綾部




バーナビー


















滝夜叉丸先輩と!


あの後姿は...やばい、悟られる前にさっさとこの場から姿を消そう。

「なんと幸運な奴なのだ! いつも予定が詰まり暇など微塵も入る隙間のない多忙な私だが驚いた事に今はちょうど時間が空いてる!」

腹から声を張っているであろう大きな声が掛けられと思うと、後ろに居たはずの滝夜叉丸先輩がサッと目の前に現れた。...さすが忍者! 早すぎ!

「...そうなんすか。じゃ!」
「こら! 待て待て!」
「...何ですか? 私忙しいんです!」
「だ、だからだな。アレだ...時間がちょうど空いている私が...その、お前の勉強やら戦輪の特別指導をしてやらんこともない...」
「いえ! 大丈夫です」
「遠慮するな。分からない所などもあるはずだろう?」
「いえ、ないと思います!」
「何?! ないのか?」
「はい」
「何故そう自信満々なのか知らんがそんなわけがないだろう! 一つくらい分からない問題があるはずだ!」
「なんか今日は分からない所がないという予感がするんで大丈夫です!」
「なんだそれは! そんな予感聞いたことがないぞ!」
「え? わりとよく聞きますけどね?」
「そんな馬鹿な...! この滝夜叉丸の方が間違っているとでも...?!」
「今日は迷わない予感がするとか。今日は食満先輩にぼこぼこにされる予感がするとか。トイレが逃げてる予感がするとか。聞きますよ?」
「その使い方は間違えているだろう! いや、合ってるのもあるが...特に最後のはなんだ!どうせ三之助だろう!」
「すごい、よく分かりましたね。アレですか?」
「...アレ、とは?」
「愛...って、やつですか...?」
「気色の悪いことを言うなっ!!」
「あ、滝夜叉丸先輩が怒る予感がする...!」
「すでに怒っている!!」
「ホントだ...。ここまで予感が当たると何か怖いな...(ゾッ)」
「予感ではないと言っているだろう! 既に私は怒っていた!」
「それじゃこの辺で...」
「待て! 私が直々に勉強を見てやると言っているだろう!」
「大丈夫です」
「...何故お前はそう頑ななのだ」
「一人の方がはかどる予感がするんです」

勉強する気は無いが、こう言っておけば滝夜叉丸先輩も諦めるだろうと思って言った。今日一日はごろごろするという予定が私には入っているのだ。 それこそ滝夜叉丸先輩のありがた迷惑な申し出を受けたらごろごろ出来る時間がなくなってしまう上に勉強までしなくてはならなくなる。そんなことになってはたまらない! だから、なんとしても滝夜叉丸先輩をここで撒かなくてはいけない。
それなのに滝夜叉丸先輩は何故かどうしても私に勉強を教えたいみたいだ。正直とてもありがた迷惑だ。休みぐらい休ませてほしい。
ここで誰か、おとりに出来るような奴でも通りかかればいいのにまるで狙ったかのように誰も通りかからない。 がっかり肩を落として、どうにか自分でこの状況を脱する事を決意して滝夜叉丸先輩に向き直れば、何故か先輩はもじもじしていた。

「...だが、もし分からなかった時にアレだ、困るだろう...その時にはこの文武両断な滝夜叉丸が教えてやると言っているのだ」
「いやぁー。大丈夫です」

何か知らないがさっきまでの勢いはどこへやら、もじもじと歯切れ悪く喋る滝夜叉丸先輩を私は半目で見ながら 右手を顔の前に出して先輩の申し出を突っぱねた。
せっかくのこの暇を何故、滝夜叉丸先輩と勉強して過ごさなくてはいけないんだ。

「まぁ、そう遠慮するな」

遠慮してないって!

