「きゃっ!雷蔵先輩!」

借りてあった本を小脇に抱え、図書室への道を歩いていた時だ。後ろから聞こえた高い声に足を止め振り返る。 そこには先輩なんて言ってたくせに僕と同じ年のがいた。口の端を上げ瞳は何かを期待したように光って いる。

「可愛い女の子だと思った?」
「思わないよ」
「おもしろくないなー」

たんっ!と機嫌を表すように床を強く蹴りながら一歩一歩僕のところまで歩いてくる。後一歩で隣に並ぶとなったときに 軽く飛んだ。

「図書室に行くんですか?」

女の子と思われなかったのが悔しいのか、高い声を出して上目遣いに下から覗き込んでくる。可愛い女の子とやらを演じようとし ているようだ。頷くと「私も一緒に行っても良いですかぁ?」なんてまだ頑張ってる。のは過剰に演技しすぎていて 自然さがないと思うよ。と思ったことを言えばそれを追求して付き合わされるのは目に見えて分かっているので 敢えて何も言わない。見た目だけなら女の子みたいなのにな、と何かぶつぶつ言っているを横目で見ながら思う。 これを口にすればはむっつりと黙り込んでしまうので間違っても口にしようとは思わない。三郎あたりならばわざと 口にして不機嫌なをからかうだろうけれど。
少しくノ一教室の子たちに指導してもらう必要があるみたいだ。僕たち忍たまに親切を装って毒団子やらを差し出す時の 彼女達の演技を指導してもらえば完璧に女の子になるだろうに。
 足を動かし歩き始めるともつられる様にして隣をついてくる。 未だに何かを呟いているが目を擦った。何気ない動作でいつもなら流してしまうのになぜか気になった 僕は頭の中での最近の予定を順に追ってみた。

「ねぇ」
「ん?」
「眠いんだったら寝てきたら?」
「いや!この前雷蔵が言ってた本読みたいもん」

駄々をこねる幼い子供みたいに口を尖らせて目を擦っている。よく見れば 目の下には潮江先輩みたいな濃い隈が出来ている。それに歩き方も何だかフラフラしてる。髪だってぼさぼさだし、何より も疲れきった顔をしている。 三日間の任務を終えてから続けて会計委員会があったのだから、こうなったのも頷ける。

「三郎たちは?」
「しらない」

あの三人が居たら無理やりでもを寝かしつけようとするだろうに…会計が終わってから真っ先に僕の所に来たんだろう か。そう考えるとちょっと、ほんのちょっと、優越感。

「雷蔵は今日はカウンター?」
「うん」
「そっか」

それきりは黙っていた、僕も黙って図書室までの道をただ歩いた。
 やっと着いた図書室は当たり前だが、がらんとしていて人の気配が無い。つんと鼻をつく匂いは図書室特有のものだ。 はさっそく棚を物色し始めたので僕も取り合えずカウンター へと向かう。貸し出しカードもきれいに整頓されてあってすることが無いのを確認してから、読みかけの本に手を伸ばし 開く。そうやっていつの間にか本に夢中になっていると、お目当ての本を見つけたらしくその本を手に持ってがこち らに歩いてきている所だった。

「貸りるの?」
「うん」

机に置かれた本の表紙はこの前まで僕が読んでいたものだ。面白かったのでにも勧めたらさっそく借りる気になった らしい。カードに名前と日付、借りた本の名前を記入する。それから返済日の日付を書き込みながら「分かってると思うけど 一週間だよ。返済まで」と告げる。「へーい」気の抜ける返事に苦笑しつつ本を渡す。は受け取ってからきょろきょ ろと周りを見回してから(誰も居ないのを確認しているようだ)カウンターの机をひょいと飛び越えてきた。 注意する間も与えない一瞬の出来事で、瞬きした次の瞬間には僕の隣に何事もなかったかのように腰を下ろして座ってい た。

「ここで読もーっと」

咎める視線を向けるがは気づかないふりをして目を合わせようとしない。小言を言うまででもない事なのでそのまま 放っておく事にする。 狭いカウンターの中ではどうすればより快適に本を読めるのか色々試行錯誤しているらしく、動いて落ち着かない。 僕はそれを横目で見ながら本に視線を落とす。文字の列を目でなぞりぺらりと紙を捲ろうとした時、背中に重みが加わった。

「重いよ」
「ここが一番いいんだもん」

非難めいた言葉を言ったというのには気にした様子などなく、僕の背中にもたれかかってくる。 しょうがなくそのまま続きを読むのを再開した。心地いい暖かさが背中にじわりと広がってくる。それと一緒にの 呼吸する振動まで伝わってくる。
はしゃぐ一年生たちの声が遠くに聞こえる。








僕との背中の境界線が曖昧に感じるほど長い間そうやっていると静かに引き戸が音をたてた。
すっかり本の中に引き込まれていた、はっとして現実に引き戻された。閉ざされていた空間に侵入者が入ってきた感覚に胸の中には 不満が沸き起こる。その感情を奥に押し込んで落としていた視線を上げ誰が入ってきたのか見てみる。

