急がないと陽が暮れてしまう、山賊が出る村というのはここから結構な距離だ。
せかせかと足を動かしていると浅く呼吸を繰り返す音が聞こえた。隣を見れば半ば走る勢いで歩く小さな身体がいることを 忘れていた。歩く速度を落とすとそれに気づいたくんが申し訳なさそうな顔をして私の方を見た。 それに笑みを返すと控えめにだが返してくれる。今から実習があるとは思えないのんびりとした空気が流れた。
そういえば、と口を開く。

「私と君は兄弟ということにしておこう」
「はい」
「誰かに聞かれたら私は兄だ。君は弟」

何が起こるか分からないのだ、出来るだけの予防はしておこうと思い提案してみれば、相手は素直にこくりと頷く。 くんの実習なのだから出来るだけ手を出さないと言われたのだが、これくらいならいいだろう。

「はい...兄上」
「?!」

自分で言ったのに私は何を驚いているんだ。私は兄で彼は弟。自分に言い聞かせていると、何かきらきらとした期待を 含んだ目で上目遣いに見られる。これは言えと言っているのか。一度逸らした視線をそろっと戻せば間違いない、と確信し た。そして観念する。

「...
「はい!」

にこにこ嬉しそうに頬に赤みを加えながら笑っているには、父上の部屋で見せた怯えがなかった。
考えられる原因は、私がこの子――に対して興味がないと言った事なのだろうなと、微妙な気持ちで隣を歩くを 見おろす。興味がないと言われて悲しむなら分かる、それなのには嬉しそうなのだ。
今までこの子に向けられる視線は良くないものばかりだったのだろうか、それを考えて少し、ほんの少し、不憫に思った。




結局目的の場所に着いたのは陽が暮れてからだった。
大木先生の知り合いだというその家は目的の村から外れた所にあるらしく、あたりには家はなかった。
優しそうな老夫婦に 出迎えられ、家の中に招き入れられる。大木先生からどのような知り合いかも聞いていなかったのだが、その老夫婦は昔 忍者をしていたそうで、その時に知り合ったらしい。今はもう忍者を引退し、畑を耕し暮らしていると目尻に深い皺を寄せて笑った 。山賊に村が襲われている事は知っていたのだが、年老いて忍の世界から引退した今では自分達は見ているだけしか出来 なかったと申し訳なそうに、頭を下げられた。その時、に走った視線には「こんな小さい子が」と憐れんでいるよう だったが、それが直接の耳に入ることはなくてほっとした。もしここでの決心を鈍らされるような事を言われれ ば、ただでさえ成功する確率が低い実習がもっと低くなってしまう。だが、そこは元忍ということあってそこの所は心得て いるのだろう。
山賊は山の上の廃寺を拠点にしていると教えてもらい、と二人好きなように使ってくれと言われた小さな部屋に篭った。

「それじゃあ、どうしようか」

すっかりの呼吸が整ったのを確認してから口を開くとが思案するように視線を天井に向けたかと思うと、 真っ直ぐ私を見た。

「えと、調べます、か?」
「何を?」
「山賊がどこに住んでるとか、数とかをです」

自信がないのだろう。途切れ途切れに私の反応を見ながらが言葉を紡ぐ。

「よく知ってたね」

偉い。と笑って褒めてあげると可愛らしくはにかんで授業で習いました。と言う。どうみても雷神の子なんて恐ろしい ものに見えないし、未来から来たのかまでは見ただけでは判断できないが、普通の子にしかみえない。 ただ少し恥ずかしがりやで臆病な所があるかもしれないが別におかしいことじゃない。

「それじゃ、今から調べに行こうか」
「はい」

今日は情報を手に入れるだけにして深入りしない。
それをに言えば真剣な表情でこくりと頷いた。この子も学園に残るため、忍者になるため必死なのだとそのやる気に 満ちた目を見て思った。