「...いや、もうほんと。多忙な滝夜叉丸先輩のお手を煩わせるのも気が進まないので...」
「何っ?!」

のらりくらりとかわそうとしても全然離れてくれない滝夜叉丸先輩に、しょうがなく遠慮している風に見せかけて断ろうとする。 こうすれば滝夜叉丸先輩の自尊心をほどよくくすぐり、そんでもって気分も悪くないだろう。
大声を上げていつもどおり大げさな動きで驚きの感情を全身を使って表現する先輩を見て、私はこのやり方が成功だったと 思った。...が、次の瞬間、滝夜叉丸先輩はその表情をパッと嬉々としたものに変えた。......すごく嫌な予感。

「遠慮など必要ないと先ほどから言っているだろう! 確かに私は多忙な身だが、かわいいお前の頼みとあらば いつでも、どれだけでも時間を空けてやる!」

おい、私頼んでないですけど。
いつの間にかちゃっかりと私が滝夜叉丸先輩に頼んだことにすりかえられている事実に私はげっそりした。
こうして少しずつ私のごろごろ時間を削られていってしまうのだろう。放課後恒例、地獄の委員会も無い 今、私は完全に自由であったはずなのに、滝夜叉丸先輩に捕まったのが運のつきなんだろうか。
現実逃避するように目を明後日の方向に向けていると、視界の端で滝夜叉丸先輩が慌てたようにわたわたしているのが 目に入った。忙しい人だな、と考えていると顔を赤くした先輩が必死の様子で迫ってきた。

「い、いや、今のは違うぞ!言い間違いだ!お前ではなく後輩と言うつもりだったのだ!かわいい後輩と!」
「はぁ...」
「わっ、私は後輩思いの先輩だからな! 後輩とあらば誰にでも優しい!」
「はぁ...」

何焦ってんだこの人。滝夜叉丸先輩が意外にも後輩の面倒見がいいことは体育委員会に所属していれば分かりきっていることだ。 何を今更...それも自分で言っちゃうのか...。
内心はそう思いながらもそれをおくびにも出さずに(いや、ちょっとは出てたかもしれないけど) 返事をする。それなのに滝夜叉丸先輩は私の相槌を聞いてますます焦ったように視線をきょろきょろさせた。 それはいつも無駄に堂々としている先輩を知っている私から見れば本当に不審で、同時に心配にもなってくる。 そこで私は助け舟を出してあげることにした。私ってなんて先輩思いの後輩なんだろう。

「そうなんですか。滝夜叉丸先輩って後輩が大好きなんですね」

私の助け舟に滝夜叉丸先輩は空中を彷徨わせていた視線をぱっと私に合わせた。

「...ちがっ!!」

何故かまたしても焦った様子で慌てて、何故か否定の声を上げた先輩に今度は私が驚く。 それを見て滝夜叉丸先輩も驚いた表情をして、視線をスイッと私から反らすとあらぬ方向を見ながら言った。

「あ、いや...そうだ...。私は後輩が大好きだ...」

覇気の無い言葉は滝夜叉丸先輩らしくない。
何でか元気の無くなった先輩に私は迷ってからもう一度助け舟を出すことにした。
ほら、私ってかわいい後輩だし。 一応先輩が困ってると助けなくちゃって気になってしまう。かわいい後輩は、出来る後輩でもあるのだ。

「後輩も滝夜叉丸先輩が大好きだと思いますよ」

俯いて顔の見えない先輩の肩がびくっと震えたかと思うと、徐々に顔が上げられる。滝夜叉丸先輩は吃驚した顔をしていた。 だがそれも最初だけだ。表情は徐々にいつもの滝夜叉丸先輩のものへと戻った。

「そうか...そうだな! あぁ、そうだ!」

仕舞いには腰に手を当てて高らかに笑い声を上げ始めた先輩に私は口元がひくつくのを感じた。

                                                             


























綾部先輩と!



いつからか立場が逆転してしまっていた。逆転ということは正反対ということで、つまり劇的に変化したはずなのに 私はいつからそれがひっくりかえったのか思い出せない。巧妙に感じるほど自然に、いつのまにか逆転していたのだ。
薄れゆく記憶の中では、綾部先輩が私を迎えに来てくれていたはずだ。それが今では...

