あの日から先輩は何かと私に声をかけてくる。 "あの日"というのは先輩が七松先輩に強引に体育委員会に参加させられた日のことだ。というかそれまで私は先輩 と接点もなかったので直接話をした事など皆無に等しい。だが、噂や三木ヱ門の委員会の先輩ということもあり一方的に 先輩の話は耳に入ってくる。 「滝夜叉丸」 後ろから声を掛けられ振り返るとにこにこと満面の笑みを浮かべた先輩がいた。純粋に私と会うことが出来て嬉しいと 顔いっぱいで表現する先輩に私は戸惑った。自分で言うのもあれだが、こういうことは珍しいのだ。 「こんにちは」 「こんにちは、今から授業?」 相変わらず顔に笑みを浮かべて先輩は私の前で立ち止まった。私のほうが背が低いので必然的に上を見上げる形になっ てしまう。 「はい、座学の授業が」 「座学か、お昼を食べてからだと眠くなるんだよね」 「先輩は?」 「私は今から実習ー」 めんどくさいと言いたげに嫌そうに顔を歪めている。なんというか、解りやすい先輩だ。 そういえば先輩は実習の実力はどうなのだろう。何が得意だとかそんな話は聞いたことがない。会計委員会では計算は速い のだが書き写すのが雑で潮江先輩に怒られる事がたびたびあると三木ヱ門が言っていた。 「ー! 行くぞ!」 曲がり角の壁から竹谷先輩が出てきてちょいちょいと手招きする。それに先輩は右手を軽く上げて返事を返した。 これ以上は悪い(というより先輩が引きとめたのだけれど)何より私も授業に遅れてしまう。 「じゃあ、頑張って」 その言葉と一緒に頭を優しく撫でられる、七松先輩とは正反対な優しい手つきに驚く。去っていく先輩は目を細めて僅かに 笑っていた。長い髪が目の端を流れていくのがなんだかゆっくりに感じられた、先輩の後を追って振り返ったがすでに 影さえも去った後だった。 さっきまで触れられていた頭に手を置いてみる。これが七松先輩だったならせっかくきれいに結ってあるのをぐちゃぐ ちゃにされている所なのに朝と変わらずきれいに結われたままだった。 「知り合いだったの」 耳元で聞こえた声にびくりと体が跳ね上がる。別にやましい事も何もないのだが冷や汗が溢れて隣を見ると、いつもの飄々 とした何の感情も顔に浮かべていない喜八郎が立っていた。 「き、き、き、喜八郎いつからそこにいた!!」 「さっき」 「さっきだと?!」 「うん、先輩が滝に話しかけたあたりから」 「それはつまり最初からだろう!?」 別に何もなかったのに私と先輩のやり取りを見られていたのだと思うと体から火が出るほど恥ずかしい。 何故なのかと自問自答する暇もなく、授業が始まる鐘の音が響いた。 ひとまず頭を切り替え、まだ何か言っている喜八郎を引っ張り教室へと急いだ。 昼からの授業には結局遅れてしまい、罰として教室の掃除をさせられ。その後の委員会では地獄のバレーボール、裏裏裏...山 までのマラソンとハードすぎるほどの予定をこなし。(まだ塹壕がなかっただけましなのだが) 私は疲れきっていた。このまま眠りに着きたいところなのだが成長 盛りの腹は空腹を訴えるので晩ご飯を抜こうとは思わなかった。疲労困憊の体を引きずり食堂へと歩いている所、いつ も食事を共にするメンバー、喜八郎、三木ヱ門、タカ丸さんと偶然出会いいつもどおり食堂のおばちゃんに注文をし、いつ もどおり食事をしていた。だが、いつもと違い食堂はがらんとしている。 ちょうど食事時からずれたようでいつもどおりの騒がしさとまではいかなかった。 「それにしても滝夜叉丸くん泥だらけだね〜」 タカ丸さんの間延びした声がいつもより広く感じられる食堂に響き渡る。タカ丸さんは箸を咥えたまま私の事を上から下 まで遠慮なく見つめた。それに三木ヱ門も言葉を続ける。 「どこまで行って来たんだ?」 「裏裏裏山までだ」 「授業が終わってからでしょ? 大変だったねー」 「もしかして塹壕も掘ったのか?」 「いや、塹壕はなかったがバレーがあった」 思い出すのも嫌だと遠い目をするとタカ丸さんの「うわぁー」と言う声が聞こえた。三木ヱ門は口では何も言わないが目が 哀れな物を見る目だった。