くんが縋る様な目で僕を見ていることには気付いていたけれど、この問題には僕はつっこむべきではないと判断し、 そのままくんの視線を振り切って保健室を出た。
途中、会釈する四人に視線だけで答えつつ、彼らはどういう結論を出すつもりなのだろうか考えた。
戸のすぐ横の壁に背を預け立っているのは、別に中の会話を盗み聞きしようと思ったからじゃない。もし、何か問題があっても すぐに駆けつける事が出来るし、何より新野先生が来た時に僕が居た方が色々と便利だろうし。
........色々と後付けをしたけど、正直に言うと気になるのだ。
保健室の中の音に耳を澄ますとくんが何故、男装をすることになったのかの経緯を話し始めたところだった。これは 僕が聞いてもいい話だろうかと躊躇するも、先ほどくんはこの話を僕にしてくれるつもりのようだった。それなら...と 実に自分勝手な結論を導き出して僕はくんの話に耳を傾けた。

「伊作くん?」

はっとして振り向くと新野先生がこちらに向かって歩いているところだった。新野先生の後ろには小松田さんが泥で汚れた 姿で立っていた。(きっと転んだのだろう)

「小松田さん、ありがとうございます」

頭を下げてお礼を言えば、小松田さんは少し嬉しそうな表情をした。けれどもすぐに厳しい深刻なものへと表情を変え「 くんは大丈夫?」と問いかけてきた。小松田さんはくんを担架で運んでいる所を見たから重症なのだと思っている ようだった。その問いには新野先生も興味があるようで一緒になって僕の返答を待っている。

「あ、はい。今はもう起き上がってます」

せっかく新野先生を呼んで来てもらってきたのに。
せっかく学園に引き返して戻ってきてもらったのに。
と、思うと申し訳なく思ったけれど小松田さんも新野先生も「それなら良かった」と笑っただけだった。
「それじゃあ僕は仕事残ってるから〜」といつものにこにこした笑みを浮かべて小松田さんは帰って行った。こけて擦りむいた らしい膝と手の平に塗る薬だと言って新野先生に渡されたそれを右手に持ってぶんぶん手を振る姿に、その薬を誤って投げて しまったりしないだろうか、とヒヤヒヤする僕と新野先生の気なんか知らないだろう小松田さんはまたしても何もない所で 盛大にこけた。


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「それでくんは?」

新野先生が言ったその一言の中には色々な疑問が含まれている事には察しがついた。
くんの病状は。保健室の中で何をしているのか。そして、こうなった経緯。それら全てが含まれているんだろう。

「木から落ちた時に頭を打ったらしいんですけど、下が土と枯葉のおかげで大したことはないみたいです。木から落ちた原因 は貧血で気を失ったからのようです。今は意識もしっかりしています。それから...」

何故こうなったのかの経緯について話すと先生は頷いた。

「大体は分かりました」
「それで......」

その後に続くのはくんが女の子だった事を知ってしまった、と言う話だった。けれど、その話をしようと重い口を開 こうとすると新野先生が全て分かっているように頷いた。

「こんなに長く隠す事が出来るとは私は思ってませんでした......もっと早くに気付かれるものだと思っていました。くんもきっと そう考えていたでしょう。」

自然な流れだったのだと言う新野先生はそのことについてくんと話をした事があるのかもしれない。 驚いた様子どころか、新野先生には今回の出来事が全て予想出来ていたようだ。その上で僕に、この事を隠し通す事は 無理だったのだと言っているのだ。けれど、僕がくんが男ではなかった事に気付いたのは 、今回の事が原因じゃない。自分の考えに確信を持ったのは今回の出来事だったが、それよりも少し先に気付いていた。

「何故僕に...薬をくんに渡す役目を頼んだのですか?」

疑問のままに口を開くと、言葉が続けて出てくる。

「...僕がその事に気付いたのは今回の事が原因じゃないんです。くんが薬を取りに来る毎月の日にちを考えてたら 気付いたんです」

月のものの薬は別に先に多い目に渡しておけば済むはずの話なのに、何故わざわざくんの秘密を僕に知られるかもしれない という危険を冒してまで僕に新野先生が薬を渡す役目を頼んだのか分からない。危険な薬ならもしものことを考え、用心する 必要もあったかもしれないが月のものの薬はそんな危険のものというわけでもない。だからこそ分からない。 果たして、意味のあることだったのだろうか?