「あ、」
「藤内」

明らかに誰かを探している様子の藤内を呼びかけながら、嫌な予感を覚える。

「綾部先輩を探してきてって、立花先輩が」

やっぱり、嫌な予感が当たった。
別にこの役目が嫌だと言うわけではないのだけど、どこか腑に落ちないものがあるから私の足は重いのだと思う。
藤内から聞いていた場所へと足を進めれば、予想通り見慣れた光景が目に映った。 ぽっかり開いた穴が私を迎えてくれる。また食満先輩に怒られることになるのだろうにこの人は一向に穴掘りを やめる様子が無い。土を削る音が聞こえるところから考えて、今まさに食満先輩に嫌な顔をされる行為をしているのが わかった。下から土が飛んでくる可能性も考慮して穴から少し離れた場所から穴の中の人に向かって声をかける。

「綾部せんぱーい」

すると間も無くして穴を掘る音が止み、穴の中から土に汚れた綾部先輩が顔を出した。もう穴を掘っていないので、 安心して穴の中を覗きながら話しかける。

「委員会に行きましょう」

すでにお決まりになった台詞は、委員会がある日には必ず口にするものだ。作法委員会が始まっても 綾部先輩が現れないから探してみると穴を掘っている。ここまではいつも通り。飽きつことがないのか、綾部先輩は昔から 暇があれば穴を掘っている。そこまではまぁいい。用具委員会には悪いけれど直接被害を被っていない私からすると、別に好きなだけ心おきなく穴を掘ってください。 という感じなのだけど...問題はここからだ。穴を掘っている綾部先輩に委員会に行こうと言えば、私を呼んで来てと 綾部先輩が何故か要求したのがそもそもの始まりで、それを何度も繰り返すものだから今では私が綾部先輩お迎え係に任命されてしまった。 委員会のある日は私が綾部先輩を連れて行く、という全く意味が分からない恒例が出来上がってしまっている。
昔、まだ私が委員会に入りたての頃は綾部先輩が私と藤内を委員会に連れて行ってくれてたはずなのに、今じゃ立場 がそっくりそのまま逆転してしまっているのだ。一応後輩であるはずの私が先輩の面倒を見ると言う事態に私は おかしいと首をかしげずにはいられないのだけど、綾部先輩はそうではないらしいし、他の人たちもこれが普通だとして 受け止めてしまっている。こうくると私がおかしいのかな...と流されそうになるが、他の委員会の様子なんかも見て、 やっぱりこれはおかしいのだと流されてしまいそうな自分に言い聞かせている。

「まぁ、後でもいいじゃない」
「だめですよ。立花先輩に怒られちゃいますよ」

こうは言いつつも、きっと立花先輩は怒らないだろうことが予想できる。綾部先輩に甘いというか...怒っても聞き流 してしまうのを知っているからか、立花先輩はあまり綾部先輩に怒ったりしない。たぶん今日遅れても怒らずに、 出来るだけ集合時間に遅れるんじゃないぞ、とか言うぐらいだろう。そう考えると綾部先輩って色々得してる。 全く羨ましい。

「ふぅん」

焦った様子が微塵も無いのが、綾部先輩自身それを分かってるところがあるからだと思う。

「ねぇ、それより」

それより、と簡単に流してしまったことに呆れながら私はしゃがんだ体制で穴の中の綾部先輩の言葉に耳を傾けた。

「こっちに来て」
「嫌です」

にべも無く切り捨てると不思議そうに丸い目が見返してくる。それが私には演技にしか見えない。不思議そうな演技。

「どうして?」
「土とかで汚れちゃうじゃないですか」

これまた恒例のやり取りに私はいい加減飽き飽きしながらもちゃんと相手をしてあげる。綾部先輩こそ私の返事を 知っていながら毎度こうやって穴の中に私を引き込もうとしてよく分からない。よっぽど暇なのか...。いや、暇な はずないんだけど、だってこれから委員会だし。

「この穴の中は甘い匂いがするからおいでよ」
「うそばっか言わないでください!」

よくもそんな嘘とすぐに見破れることをぬけぬけと言えるものだ。きっぱり嘘だと見抜いて返すと綾部先輩は驚いたように目をまんまる にしている。何だって驚いているのか、そのことに私が驚いてしまう。まさかそんなことで私を騙せると思ったのだろうか。

