新しい場所での生活と言うのはそれだけでとても疲れる。
見慣れない校舎、新しい制服、新しい友人、新しい教科書。全てが新しくて、それが少し気疲れさせるのだ。
 それでも私は覚えたての化粧を忘れなかった。軽い化粧は少し長い春休みの間に覚えた。
今まで手にしたことがなかった化粧道具をお小遣いをはたいて購入し、使い方を研究した。 付け焼刃であるものの、それなりに完成していなければカッコがつかない。
その努力もあって、今ではそれなりに仕上げることが出来るようになった。髪もきれいに切ってもらい、朝学校に来る前に整えるようにしている。 メガネの変わりにコンタクトも使うようになった。スカートの長さも以前よりも短くなった。
それだけのことが随分と私の印象を変えたようだということは、周りの反応からも伺えた。

「コンタクトにしたのか」

 そう声をかけてきたのは意外なことに緑間くんだった。

「あ、うん。コンタクトにしてみました」
「ずいぶん印象が変わった」

 まじまじとこちらを見下ろしてくる緑間くんの視線に居心地の悪さを覚えてつい視線を反らす。
 こうしてまるで親しい仲であるかのように声をかけてくれたが、私と緑間くんは特に仲が良かったことはない。
涼太くんがバスケ部だったので、そのつながりで知っているという程度だ。何か会話をした覚えもないので、こうして話しかけられたのが少し不思議だが、 同じ中学出身のよしみで気軽に声をかけてくれたのだろう。
それに涼太くんの幼馴染と言うことはきっと知っているだろうから、知らない仲じゃないと思ったのかもしれない。

「あれ、真ちゃんさんと知り合い?」

 緑間くんの肩に気安げに手を置きながら表れた男の子に私は見覚えがなかったものの、向こうは知っているようだった。
咄嗟に「しまった」と思ったのはもう入学してからしばらく経つというのに、クラスメイトの顔と名前がいまいちまだ把握できていないからだ。 向こうは私の名前を知っているのにこちらが知らないとあっては失礼だ。

「...同じ中学なのだよ」
「マジ! 帝校なの、さん?」
「う、うん」

「へーそうだったのかー」と、真っ直ぐ視線を向けられながらの相槌に、居心地の悪さを覚えた。それにもう一度頷いて返しながら愛想笑いを浮かべる。
形だけの笑顔を浮かべただけでは愛想がいいとは言えないと思うし、相手もきっとやりづらさを覚えたと思うのだけれど緑間くんの友達の男の子はそこから話を広げていった。 人懐こくて会話をリードするの上手いので、気づけば私は涼太くんの幼馴染であるということや、中学のときから少しイメチェンを図ったことなどを軽く話していた。 本来ならこういう話は親しい人としか話さないのだけど、緑間くんの友達には話してしまっていた。
そうして最後に「そういえば名前まだ言ってなかったっけ? 高尾和成っての、よろしくー」という軽い挨拶をされてから彼が クラスメイトではないことを知った。
同じクラスでないなら何故私のことを知っていたのかという疑問は、二人と別れてから浮かんだ。
また会ったときにでも聞いてみようか。小さな疑問を自分の中で完結させてから家路についた。
いろいろな初めてを経験しながら、だけど私はそのことに少しわくわくしていた。だからだろう、疲れているのに不思議と足が重いとは感じなかった。


「え、?」

 半信半疑のように声をかけられたことよりも何よりもそこに涼太くんが居たことに驚いた。
もちろん今は神奈川に住んでいるとは言っても、彼の家は私の二軒隣から変わらないのだから当然顔を合わせることもあると 思ってはいたものの、こうも早くにばったり会うことになるとは予想していなかった。
あの日からまだそう経っていない。だけどあの時と違って涼太くんは初めて見る制服に身を包んでいた。

