先輩大丈夫だったんですか?!」

会計委員にと、振り分けられている部屋に入るため、襖を横に引くとこちらをちょうど振り返ったらしい団蔵と目が 合った。...と思うと、叫ぶようにして先ほどの言葉をかけられた。
それから私の元まで走ってきたかと思うと、 必死の、というよりも眉根をぎゅっと寄せてこちらを見る団蔵の表情は心配一色に染まっている。それに気圧されながらも何のことかと考えてみる。
はて、団蔵に心配をかけるようなことは何かあっただろうか?
頭の中の引き出しを開け閉めしてみるも考え付かなかったので、とりあえず団蔵の心配を取り除こうと頷いてみせる とすぐさま左の方から声が飛んできた。

「何のことだか分かっていないんじゃないですか?」

見れば、三木ヱ門が右手に筆を持って指摘してくる。団蔵だけであったならまださっきの頷きで誤魔化せたと思うが、 三木ヱ門はそう簡単に誤魔化されてはくれない。だからといって三木の言葉に素直に頷くのは癪なので、返事をしない ままでいると佐吉が会話に入ってくる。見てみれば潮江先輩以外は全員揃っているようだった。左門も机に両肘をつけて こちらを見ている。部屋に居る全員の視線が私に向かっていることに改めて気付いた。

「この間、先輩が実習中に倒れたって小松田さんに聞きました」

そういえば、新野先生を呼びに行ってくれたのは小松田さんだと聞いたな。
頭の中にへらりと力の抜けた小松田さんの笑みが浮かび、思わず体の力が抜けた。

「医務室に会いに行ったんですけど、すでに先輩は居てなくって会えませんでした」

善法寺先輩は大丈夫って言ってましたけど...。
頭を垂れたままに団蔵がぼそぼそと喋る。いつもの元気いっぱいな団蔵からは想像も出来ないほどに暗い雰囲気だ。

「それからずっと先輩とは会えなくて...」

途切れた団蔵の言葉を佐吉が引き取った。

「だから心配だったんです」

眉根を寄せる一年生二人組みの表情はお世辞にも明るくない。私の事を心配してくれたのだという言葉が胸にじわじわと染みるようだ。 一年生ほどにあからさまに態度には出さないがそれは、三木と左門からも伝わってくる。
どうやら私は知らないところで後輩達に心配をかけてしまっていたようだ...。
小松田さんめ...余計な事をしてくれた。
すーっと息を吸い込みお腹に力を入れる。

「見たとおり元気だ!」

吸いこんだ息を吐き出しながら言えば、思った以上に大きな声が出た。しゅんと俯いていた団蔵と佐吉は私の声に 驚いて目を真ん丸にさせながら勢いよく私の顔を見上げた。すかさず私は口の端を引き上げる。
落ちた時、頭を打ったのでたんこぶは依然頭にあったが、そんなもの大した怪我ではない。

「倒れたのだって全然大したことはなかったんだ。あんなのへっちゃらだ」

全然大したことあった。
正確には倒れた後の話だが、全然大したことがなかったわけじゃない。けれどもそれはわざわざ言うべき事ではない。

「それでも一応見てもらったほうがいいという事で医務室に行ったんだ。心配してくれてありがとう」

団蔵と佐吉の頭をくしゃくしゃと撫でると、ようやく二人の表情も笑顔へと変わった。左門と三木にも向かって笑いかけると 一人は呆れたように息を吐いて、一人は笑顔になった。皆、反応はそれぞれだが私が倒れたと聞き、本当に心配してくれていたのだという 事は分かった。それを理解して私は嬉しくってしょうがなくなった。人に心配をかけておいて...と思われるかもしれないが、 可愛い後輩達が私の事を心配してくれたのだ、嬉しくないわけが無い。
口がむずむずしてどうしたって笑ってしまう。

「私はなんて先輩思いの良い後輩を持ったんだ...!」

気恥ずかしさもあり、少々大げさにこの感動を表現するために目頭を押さえると三木が呆れたようにため息を 吐いた。けれども、そのため息でさえ照れ隠しなだけだと良い方に考えてしまう私の頭は都合が良すぎるかもしれない。 さっきまで――大木先生の前で座っていた時――の気持ちなんて吹き飛んでいった。
そうやって後輩の優しさに心地よく浸っていた時だ、頭に軽い衝撃を受けた。

ぱしん

音がなったかと思うと、ちょうどたんこぶが叩かれたらしい。痛みに顔を顰める。

「邪魔だ」

頭を抑えつつ振り返ると、入ってきたのは潮江先輩だった。
そのまま何事も無かったかのようにいつも座っている席に向かっていく。頭をはたかれたことについて、一言文句を 言おうかと思ったが、全然力が込められていなかった事から、文句を言う事は止める事にした。
たんこぶをちょうど叩かれたというのに私の対応は随分と大人だと思う。それもこれも今は機嫌がよかったから だけれど。
大人しく自分の席に座ろうとした所で、袖をくいくいっと引っ張られた。見てみれば団蔵が悪戯小僧のような笑みを 浮かべて私を見上げている。疑問を浮かべつつもしゃがみ込み、団蔵の方に右耳を差し出す。すると団蔵が内緒話を する時の仕草である両手でわっかを作り、それで私の耳と自分の口を繋げた。

「潮江先輩もホントはすごく先輩のこと心配してたんですよ」

こしょこしょと喋る団蔵の声が耳にこそばゆくて笑い声を上げると、それまで黙っていた潮江先輩がぎろりとこちら を睨みつけた。途端に悪戯小僧の表情を引っ込めて竦みあがった団蔵とは反対に私は今聞いた話を思い出し、 にやにやと笑った。心配したのならばそう言えばいいというのに、この先輩は少しそういう感情を表すのが下手なのだ。 忍びが感情をそのままに表情に表してはいけない。とは確かに学園でも習うが、それと違って潮江先輩のは元来の性格だ。 例えば、先ほどの軽く私の頭を叩いた不器用な優しさだとか。

「何にやにやしてる! さっさと席に着け!」

とうとう(というほどの時間が経っているわけではないが)怒りを爆発させた潮江先輩の怒号に適当な返事を返しつつ 席につけば、三木の何か言いたげな視線が投げかけられる。
多分、"なんでわざわざ怒らせるんですか。"とかそういう所だろう。大体予想できるが、私は気づかないふりをして 満面の笑みを返した。






(20101114)