「試してみないとわからないじゃない」
「わかります!」
「あーあ、この匂いが嗅げないなんてかわいそー」
「はいはい、いいからもう委員会に行きますよ」

ちらちらこちらを見ながらわざとらしい嘘を言う先輩に呆れながらも私は綾部先輩お迎え係の任務を全うするべく 付き合ってあげる。この間は見た事が無いほど巨大なミミズを見つけたと言って私を穴の中に誘ってきたけど、 誰が好き好んでわざわざミミズなんてみたいものかと、その誘いを振り切った。その前はモグラの家を見つけたとか で、私を穴の中に引き込もうとしていた。綾部先輩が一体何を考えて、私を穴の中に引き込もうとしているのか わからないけれど、どうしても私を穴の中に入れたい様子から、私は意地でも穴の中に入らないと決めている。

「じゃあ手を貸して」

ようやく諦めてくれたらしく、私はホッと息を吐きながら喜んで穴の中に手を差し出した。
これでようやく今日の任務は終わりだと安心したのも束の間、掴んだ泥に濡れた手が逆に力を入れて引っ張ってきたのだ。 まさか引っ張られるとは思っていなかった私の体はいとも簡単に傾き、ぐらりと揺れた。咄嗟に目を瞑ると、落下していく 嫌な感覚が体を走った。だがそれもすぐに何かに体を抱きとめられて私は顔を上げて目を恐る恐る開けた。

「いらっしゃい」

目の前に綾部先輩の顔があって、綾部先輩が受け止めてくれた事を知った。だがここに落ちることになった経緯を考えれば 素直には感謝出来ずにじろっと綾部先輩を見ながら「...どうも」とだけ返す。

「お礼はいいよ」
「あったりまえですよ! 自分で引っ張っておいてお礼を要求するなんて先輩は当たり屋か何かですか?!」

つい力を入れて返すと綾部先輩は流石にこの至近距離での叫びがうるさかったらしく、投げるようにして手を放された。 だけども足はほぼ穴の底についていたので難なく立てた。結構な深さがあることに穴に落ちて気付く。広さは二人入っていても気にならない広さだ。 ぽっかり開いた穴を見つめて、確実に委員会に遅刻することになった事実に遠い目になったところで、ふとそういえばと思い出した。

「甘い匂いはしないですね」
「そう?」
「はい」
「もっとよく嗅いでみて」
「...えぇ?」

絶対うそでしょ。とは思いながらも促すような先輩の視線に背中を押されて私は鼻をすんすんと動かしてみた。が、やっぱり 甘い匂いなんかしなくて、ただ土が少し湿ったような、濃い土の匂いしかしない。先輩は鼻が詰まってるんじゃないだろうか、 と眉を寄せながら視線をやると...

「やーい、ひっかかったー」

感情が浮かばない顔に、棒読みで言われたことが腹立たしさを倍増させている。まんまと騙されてしまった自分を恥じて、 顔が熱を持つのに時間は掛からなかった。

「...先輩のうそつき!」

私の力を込めての一言に、綾部先輩は痛くも痒くも無さそうな顔で目を瞬いて驚いた表情をした。また驚いた演技だ。 頭の中で綾部先輩に平手を往復で10回以上食らわせてから精神を落ち着かせることに成功した。 ふー、と息を吐き出してから私はもう一度上を見上げてみた。誰かがいつまでも現れない私たちのことを探しに来てくれる までここでぼーっとしておかなくてはいけないのだろうか。だが、到底自力で登れる穴には見えない。あいにく手ぶらだし。 ため息をついて助けが現れるのを待つことにした私はその場に膝を抱えて座り込んだ。そうすると何故か綾部先輩も隣に 腰を下ろす。

「そういえば何で私をここに落とそうとばっかりしてたんですか?」

本当に、そういえば...と思いついて“落とそう”のところに少しばかり嫌味を込めて尋ねた。 落ち着いた頭の中では委員会に遅れた理由は綾部先輩の所為だと言ってやろうと考えながら。

