今でも覚えてる固い指が頬を撫でていったことを。
指が髪を梳き、頭を撫でたことを。
躊躇いがちに額に触れた柔らかな感触を。


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「...?」
「ん?」

 口にめいっぱいマルゲリータを放り込んでいたので、すぐには反応できなった。
 行儀が悪いのも忘れ、口の中に残っているピザも咀嚼途中で声が聞こえた隣を見てみれば、こちらを覗き込むようにして見知った顔があった。

「ぶひゃらてぃっ?!」
「すまない、先に食べてくれていいぞ」

 微かに笑ったブチャラティの言葉に甘え、咀嚼しながら炭酸水で口の中のものを流し込む。 その間に空いていたカウンター席の隣へとブチャラティが座った。

「まだ食べてないの?」
「まだだ」

 この時間帯にここに居るのだからまだ食べてはいないだろう思いながら声をかければ予想通りの反応が返ってきた。
 店内は夕食時ということもあり、たくさんの人で賑わっている。運よく私の隣の席は空いていたが、店内は満員といって差支えがない。厨房と店内を忙しそうに行ったり来たりしている店主へと声をかける。

「おじさん! マルゲリータ追加で! あ、マルゲリータでよかった?」
「ああ、が食べているのを見て食べたいと思っていた」

 相変わらず柔らかい笑みを浮かべているブチャラティは機嫌がよさそうだ。それにつられるように私の口元も緩む。

「飲み物は何にする?」
「同じのを」
「おじさん炭酸水もください!」
「全部聞こえてるからそんな復唱しなくてもいいよ」

 店主が笑いながら伝票にペンを走らせ、厨房へと引っ込むまでを見送った。
 最初はきれいな円を形作っていたピザは今や半円になっている。このままのペースでは一緒に食事をする間もなく食べ終わってしまうだろう。

「いつ帰って来てたんだ?」

 すっかり落ち着いた様子でカウンターに両肘をついたブチャラティから真っ直ぐ視線を向けられ、思わずピザへと目を逸らした。

「...昨日だよ」
「連絡をくれと言ったのに」
「しようと思ったけどさ、結構時間も遅かったし...」

 遠回しに責められているのを感じ、居心地の悪さにピザへと手を伸ばした。頬張ればまだ熱を持っていたこともあり、 チーズがとろっと糸を引く。一番に香ったのはバジルだ。続いてトマトの酸味が広がり、モッツァレラチーズの塩味と混ざりあって口の中が幸福だ。
 だがその幸福感も隣からの言葉によって薄まってしまう。

「もう次の日で、こんな時間だが?」

 やっぱり責められている...。気のせいではなかったようだ。
 確かに長期の仕事に行った時には連絡をするとは言ったがまさかこんな風に叱られるとは思わなかった。約束は破ったものの、 そこまで悪いことをしたという自覚は生まれそうにもないのでとりあえず反省して見えるように肩を落とす。

「はい、マンマ...」
「誰がマンマだ」

 心外だと言わんばかりに否定されたが、さっきのセリフを思い出してほしい。 どう考えても連絡を取らなかった子供を叱っているお母さんのようじゃないか。

「私がお姉ちゃんだったのに。弟からいつの間にかお母さんになっちゃったね」
「待て、だから母親になったつもりはない」
「じゃあ弟だったつもりってことかぁ」

 一瞬言葉に詰まったように間があってからふいっと気まずげに視線を背けられる。いつにない反応に面白いことになりそうだと私の好奇心は刺激されてしまう。自分の反応が俄然こちらの興味をそそることになっているとは思いもしないらしいところも何だかかわいらしい。にやにやと笑いが込み上げてくるのを抑えられない。
 暫しの間を置き、返ってきたのは思いがけず弱ったような声色だ。

「そんなつもりはないが...」
「ブローノ! 弟よ〜!!」
「はいよー出来立てだ」

 沸きあがる愛しさによしよしと頭を撫でてやろうとしたところでお皿を持った店主に邪魔をされてしまった。しょうがなく大人しく浮かせていたお尻を椅子へと着地させる。
 あつあつ焼き立てのマルゲリータは釜から出てきたばかりらしく、チーズがぐつぐつと生きているかのように動いている。 湯気を立てている今が一番食べ頃なのは先ほどまで食べていたので十分わかっている。
とりあえず今すべきことはブチャラティがこのピザに舌鼓を打つことだ。

「ブチャラティが弟なのか? 反対じゃなくて?」
「何言ってんの反対じゃないよ! 私のほうが年上だし」

 用が済んだはずなのに未だ動かないと思っていた店主が何気なく放り込んだ言葉への返事はどうしたって熱が篭ってしまった。

「そういえばそうだったな」
「いやいや待ってよ」

 返事をしたのは店主ではなく、隣のブチャラティだった。
 すでに熱々のピザに意識は持っていかれているのか、早速手を付けている。私の言葉にはちらりと視線を寄越しただけでそれきりだ。 店主は笑いながら忙しそうに厨房へと引っ込んだ。忙しいはずなのにこうして客ともコミュニケーションをとることを忘れない。 そんな店主の人柄もこの店が繁盛している理由の一つかもしれない。

「いつまでこっちに?」

 少しの間にぬるくなってしまったピザを頬張っていると問われた。

「もうここを発つときの話?」
「...すまない。そういうつもりじゃなかった」

 非難するように聞こえたかもしれないが別にその質問に不平は持たなかった。だがブチャラティは失言と捉えたようだった。 ハッとしたように詫びを入れる様子に「いいよ」と笑って答えた。

「次の仕事にもよるけど、早々長い任務はないと思うよ」
「そうか。なら少しはゆっくりできるのか?」

 今回の仕事にかかった時間と働きを思えばゆっくりできるくらいの時間をもらってもいいと自負している。 だが、そこのところは私が決められるわけじゃないので何とも言えない。
 結果、首を捻って曖昧なリアクションを取るしかできない。

「そうだといいけど」






(20191109)