「頑張ったな」
「でしょー?!」

 部屋の中に入ってきたブチャラティの言葉に得意げに返せば、おかしそうな笑みが返って来る。
微笑ましいとでも言いたげな表情に、ハッと我に返った。今の発言は子供っぽかったかもしれない……。
気まずい思いを悟られないように注意し、なんでもない顔を取り繕った。
 ブチャラティは私のその一連の考えを気にした様子もなく、買ってきてくれたらしい袋を渡してきたのでお礼を言いながら受け取った。 どっしりとした重みを感じながらまだ十分冷えているペットボトルを取り出すと、水滴で少し手が濡れる。

「とりあえず水と炭酸水と、甘いのをいくつか見繕ってきた」
「ありがとう、ブチャラティは何にする?」
「オレはなんでもかまわない」

 何でもいいということなので、外を歩いてきたのだからきっと暑かっただろうと炭酸水を選んだ。
二本あったそれをさっき拭いたテーブルの上に置き、ブチャラティには今さっききれいにし終えたソファを勧める。
予想以上の飲み物を用意してもらえたので、余ったものは空っぽの冷蔵庫の中に閉まっておく。
 飲み物しか入っていないものの、冷蔵庫の中に何かが入っているのは少しだけ満たされたような変な気分だ。 見慣れない空っぽの冷蔵庫というのは少し居心地が悪い。
 ブチャラティの隣のスペースに腰を下ろし、机の上のペットボトルのキャップを捻れば、プシュッと音を立てて炭酸が抜けた。

「はぁーっ」

 炭酸が喉を通っていくのが心地いい。一気に飲んだので、生理的な涙が目に浮かぶ。それを目を見開くことでやり過ごす。
自分で思っていたよりもずいぶん喉が渇いていたらしく、体に水分が染み渡るような感覚がする。

「ここは変わらないな」

 隣を見れば、ブチャラティが何かを思い出すように部屋の中を眺めている。大きく部屋の間取りを変えることはないので、 代わり映えしていないように見えるかもしれないが、それでも細々とモノが増えたり減ったりしているはずだ。

「ブチャラティはよくうちに来てたから代わり映えないように見えるかも」
「そうだな」

 些細な変化もよくうちに来ていれば目にするものだったりする。そういう意味で口にした言葉に、あっさりとした言葉が返って来る。
もう一口ボトルを煽れば、口内でしゅわしゅわと泡が弾ける。
 舌の上で踊る泡を感じながら思い出すのは、ブチャラティとこうして並んでソファに座っていた時のことだ。
ここで二人そろってテレビを見ながら夕飯を食べた回数なんて、それこそ覚えていられないほどだ。 この部屋にブチャラティが居ることに不自然さを感じなくなったのは、とっくの昔。

「だが彩が居ない間はどこかが変わったような気がしたんだ」

 キャップを閉めてテーブルの上に置くと、残り三分の一ほどに減った透明の液体がボトルの中で揺れた。
小さないくつかの泡がぱちぱち弾けるのが見える。私が置いたボトルの横に並べるようにブチャラティもボトルを置いた。  前かがみの体勢で、太腿の上に両腕を組むようにすると少しだけ楽だ。
掃除を始めてから数時間、疲労も溜まってきているのでこのまま休憩を続けていると寝てしまうかもしれない。

「彩がここに居ないと物足りない」
「......そっか」
「ああ」

 何て返答をすればいいのかわからず、結局口にしたのは素っ気ないような気がするものだった。 だが、隣を伺ってみるとブチャラティが気にしている様子はない。ちらりとこちらに向けられた瞳からは特に何も感情が見えなかった。

 私が留守にしていた間、ここの様子を見に来てくれていたと言っていた。
私が居ないこの部屋で、ブチャラティは何を考えていたのだろう。
 目の前に居るブチャラティはとっくに大きくなっているというのに、頭の中に浮かんだ映像はまだ少年のブチャラティがこの部屋で一人、 途方にくれたように座っているものだった。 「眠いか?」 「……うん」 「彩が居眠りをする前に始めるか」  おもむろに立ち上がったブチャラティは、床にほおっておいた真っ黒な雑巾を手に取ると、洗面台のほうへと歩いて行った。 「寂しかったの?」なんて、口をついて出てきそうになった言葉はごくんと飲み込んだ。






(20200725)