「わからないの?」
「え、はい」
「二人だけみたいだから」
「はぁ」

まーた、よくわからんこと言い出したよ。生返事で軽く流してから、ふと引っ掛かりを覚えて頭の中で言葉を反復した。

「...はぁ?!」

言葉足らずではあるけれど、それはつまり私と二人になりたいとかそういうことなのだろうか? と、思考が行き着いて 思わず大きな声を上げた。穴の中ということもあって、声は土の壁にぶつかって跳ね返って反響して響いた。 顔がさっき先輩に騙された時の比ではないほどに熱を持つのを感じる。

「でっかい口」

                                                             


























バーナビーくんと!



まるいドーナツ

「バーナビーくん。これあげる」
 ある日、そう言って呼び止められたので足を止めてみれば袋入りのドーナツを渡された。
まるく穴が開いたドーナツが一つ袋に入っている。何故これを僕に...という疑問は何故だか口に出せなかった。 爛々と光る瞳が下から見上げてくる。その瞳にははっきりとこう書かれていた。「気に入ってくれただろうか?」 溢れるほどの期待に満ちた瞳に、僕の口からは自然とお礼が出た。
「...ありがとうございます」
 満足したように笑って去って行く姿を見送って、僕はドーナツを見つめた。


限界ベンチプレス

「バーナビーくん! ちょっと見てて!」
 ある日、ロッカールームで着替え終わりトレーニングを開始しようとしたところで呼び止められた。 訝しく思いながら視線を声の聞こえた方に向けるとさんがベンチプレスのマシンに寝転がり、顔だけを上げた状態 でこちらを見ていた。
「...なんですか」
 その嬉々とした表情を訝しく思っていると、高らかに手が上げられる。
「今からこれを上げます!」
「は...」
 上げます。と言うのだからもちろんブレスを、左右についている錘ごと持ち上げるのだろう。 だけど何故それを僕に見せようとするのか? その疑問が浮かんだ瞬間、目に飛び込んできた新たな衝撃に疑問はいとも簡単に吹き飛んだ。
「ちょっと待ってください! それ、錘つけすぎじゃないですか?」
「こんなのはほんの準備運動だから大丈夫。こんなのちょろいから」
 何故か自信満々に言ってのけるとさっさと頭を下げてブレスを握る。鉄の棒を握ってフーッと息を吐き出す様子に、 僕は慌てて補助のために駆け寄った。そんな細腕では到底持ち上げられるわけがないと思ったのだ。持ち上げた瞬間にぽきりと折れてしまいそうだ。 その自信はどこから出てくるのか知らないがさんは「大丈夫だって」と、僕の補助を断ろうとしたが、もしかしてが あるかもしれないと思い、その主張は無視した。
 結果的にさんは錘を持ち上げて見せた。「ほらね。大丈夫だったでしょ」さんは得意げに言うと嬉しげに跳ねながら ロッカールームへと歩いて行った。僕が少し力を貸したと知ったら怒るであろうことは安易に想像できたので、 黙っていることにした。その変わりベンチブレスの機械には張り紙をつけておいた。
は使用禁止』


青年の悩み

「バーナビーくんさ、何か悩みとか無い?」
 ある日、僕が座っているベンチの隣に座って来たかと思うとこそこそと話しかけてきたさんに僕は眉を寄せて、質問を返した。 すると改まったように背筋を伸ばしてさんがにじり寄って来る。きょろきょろして辺りの様子を伺うと慎重に話し始める。
「ほら、コンビ組んでるって言っても虎徹さんとは年が離れてるから」
「はぁ...」
「同い年くらいの...例えば私とかになら何か悩みがあるなら打ち明けやすいんじゃないかって思って」
「はぁ......」
「まぁ、私バーナビーくんより一応先輩だし! 協力するよ!」
 この人は一体何を考えてるんだろう。親しげに肩を組まれて僕は何と言うべきか咄嗟に言葉が浮かばなかった。 爽やかに笑うさんは、まかせろとでもいいたげに胸を叩く。僕の悩みがどうこうよりもとりあえず肩を組むのはやめてほしい。 僕よりも小さい人に肩を組まれてる所為で体が斜めになっている。それに密着していることについてこの人は何も思わないのだろうか。 密着している左半身が痺れているような感覚に動けずに居ると突然背後から怒鳴り声が聞こえた。
「コルァ!! おじさんの悪口言ってたな!!」
 思わぬ乱入者にびくっと肩が震えた。隣に座っているさんは飛び上がるほどに驚いて、僕たちは揃ってゆっくり 後ろを振り返った。顰め面をしたおじさんが仁王立ちで僕たちを見下ろしている。
「ぎゃー!! 出たー!!」
 さんはけたたましい叫び後を上げると走って逃げていった。
その後姿を見ながら悩みなどあの人に話せるわけがないと思った。


