あれからずっと頭の中をぐるぐると回り続けている。あの忍の男が言った言葉が――

 私にとっては僅か二日、だがあの男にとっては二日もの差があるらしい。こうやってゴロゴロと何をするでもなく、いや ...何もする事がない私から見てみればうらやましい限りだ。苛立たしげに眉を吊り上げていたのを思い出す。
 それにしても久しぶりにまともに人と話をした。私があの男に退治されるまでは会話が出来るのだろうか、と考えて口角が上がる。 そうだ、今日の夜会った時にあの男の名前を聞こう。
くぁっと欠伸がもれた、けれど別に眠いわけではない。これは暇だから出た欠伸だ。じわりと曇った視界で見るのは真っ暗な 埃っぽい何十年と日を浴びていないだろう材木だった。
遠くで人が動いて喋っている騒がしさを耳にしながら目を閉じる、すると目の中に溜まっていたであろう水分が頬を滑った。


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 今が何刻なのか分からないが木と木の継ぎ目の僅かな隙間から漏れていたはずの光が無くなっている事から夜なのだと判断できる。 この暗闇から出るために木の継ぎ目に爪を差し込み、出入り口にするための木を外す。その四角く開いた屋根の穴から体を落とす。
スッと息を吸い込むと埃っぽい空気じゃなく澄んだ綺麗な空気が肺に送られる。それから頭を思い切り左右に振る、埃なんてついていないだろう が、(なんせ屋根裏にずっと私がいるのだから溜まる暇などないだろう)こうしないと気がすまない。
ぼさぼさになった髪を軽く手ぐしで梳かすと、ふと蝋燭がゆれているのが目に映った。
それから間もなく昨日の男の匂いを風が連れて来る。
それに反応するように胸がわくわくとし出し、自分でも浮かれすぎだろうと思ったが風上の方へと足を進める。




 この前のように突然現れたのでもなく普通に歩いて私が現れた事に男は驚いているようだった。軽く片手を挙げて挨拶すれば 益々驚いたようで目を見開いている。
なんて顔だ、笑える。
その手に何もないのを確認してから足を進めるが、その間も昨日の様に刃物を取り出そうとしない。

「おーい?」

 試しに手を男の目の前で振ってみると、慌てたように懐に手を突っ込んだのでそれを阻止するためにその腕を掴む。

「なっ!」
「待て待て、何もしないから」
「...離せ」
「離してもいいがいきなり切りかかってくるのは無しだ」
「...」
「...」
「...分かった」
「よし、じゃあ離すぞ」

 掴んでいた腕を離し少し身構える、けれど本当に切りかかってくる様子のない男に、こいつ私を退治しようとしてるんじゃないのか? と自分で 言っておいて切りかかってこない男に疑問を感じる。

「で、何だ」
「そうだ、お前に聞きたいことがあるんだ」
「...」
「お前名前は何て言うんだ?」
「...は?」
「あぁ、私の名はだ」
「はぁ?」

 意味が分からないと顔全体を使い表現している。面白い顔をしている事に気づいてないようだが目と口が開いていて、 とても間抜けだ。ははは、と小さく漏れた私の笑い声にやっと口を閉じた。

「...何故そんなことを聞くんだ」
「何故って...知りたいからに決まってるじゃないか」

 言葉に詰まるというよりは何と言っていいか分からないという風に黙り込んでしまった男をじっと見る、明らかに困惑して いる様子だ。化け物に名を聞かれたのだから困惑するのもしょうがないだろうな、と考えながらもしょうがない、 なんて自分で自分を慰めているよう気がしてなんだか虚しい。

「山田利吉だ」
「え」

 何を言われたのか分からなかったが、徐々に山田利吉という言葉が頭の中に溶け込んでいった。そしてどうにも笑いだし たくなる衝動が沸き起こる。

「そうか! 山田利吉! 利吉か!」
「ちょっ! 声が大きい!」

 慌てたように伸びてきた手を私は何故か逃げる事もせずに受け止めた。口を覆い隠す利吉の手があまりに暖かくて声が出な くなった。
人はこんなにも暖かかっただろうか。








(20100502)