山賊が拠点にしている廃寺というのはすぐに見つかった。真っ暗な森の中で一点だけ光が溢れている。そっと屋根裏に 潜り込めば、上機嫌な男達の馬鹿笑いが聞こえてきた。光の漏れている板の隙間から下を覗けば酒盛りをしているらしく、 皆器を持って円になり話をしている。その円の中に大量に食料があるところから想像するに、山賊たちは村を襲ってきた ばかりらしい。数は――多く見積もり二十だろうか。

「二十人ほどでしょうか?」

隣のが囁いた。正解を求め自分に問いかける。小さく頷くとそれを確認してからまた下の様子を観察し始める。

「それにしてもお頭の刀さばきはすごかったよなぁ!」
「あの男もさっさと言う事聞いて娘を差し出してりゃ良かったんだ」
「なら今頃まだこの世かもしれなかったのによぉ!」

聞いていて胸が悪くなるような会話なのに「お頭」だと思われる男を中心にして男達は笑っている。
ちらりと隣の、おそらくこのような会話を耳にしたのは初めてだろう、を見ると眉間に皺を寄せているのが下からの光 によって見えた。それでもじっと下の様子を観察している。そのまま出入りできる場所など、この寺の中の見取りを頭に叩 き込み、帰ってからにちゃんと覚えているか試そう、と考えていた時。
今まで男の低い声しかしなかったのだが女の叫ぶような甲高い声が耳を貫いた。
それにはも気づいたようで、こちらを見ながら耳に意識を集中させているのが分かる。下の連中には聞こえていない らしく、相も変わらず馬鹿笑いだけが聞こえる。その耳に入り込んでくる雑音を払いのけ意識を寺の外へと向ける。 すると、がやがやと何人かの男の声に混じって女の声が聞こえた。どうやらそれはこの寺に近づいてきている、と判断し て、どうしようかと指示を仰ぐにどうせここに来る、という意味を込めて首を振った。

間もなくして「やめて!」と叫ぶ女を連れて五人の男達が寺に入ってきた。女、というよりは娘という位の年齢だ。
右の頬が腫れ上がっている所と、着物が汚れていて所々破れてる所から抵抗したが掴まったのだろう。両手を後ろで縛られている娘は 男に押され「山賊の頭」の前に突き出された。途端馬鹿笑いばかりしていた空間に嫌な物が漂ったのを肌で感じた。 仕事柄何度も見たことがある光景のはずなのに、未だ慣れることは出来ない。この後の展開など簡単に想像出来る。 もう十分に下調べは出来ただろう。わざわざ嫌な光景を見ることはない。そう思い隣を見ると、はじっと下の光景を 見ていた。何の表情も浮かんでいない顔は淡々と成り行きを見ているように――見えた。

「いやっ」

娘の悲鳴染みた声に怯む事なく男たちは下品な笑みを浮かべ、じろじろと娘の身体を嘗め回すような視線を向けている。 気分が悪い。一刻も早くこの場から去りたいのだがはここから動く様子はない。今ここで見ることがなくとも、いず れは見ることになるだろうと思うと、この場でだけその光景から目を逸らすのでは意味があるのか?
悩んでいる間にも下では娘に向かって汚い男達の手が伸びていた。
いやっ!と金切り声を上げる娘は床に押し付けられていた。ちょうど押さえつけている山賊の頭のせいでその姿は確認すること は出来ないが声は拒絶から懇願に変わっていた。そして時折すすり泣く声がまじっている。
ぎり、
隣から聞こえた音に視線をやれば、が歯を食いしばっていた。やはり、このような子供に見せるべきではない。と やっと判断を下す事が出来、に声を掛けようとしたとき、それよりも先にの声が遮った。

「利吉さん、すみません」

囁くように、けれど憮然とした響きを持ってが言葉を吐いた。あまりにもの印象とは違う雰囲気に目を瞬いている 間にその姿は消えた。

「その人を離せ」

その声に弾かれ声の聞こえた下を見ると、が山賊達の中に立っていた。現状を理解し体中の血が冷えたような感覚に陥る。 「バカっ」呻くように口から零れた言葉は誰の耳にも届かなかった。





(20100105)