バイバイク

「バーナビーくん! 今帰り?」
 ある日、トレーニングを終えて建物から出たところでさんに声を掛けられた。 「はい」シンプルな返答をしながらさんを見てみれば、あちらも僕と一緒で今から帰るところなのがその出で立ちで分かった。
「今日は歩き?」
 僕がさんを観察していたのと一緒でさんも僕を観察していたらしく意外そうな顔をして尋ねられる。 辺りに僕のバイクが無いことと、駐車場に向かって歩いていなかったのを見ての質問らしい。
「いえ、会社の方にバイクを置いてるので今から取りに行くところです」
「へぇー、じゃあ私のバイクで送ってあげようか」
 意外な言葉に思わずびっくりしてしまった。
「...バイク、乗れたんですか?」
 少し目を見開いて自分よりも低いところにある目を見つめてそう言えば、さんはちょっと視線を逸らしてから「まぁね」とだけ答えた。 意外な事実に僕は「へぇ...」と口から音を漏らした。

「......なんですかこれ」
「バイク」
 僕の半ば唖然とした呟きにさんは自信満々に答えてくれた。だが、その答えは僕の想像していたものとは違う。 じゃあ取って来るから。と言って駐車場へと走っていったかと思えばカラカラという音と共にさんが引っ張って きたものは僕の想像している“バイク”では無かった。さん曰くバイクであるらしいものを見てから、もう一度さんを見た。
「...バイクではないですよね」
「バイクだよ」
「いえ、これは自転車です」
「なにその教科書英語! 自転車だってバイクって言うんだよ!」
 確かに自転車もバイクと言うかもしれないが、この流れでそれを使うのは卑怯な気がした。
騙された感が拭えずじとりとした視線を向ければさんはへらっと笑って「一般的にはそういわれてるかもしれないね」 と譲歩するようなことを言ったが、そんなものは譲歩でも何でもない。僕の視線を受けて流石に居心地が悪くなったのか さんは手をパンッと叩いて場を取り成そうとした。それから自転車に跨ると後ろの荷台を指差す。
「ま、遠慮せず後ろに乗りたまえ」
「遠慮しておきます。では」
 さっさと断り、その場を離れる。後ろに乗るだなんて考えられない。それもそのまま街中を走れば、奇異の 目で見られることは間違いない。自分が一応有名人だという自覚が僕にはある。明日のニュースを飾りたくは無い。 時間を無駄にしてしまったと、さんに背中を向けて歩くと、後ろから声が追いかけてきた。
「なんでー?! パパラッチされたら嫌だからー? 熱愛報道を恐れてるのか! バーナビーくん!」
 何だってあんなに大声なんだ。それも名指しとなれば僕に向けての言葉だと言うことはすぐに分かってしまう。 周りからの視線が自分に向けられているような気がした僕は知らん顔をして足を速めた。
「私とバーナビーくんはただの先輩と後輩だから大丈夫だよー!!」
 なおも追いかけてきた声に僕は一瞬足が止まりそうになった。
ただの先輩と後輩。
へぇ。


