「あっ、善法寺先輩!」

輝く笑顔で手を振るのは最近仲良くなったくんだった。晩ご飯を食べ終わったらしく僕とは反対に食堂から出て行くところらしい。 にこにこと嬉しそうなくんにつられて僕も自然と笑顔になる。

「この間先輩に頂いたアレ、おいしかったです」

声を小さくして僕だけに聴こえるように手を僕の耳にかざして話しかけてくれているのは、内緒だよ。と言った事を忠実に 守ろうとしているのだと分かった。小さな子がする内緒話みたいだ。

「よかった」
「今度お礼しますね」

茶目っ気たっぷりに笑って、くんは跳ねるようにして走っていった。その際、後ろにいた仙蔵に反応してびくりと体を震わせ、 文次郎に挨拶していき、長次に会釈し小平太からはそそくさと逃げるようにしていった。
ただの飴玉なのに、わざわざお礼なんていいのにと思いつつ本心は一体彼が何をお礼してくれるのか楽しみだった。

「お前、に嫌われてるかもって言ってなかったか?」

隣を見れば留三郎がわけが分からないと言いたげに片方の眉を吊り上げていた。そういえば嫌われているかもと話してから それが誤解だったと話すのを忘れていた。留三郎の中ではまだ僕はくんに嫌われてるかも、と言っていたあの夜のまま なのだ。あれは留三郎の言うとおり、僕はくんに嫌われてなんていなかった。

「うん、けど僕の勘違いだったみたい」

誤解していた自分が恥ずかしくて苦笑を浮かべると留三郎が得意げに頷いた。

「だから言ったろ?」



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「文次郎、お前、の先輩なのにな」

いや、委員会での先輩と言うべきだな。先輩と言えば私もここにいる全員もそうだ。
ご飯も食べ終わり最後にお茶を啜っていた時だ。にやにやとした笑いを浮かべて仙蔵が嫌味っぽく文次郎につっかかる。 それにムッとしたらしく一瞬眉を吊り上げた文次郎はハッとしたように表情を戻した。そして何事もなかったかのように 茶を啜る。

「驚いたように飛び上がって、形だけの挨拶をして逃げるように走って行ったな」

飛び上がったのは文次郎のせいじゃなくて仙蔵のせいだろう、と心の中でつっこむ。ついでに言えば逃げるように走って 行ったのも仙蔵のせいで小平太のせいだろう。
けれどわざわざ文次郎から矛先を自分に向けたくはないので黙っていた。それは皆も同じようで誰一人口を挟まない。 それでも文次郎は相手にしないと決めたようで、黙って茶を啜っている。仙蔵は面白くなさそうに舌打ちをしてから今度は 僕に視線を向けた。

「そういえば伊作はといつ親しくなったんだ?」
「え? うーん。最近」
「ほぅ、何がきっかけだ?」

きっかけと言うとやはりくんが隠し通そうとしているあの薬の話になる。本人があんなに秘密にしたがっていて、その上 多分彼と仲のいい同級生たちだって知らない事だと思う。ここで僕が喋るわけにはいかない。それにくんは僕のことを信用 してくれているのだし、あんなに懐いてくれた。

「うん、保健室に怪我したからって来た時だよ」

良くある話だ。その返事は正解だったようで仙蔵は途端に興味を失ったようだった。にやにやとした笑みを浮かべ隣の文次郎に 「伊作は傷の手当てをしただけであんなに懐かれたらしい、やられたな文次郎」だとか言っている。文次郎は拳を握り、それ でも無視を決め込もうとしているらしい。
その時だ、小平太が何杯目になるのか分からないどんぶりご飯を食べ終わったらしく 勢い良くどんぶりを机の上に置き、口の中の米粒を飲み込むように茶を勢い良く流し込んだ。それから盛大に「ぷはー」と 声を上げたかと思うとそれも机の上に置いた。

「私もと仲良くなったぞ!」

大きい所作で口元を装束で拭った小平太に仙蔵が興味深そうに文次郎から意識を外した。文次郎も初耳のようで小平太に視線を 移した。全員の視線を受けることに満足げに一つ頷いた小平太が口火を切った。

「この間、暇そうにしていたから我が体育委員会に参加したんだ」
「...ちなみにその日のメニューは?」
「塹壕を掘ってマラソンだ。けどはマラソンからの参加だった!」
「うわぁー」

僕が声を上げ顔を顰めると皆、声は上げずとも顔は顰めていた。災難だったなぁ、と普段ぼろぼろにされている体育委員会の 姿を思い出す。マラソンだけと言ってもどうせ小平太のことだ、裏裏裏裏...どこまで裏が続くのか知らないが相当な距離を 走らされたんだろう。