喜八郎はというともくもくと皿の中の肉じゃが定食を食べ続けるだけで何のリアクションも 返ってこない。決して同情して欲しいわけではないのだが何も反応が返ってこないのもそれはそれで嫌だ。 「なに?いらないの」 じっと見ているとそれまで肉じゃがしか目に映さなかった喜八郎が私を映した。けれどそれも一瞬の事ですぐに視線は肉じゃがへ と戻された、それも喜八郎の肉じゃがではなく私の肉じゃがにだ。そして私の皿の中の形のきれいな煮崩れ していない大きいじゃがいもを箸で刺し器用にもそのまま自分の口へと放り込んだ。もごもごと口を動かし何もなかったかのよ うにまたご飯を口に運び始めた喜八郎を信じられない気持ちで見つめる。 「...なにをするんだ」 「いつまでたっても食べないからいらないのかと思っちゃった」 淡々と私の問いかけに答える喜八郎になんだか脱力して何も言う気になれずそのまま黙って肉じゃがの器を見つめる。 器の中には喜八郎に食べられたじゃがいもがなくなったせいで、ぽっかりと穴が開いている。 「あれ、三木」 「先輩」 聞き覚えのある声に体がびくりと反応する。その後には三木ヱ門が気のせいでなければ弾んだ声で返事を返した。 「遅いね、今食べてるの?」 不思議そうな顔をしながら先輩が近づいてくる。私は急に昼間の先輩に頭を撫でられた感触を思い出し反射的に またぽっかりと穴の開いた肉じゃがの器へと視線を戻す。 「はい、授業が少し長引きまして」 「そっか」 「先輩は実習だったんですか?」 「そうなんだ、聞いてくれよ! ここ破れちゃってさー!」 それもこれも全部三郎のせい。ぼそりと小さな声で先輩が付け足すとすぐに鉢屋先輩の「あほ! なんで俺のせいなんだよ」 と言う声が返ってきた。 「えぇー?」 「それはお前がよそ見してるのが悪いんだろ」 鉢屋先輩の言ったとおりだったのか、そろりと顔を上げて先輩の方を見てみるとなにやら口の中でもごもごと言って いる。まるで拗ねた子供みたいな反応に笑いそうになってしまう。口が笑いそうになるのを我慢していると先輩と 一瞬目が合った。しまった。と思ったときには先輩が私の名を呼んだ後だった。 「滝夜叉丸、泥だらけじゃないか」 「...はい」 「体育委員だったの?」 「...はい」 一直線に降り注がれる視線に居心地が悪くて頬を掻いてみる。頭に思い浮かぶのはやはり昼間の出来事。どうにか頭の中 から締め出そうとすればするほど、考えてしまう。あぁ、私は一体どうしてしまったのだ! 「そうか...体育委員の辛さはこの前身をもって体験したからな」 「はぁ」 「...途中参加だったけどね」 「そうですね」 「お?」 「?」 「おそろいじゃないか!」 突然先輩が嬉しそうに笑いながら声を上げた。くいくいと左の腕の部分の装束を引っ張られ見てみると、いつのまにか 装束がぱっくりと破れてしまっていた。一体いつの間に! と驚く私をよそに先輩は、その穴から私の腕をつついてくる。 「な、なんですか」 「私とおそろいだ」 「ほら」そう言って先輩は左腕を見せにきた、私とまったく同じ場所の装束が破れていて先輩の言うおそろいの意味が 分かった。装束の色(と埃っぽさ)を除けばまったく同じ装束になっていたかもしれない。何がうれしいのか先輩は にこにこと笑っている。その裏のない笑みが私にずっと向けられていて思わず徐々に目を逸らす。 「! 食べないんだな?!」 「えっ! 食べる食べる」 竹谷先輩の声に返事を返した先輩はじゃあね、と一つ笑みを零して去っていった。 あの時は七松先輩が嵐のような人なので気づかなかったが、先輩も結構騒がしい人だったんだなと新しい先輩の 一面に唖然としながら、思わず昼間撫でられた頭に手をやると周りの視線が全て私に向けられているのに気づいた。三木 ヱ門などは目を吊り上げて私を睨みつけてくる。 何故私が睨まれなければならないのだ。 「なんだ?」 「...さっさと食べろ! とろくさいな」 「なにぃ?!」 「じゃあ、とろい滝の変わりに私が食べてあげる」 「いらん! やめろ喜八郎!!」 「あっ、僕も食べるの手伝ってあげるよー」 「タカ丸さんまで!」 (20100201)友好的な先輩に戸惑う滝夜叉丸。 |