青年の悩み パート2

「なんであの人は僕にかまうんだ...」
「あの人って? のことか?」
 てっきり誰も聞いていないと思っていたのに、言葉が返ってきてぎょっとして振り返った。さっきまでトレーニングルームに 居たはずのおじさんが僕の後ろに立っている。それも“あの人”と言っただけでずばりとその人物を当ててしまった。 いつも鈍いくせにこういう時だけ鋭いとは...何となく恥ずかしさを覚えて、僕は答えずに居た。それなのに“あの人” をさんだと勝手に確定しておじさんは話を進める。
「まぁなー、もはじめての後輩が出来たからうれしいんだろ」
「...うれしい?」
 その気はなかったというのに、つい反応してしまった。すると、おじさんは本格的に話し出そうと思ってか、 僕が腰掛けている背もたれが無い形のベンチに後ろから腰を下ろしてきた。ぎし、とあまり頑丈そうはないベンチが軋んだ音をたてる。
同じベンチに腰掛けているというのにそれぞれ正反対の方向を向いている。
「あぁ、バニーちゃん来るまでは一番下の後輩はだったからな」
 “後輩”というワードは、あの人と話しているとやたらと登場するものだ。
「後輩が出来るって張り切ってたからな」
 笑いを含んだ声は、その時のことを思い出しているのだろう。まだ僕がヒーローではなかった頃、新しく後輩が出来る と聞いたさんはおじさんの言葉どおり張り切っていたのだろう。その姿は容易に想像できた。
そうか、そういうことか。
僕は今までの不可解なさんの言動の意味をようやく理解した。あれは全て後輩である僕を軸にしての言動だったのだ。
例えば、さんはよく食べ物をくれる。この間はドーナツをくれた。
例えば、さんは意味の分からないことで張り合ってくる。この間はベンチプレスを見学させられた。
例えば、さんは僕に悩みがないかと問いかけてくる。この間の不自然な会話。
それらは全て、さんが思い描く良い先輩を演じてのことではないのだろうか。
かわいがりたいし、尊敬されたい、力になってあげたい。
行動に答えが出ていた。
僕はけれどそれら全てを理解した今、不思議と落胆していた。あれらの行動は僕  バーナビー・ブルックスJr を見てのものではなく、後輩という大きなカテゴリに分類される者に対してのものだったのだ。


かわいい?後輩

さん」
「おぉ、バーナビーくんどうしたの?」
 さぁ帰ろうと屋外へ足を踏み出したところで声を掛けられ、は足を止めてそちらを見、パッと笑顔になった。 を呼び止めたのは彼女の唯一のかわいい後輩、バーナビーだった。
は初めての後輩ということもありかわいがっているつもりなのだが、その愛情が届いていないのかあまり慕われている感じはしない。 バーナビーの方から声を掛けてくることは無いに等しいので、は驚くと同時に嬉しくもあった。 何故声を掛けてきたのだろう。当然の疑問を浮かべ、咄嗟に頭に浮かんだのはこの間の話題だった。 悩みがあれば相談してくれ、そう言った時のことが頭を過ぎる。 何か悩みを相談してくれるのだろうか。ならば全力で答えなくてはいけない。少々先走ったことを考えながら嬉々と してはバーナビーに向き合った。
「今日は歩きですか?」
「...え? うん、そうだよ」
 どんとこい!どんな悩みでも受け入れてやる! そう思い構えていたこともあり、バーナビーのごく普通な質問には 肩透かしをくらったような気分で、少し不満げな顔をして頷いた。
 そんなの様子には頓着せずに、バーナビーは本題を切り出す。
「なら、バイクで送りますよ」
 そう言うとの返事を聞かずにさっさと歩いていく。返事は、はいorイエスしかないのだとでも言うような不遜な態度だ。 いつもとは違う強引なバーナビーには反応できずに居た。いつものバーナビーとは何かが違う。 停止したままのに気付いたバーナビーは手に持ったキーをチャリ、と慣らしながら振り返った。
「もちろん、バイクと言うのは自転車のことではないので」
 口元が意地悪く吊り上がるのを視界で捉え、は目を見開いた。その反応にバーナビーは満足したように小さく息を吐いて笑う。
“そっちがその気なら後輩と言う立場を利用するまで”
彼が心の中でそんなことを考えているとも知らず、は強引なバーナビーに手を引かれる形でその場から連れ出された。

                                                             












(2012)