はなかなかの奴だった」

うんうん、と頷きながら小平太は腕を組んでいる。本当に気の毒だ。小平太に気に入られたなんて...。心の中でくん に同情していると小平太が思い出したようにパッと立ち上がった。

「そうだ、文次郎!」
「なんだ」
をうちにくれ!」
「...はぁ?」

文次郎は間抜けな顔をしたけど、他の皆の顔も間抜けな物だった。長次を除いて。ただ一人小平太だけは嬉しそうな顔をしている。

「みんなに懐いていたし、私も気に入ったんだ!」
「ちょ、ちょっと待て!」
「後輩の面倒もみるしな! あの滝夜叉丸がうざくないらしい! 貴重な存在だ」
「それは貴重な存在だ」
「仙蔵、そこじゃないだろ」

隣の留三郎が仙蔵に的確なつっこみを加えた。後輩である滝夜叉丸をうざがるなんていけないことだとは思っているけれど、 あのうざさはどうにもならならい。くんはどちらかと言うと親しくなってから子供っぽいイメージがあるのだけれど、 意外に大人なのだろうか。なんだかまだしっかりとくんの実態が掴めていないよう気がする。

「それに、は会計の後輩はかわいいと言っていたが文次郎のことはアレだと言っていた」
「!」

ショックを受けたらしい文次郎は打ちひしがれたように口をぱかりと開けた。その間抜け面にすかさず仙蔵が噴出す。

「文次郎...お前、くっくくっ、あぁーなんてかわいそうな文次郎!!」

全然かわいそうとは思っていないだろう。仙蔵は目尻に涙を溜めて笑っている。机をバンバンと叩いて苦しい! と声を 上げた。けれど大笑いしている仙蔵と一緒になって笑えるわけもなく、文次郎が何だかかわいそうになる。留三郎も同じ 気持ちだったらしく、そっと文次郎の湯呑みにお茶を注いで上げている。長次は表情はいつも通りだけれど、ポンポンと 文次郎の背中を叩いて慰めてあげている。

「だからうちにくれ!!」

小平太はたった今、文次郎をずたずたにしたことなど気にしていないらしく無邪気な笑みを浮かべて依然その主張を曲げない 。それに仙蔵が待ったと言うように挙手した。

「それなら作法に欲しい」
「何で作法に人員が要るんだよ? そんなのうちが一番欲しい、俺の下は三年の作兵衛になるんだぞ!」

ここぞとばかりに皆、自分の委員に欲しいという主張を始めた。留三郎の言葉にすかさず僕も手を上げた。

「そんなのうちだって僕の下は数馬だよ! うちだって欲しい!」
「伊作のとこは新野先生がいるだろうが!」
「そうだーそうだー!!」

...小平太はとりあえず黙って欲しい。
やかましく皆言いたい放題に喋っていると、仙蔵が突然机を叩いた。自然と皆そこに注目する。 すると勿体付けるようにゆっくりと腕を組み仙蔵が得意げに鼻を鳴らした。

「言っておくが私のところは楽だぞ?」
「.......」

シン、とさっきまであんなにうるさかったのに静まり返る。
作法が楽だとは分かっているが仙蔵は何故そんなに自慢げなのか理解できない。他の皆も戸惑ったように視線をうろうろさせている 。だがそんな中で文次郎は流石、普段から行動を共にしている事があってすぐ反応を返した。 どうやら先程の小平太の発言からは立ち直れたらしい。

「それが何だ、自慢することじゃねぇだろ!」
「何を言っている文次郎、は楽な所に行きたいに決まっているだろう。だからうちに来る」
「お前のとこなんて行くわけねぇだろ! 恐がってんのに」
「なに? が私を恐がっているだと?」
「どう見ても恐がってんだろ!」
「薄々気づいてはいたがな......あぁ、私はこんなにも可愛がってやっているというのに!!」
「お前の可愛がり方は異常なんだよ!」

その異常な可愛がり方というのには、そう発言した本人である文次郎も含まれているだろうことはここに居る傍観者一同 からすれば一目瞭然だ。文次郎は気づいていないかもしれないが、いや、気づいてないのではなくて気づきたくないの かもしれない。そして仙蔵は、薄々なんて言いつつ絶対にくんに恐がられていることに気づいている。だが、それが ますます異常な可愛がり方に拍車をかけてしまっている事にくんも文次郎も知らないだろう。

「とりあえず!」

文次郎が埒が明かないと思ったからか、これでこの話は終わりだと言うようにお盆を持ち、立ち上がった。じろりと不機嫌 丸出しの顔で全員の顔を睨みつける。誰一人反応を返せずにいると...

はどこにもやらん!」

大声で怒鳴り、不機嫌なのを表すようにわざとドスドスと足音をたてておばちゃんに食器を返し、そのまま食堂を出て行った。
「ちぇー」
小平太が拗ねたように口を尖らせた。





(20100208)