「なんだ、誰も居ないのか」

しん、と静まり返った部屋に涼やかな声が響いた、立花先輩だ。
珍しい人が来たな。と手に開いたままの本を手元にあった適当な紙を挟み閉じる。 (貸し出しカードなどを見てみると、本はよく借りに来ているみたいだが、自分が当番の日にはあまり見ない。となると 何か急用な本を借りに来たのだろうか)

「その後ろのは....か」

背中合わせのが答える様子が無いので僕が仕方なく返事を返す。「そうです」けれどそれが気に入らなかったのか立花 先輩は右の方の眉をくいっと持ち上げこちらに近づいてきた。これ以上機嫌を損ねるのは得策ではないと肩を揺らし、 に伝える。口元にはどうにか誤魔化そうと笑みを浮かべる。

「おや、寝てるじゃないか」

腰を曲げ上半身だけカウンターの中に入ってきた先輩が驚いたように声を上げた。僕も背中を出来る限り動かさな いよう気をつけながら首を曲げるとちょうど髪の中に顔を突っ込んでしまった。の顔は見えなかったが変わりに立花 先輩のにやにやと弧を描く口を見てしまい後悔した。 無防備に寝ているが珍しいのか立花先輩はそこから動こうとしない。僕はそれをに伝えようともぞもぞと動いて みる。
果たしてこれはのためなのか、さっきから面白くないと感じてしまっている僕のためなのか、わからない。

「...あんまり見ないでくださいよ」

寝起きだからだろう、少し掠れた声でが言った。内心ほっと息を吐く僕とは反対に立花先輩は面白くなさそうだ。 この人はの目が覚めなかったらなにをするつもりだったのだろう...。とその不満げな顔を見て考えてしまう。

「起きたのか」
「そんなに見詰められちゃ、起きちゃいますよ。」

僅かに迷惑そうな響きを含んだ声で返事をしている。それでもいつもの朝の不機嫌さに比べればだいぶマシなのだけど。 背中の重みが移動したのを感じてから振り返る。するとちょうどが大きなあくびをしながら目を擦った所だった。 。
立花先輩は急に興味がなくなったらしく、さっさと本を探しに行ってしまった。

「雷蔵の背中ぬくいから眠くなる。」
「僕のせいなの?」
「うん」

寝起きの割には機敏な動きで立ち上がり、肩が凝ったのか首を回している。コキッと小気味のいい音が首から鳴った。 さっきまでが漂わせていたダルイ雰囲気が幾分か薄らいだように見える。少し寝てさっぱりしたのだろう。凝り固まっ た筋肉を解し終えたのか「よいしょ」と掛け声をあげながら僕の隣に座り込んだ。 窓から差し込む夕日での顔は橙色に染まっている、そういう 僕の顔も染まっている事だろう。カウンターに頬杖をついたの目はまだ僅かに眠そうで、とろんとしていた。
一年生たちの声もいつの間にか聞こえない、そろそろ皆夕飯を食べに行ったのかもしれない。そう考ると自分が空腹である ことに気が付いた。

「お腹減ったなー」

ぽつりと囁くような声が聞こえて隣を見るとの方もちょうど僕を見ているところだった。今考えていた事と同じ事を 言うものだから、心の中を読まれたかのような錯覚に陥る。

「雷蔵もお腹減らない?」
「減ったねー」
「じゃ、ここ閉めたら食べに行こうよ」
「そうだね」

嬉しそうに顔を綻ばせたにつられて僕も笑った。ゆったりとしていて何処かこそばゆい雰囲気に笑みが深くなる。

バコンッ

「ぎゃっ!」
「これを借りよう」

大きな音を鳴らせての頭の上に三冊の本が降ってきた。それまでの雰囲気もぱちんと弾けて消えてしまった。 その原因の立花先輩は心底楽しそうな顔をして本をの上からカウンターの上に移動させた。(中在家先輩が居なくてよ かった...)よっぽど痛かったのかは少し涙を目に浮かべて頭を撫でている。 文句ありげに睨むに立花先輩の笑みは深くなる。完全に傍観者の立場の僕は苦笑いを浮かべながら思う。そんな顔し たら立花先輩の思うつぼなのに。 は他人の心情を読むのがとても上手いくせしてこういうところは鈍い。だからこうやって立花先輩に面白がられるんだ ろうけど。...ある意味潮江先輩に似ているかもしれない。本人に言えば怒るのは目に見えて分かっているのだが思わずに はいられない。
「...中在家先輩に告げ口してやる。」
ぼそりと立花先輩に聞こえるか聞こえないかぐらいの声量でが呟いた。先程、本で自身の頭を殴られたことを言って いるのだろう。それにすかさず立花先輩が返す。
「なんだって?」
半ば脅すような声音なので聞こえていたのだろう。圧力を掛けられはぱくぱくと口を何度か開閉させ反抗しようと 足掻いたが結局は何も口に出さずに悔しそうにそっぽを向いた。
「...なんでもないです」
の反応に立花先輩の顔はこれ以上なく楽しそうだった。
その光景を横目で見ながらカードに記入していく。今にも鳴りそうな腹を抱え、僕は今日の晩ご飯に思いを募らせた。





(20080923)