけた。 これからの時間のことを思い、自然と笑いだしてしまう唇に力を入れながらアクセルを踏み込んだ。






(20190114)