「...くんの秘密について知っているのは学園の中では私を含めて、先生方や食堂のおばちゃんしか知らないんです。 くんに近い立場には誰も居ません。」

くんと一番近しいはずの五年生たちでさえも知らないのだから事情をあまり知らない僕でも、新野先生の言葉は納得できる。

くんはああいう性格でしょう。悩みがあっても口にしないというか...今回の事も体調が悪いのに我慢していた みたいですし。なのでもっと近い立場の忍たまに一人ぐらい事情を知っている人が居た方がいいんじゃないか、と私が お節介にも思ったんです」

確かに新野先生の言うとおりくんは何もかも自分一人で背負おうとばかりしているようだという事には僕も気付いていた。 実際には、背負う以外に選択肢が無かった問題だってあったかもしれない。秘密は誰にも知られていないからこそ、秘密 なのだから。
だけど、事情を知っている新野先生からしてみればその姿は痛ましいものに見えたのかもしれない。
何故わざわざ新野先生が僕に、くんの秘密をちらつかせたのか理由が見えてきた。

「だからと言ってくんに近すぎる人達に知られるのは本人が嫌がりますから、適度に距離がある人じゃないといけません。 後は私の独断で伊作くんに決めさせてもらいました。」

結果的には少し遅くなってしまったのですが。
苦笑と共に続けられた言葉は僕以外にも、今保健室の中に居る...くんに近い人たちに該当する五年生達にも知られる 事になってしまった事を指しているのだろう。

「...秘密を共有するというのは責任があり、誰にも漏らしてはいけないという重荷を背負う事になります。 それを分かっていながら伊作くんの許可も得ずに君を巻き込みました。
......すみません。」

頭を下げる先生にギョッとして慌てて手をふる。僕は別に問題に巻き込まれただとか、そういう風には思っていなかった。 彼が彼女だった事に気付いたときはただ呆然としていたが、涙を流して声を漏らさずに泣くくんの姿を見て、この子 の力になりたいと思った。もちろんその時の一時的な感情ではない。
やっと頭を上げてくれた新野先生が再び僕に向き直った。その様子に、まだ話は終わっていないと気付き、僕も姿勢を正した。 保健室の中からはポツポツとくんの話す声が聞こえる。それにも耳を傾けつつ、新野先生の話も聞く。

「伊作くんはくんの秘密を知ってどう思いましたか? 怒りを感じたりはしませんでしたか?」

何気ない風を装っている問いだが、僕は気付いた。
新野先生は僕がくんの秘密の共有者に相応しいのか判断しようとしているのだ。

「...最初は実感が湧かなくて驚いただけでしたが、冷静になってきている今も怒りは感じません。ただ...」

一度言葉を途切らせ、今から言う事は本心なのか、自分自身に問いかけ確信を持ってから僕の次の言葉を待っている新野 先生の目を見返しながら言葉を紡いだ。

くんの力になりたいと思っています」

言葉にしてみると改めてその思いが強くなった。今まで騙していてごめんなさいと涙ながらに謝ってきたくんはこの事 に罪の意識を感じながら生きてきたのだ。その姿から悪戯に男装をしていたわけではないことが分かる。
保健室の中から聞こえるくんの話はまだ核心を語ってはいなかった。それでも僕はその理由がどんなものであろうとも くんの力になりたいと思った。
今まで僕が見てきた、くんはくんなのだから。

「ありがとう」

新野先生は優しい笑みを浮かべて嬉しそうに僕を見た。この事については正しいも間違っているも無いのかもしれないけれど 、僕の言葉は新野先生が望んでいたものだったのだろう。新野先生の表情を見ればよく分かる。僕もつられて口元を緩めた。

「だから伊作くんに頼んだんです」

最後の言葉は先生の独り言だったのかもしれない。一人頷く新野先生を見ながら、僕は新野先生に選ばれた事を嬉しく 思った。





(20100704)