「ちょっ、その格好...」

 私が涼太くんの制服姿を目新しく感じたのと同じように、涼太くんも同じことを思ったのだろう。それに加えて私の場合は他にも少し変わっている。 自分ではすでにこの姿にも慣れてしまったところで改めて指摘され、彼が何に驚いているのかを理解できた。
私が化粧をして制服を垢抜けて着こなしていることに驚いたらしい。(今では当たり前になってしまった格好だったので、何に驚いているのか理解できるまで時間がかかってしまった。) 中学の頃に比べればずいぶんと変わったことは自分でもわかっている。
だってそうなるように努力をしたのだ。
だけどその努力を彼に悟られるのは嫌だった。そんなわけはないけれど、なるべくしてこうなったのだと納得して欲しい。

「うん。変?」
「や、変とかじゃ、ないけど...」

 歯切れの悪い言葉は、動揺を十分に伝えてきた。
地味で垢抜けないはずの幼馴染の変わりようが信じられない様子で、繰り返し頭の天辺から足の先まで視線を感じる。
そんな涼太くんは新しい制服も着こなしていて、やっぱり普通とは違う雰囲気を漂わせている。

「何で、そんな格好...」

 あからさまな視線に居心地の悪さを覚えて半歩後ろに下がったところで、涼太くんが呟いた。
私としては何故そんなことを思ったのだろう、というのが一番に思ったことだった。だって涼太くんとのことがあって私は大きく変わったから。 その当事者である涼太くんからそれを疑問に思われるとは思わなかったのだ。

「友達を選ぶためだけど」

 至極当然の返答を口にすれば、涼太くんの目が徐々に丸くなっていくのが見えた。
そんなにも私の答えは驚くようなものだっただろうか。いや、そんなはずはない。だってこの言葉を口にしたのは私ではなく、涼太くんだったのだから。 私はただ涼太くんの言葉をなぞっただけに過ぎない。

「なに言って、」
「涼太くんが言ったんだよ」

 今更なことを口にしようとする涼太くんを逃さないため、先回りした言葉を選んで口にするとあからさまにバツが悪そうな表情を浮かべる。
まさか私が実行するとは思って居なかったのだろう。あの時に受けた屈辱や悲しみ、怒りなどの感情を今少しやり返すことが出来たような気分になって、私は少しばかり胸のすく思いだ。
友達は選んでいる。だけどそれは涼太くんのような人たち――所謂クラスの中でも目立った人たち――を選ぶために実行したわけではない。 波長が合うのはやっぱり、そういうところへ所属していない子たちだった。
なので、私はその子達を友人に選んだ。それでも、クラスの中でも一目置かれているように感じるのだ。
以前のように私を利用しようとする人はいないように感じる。軽んじられていないのだと思う。これだけでも私にとっては大きなメリットだ。 容姿を整えることがこんなにも武器になるとは思ってもいなかった。

「それは...」

 珍しくバツの悪さを感じたらしく、歯切れが悪い涼太くんと話していても会話は弾まないことは容易に想像することが出来たので、 私はさっさと家へと帰ることにした。もともと帰ろうとしていたところに涼太君が居ただけなのだ。

「じゃあ、私そろそろ行くね」

 素っ気無いかもしれないが、他に言葉が見つからなかったのでそれだけを口にして歩を進めた。
だが、意に反して足を止めざるを得ないことになってしまった。後ろから腕を掴まれたからだ。
デジャブを覚えながら振り返れば、予想通り涼太くんが私の腕を掴んでいた。
引き止めるからには何か話があるはずだろう。なのに涼太くんは一向に口火を開く様子も無ければ、私の腕を放すこともない。

「なに?」
「...オレ、そういう意味で言ったわけじゃないから」

 今更弁解するような言葉を口にした涼太くんに、凪いでいたはずの心が少し波立つ。

「じゃあどういう意味」

 苛立ちが隠しきれない声音で問い返せば、何でわからないのとでも言うような視線が返って来た。
そんなのわかるわけがない。咄嗟に頭に血が上ってしまい、掴まれていた手を振りほどいた。
涼太くんが口先だけで誤魔化そうとしているような気がして腹が立ったのと同時に少し頭が冷静になった。

「もういい」

投げつけた言葉は自分で思っていたよりも冷たく感じた。
一瞬、涼太くんの表情が痛みを感じたのかのように歪んだように見えて、胸が罪悪感で締め付けられた。 だけど、口にしてしまった言葉を今更取り返すことはできない。
それらを振り払うように走って、私はその場を後にした。






(20160611)