保健委員で世話をしている薬草園に行って調合に足りない分の薬草を取ってきて欲しい、と今日の当番である乱太郎と数馬に頼めば、 二人は快く、そのお使いを引き受けてくれた。薬草についての知識がまだ浅い乱太郎一人だけであったなら躊躇するおつかいだが、薬草についての知識が それなりにある数馬もいるのだから大丈夫だろう。「いってきまーす」の声を上げて二人は元気よく医務室を出て行った。 二人が居なくなった医務室の中はしんと静まり返っていて、今までの騒がしさを考えれば少し居心地悪く感じた。 ごりごり 僕の手元の薬草を煎じる音だけが医務室の中に響く。 やがて、軽快な足音がこちらに近づいてくる事に気付き、手を止める。どうやら、二人が帰ってきたらしい。 ちょうど頼んでいた薬草を加えて煎じれば、手の中のものは完成する。これで残り少なかった薬にも予備が出来て 安心だ。そう思いつつ、障子に出来た影に視線をやる。 そこで、おや? と小首を傾げる。 数馬にしては大きな影が居る。 「ただいまもどりましたー!」 大きな乱太郎の声と同時に戸が開かれた。そして、医務室の中に入ってきたのは出て行った人数よりも一人増えて、 三人になっていた。水色と萌黄と....紺色の大きな姿が増えている。 「おじゃまします」 ぺこりと頭を下げて入ってきたのはくんだった。 彼、...否、彼女と会うのはあの日ぶりのことだったので少し驚いた。その僕の心情は咄嗟のことに隠すのを失敗 してしまい「おかえり」の声が少し裏返ってしまった。 それを誤魔化すために苦笑を浮かべるとくんも小さく笑ってそれに答えてくれる。 「水遣りをしていたら先輩が手伝ってくださったんです」 数馬が手に持っていた薬草を床に下ろしながら言う。 くんもそれにならうようにして手に持っていた杓子と桶を置いた。 「先輩のおかげでいつもより早く水遣りが終わりました!」 にこにこ笑いながら言う乱太郎は嬉しそうにくんを見遣る。くんはそれに答えるように手を伸ばし、乱太郎 の頭を撫でた。それから少し意地が悪そうにニヤリと笑ってみせる。 「お礼は何をもらおうかな?」 「え!」 まさかお礼を要求されるとは思わなかったらしい乱太郎が目をまん丸にして驚きの声を上げると心底楽しそうにくんは 笑い声を上げた。それにからかわれたと理解したらしい乱太郎が不満げに、もー。と声を上げる。 「ごめんごめん。それじゃあ...数馬からもらうことにしよう」 「え!!」 びくりと大げさに体を揺らして数馬が反応するとくんはますます楽しそうに声を上げた。二人をからかうのが 楽しくてしょうがないらしい。数馬はそんなくんの反応に困ったように眉を下げながら笑った。 ひとしきり笑い終えたくんは口元を拳で隠しながら「それじゃあ」とだけ言いつつ片手を軽く振り、 そのまま部屋を出て行こうと戸の方に歩いていく。 そこを慌てて引き止める。 「びすこいとがあるんだ。手伝ってくれたお礼に食べていきなよ」 「えっ!」 今度はくんが驚く番だった。目を丸くさせたかと思うとくんは両手と首をぶんぶん振って、僕の誘いを遠慮した。 長い髪がくんが頭を振るたびに大きく揺れる。 「ホントにそんなつもりで言ったんじゃないんです!」 僕が先ほどの冗談を真に受けてくんの要求どおりにお礼を用意しようとしていると思ったらしい。焦っている くんがおかしくて思わず零れそうになる笑いを噛み殺しつつ、とぼけた表情を浮かべる。 くんの後ろに居る数馬と乱太郎にだけ分かるように目配せをすると、二人も僕がくんをからかっていると 理解したらしい。口元を隠して笑っている 「けど、お礼が欲しかったんじゃなかったの?」 不思議そうな表情を作って尋ねれば、くんが固まった。それからおろおろと目玉をせわしなく動かし始める。 これ以上ないというほどに焦っているらしい。「いや、けど、ほんとにそんなつもりじゃ...」ごにょごにょと尻すぼみ して消えて言った言い訳のようなものを聞きながら、そうとう焦っているらしいくんがあまりにもおもしろくて、 我慢していた笑いが耐えきれなくなった。 「ぷっ」 噴出してしまってから口元を手で隠すも、ばっちりとその場面はくんに見られてしまっていたらしい。恨みがましい 目でじとりと見られる。 「ごめん。くんがおもしろくて」 「おもしろくないですよ!」 からかわれていたことに気付いたらしいくんは顔を赤くさせながら言った。それを見て乱太郎と数馬は小さく 笑い声を上げている。先ほどまで自分がからかっていた後輩に笑われるのは恥ずかしいらしい。拗ねるようにツン、と唇を とがらせてくんは抗議するように僕に視線で訴えてきた。だけど、それは少しも怖くない。 笑いながらその視線を流し、ビスコイトを棚から取り出す。 「ほら、座って」 「わーい!」 乱太郎が嬉しそうな声を上げて、真っ先に飛んできた。それに数馬が続いてやってきた。 顔を上げ、まだ突っ立ったままでいるくんを手招きすると、一瞬足を踏み出す事を躊躇してからこちらにやってきた。 「すいません...」 申し訳なさそうに彼女はぺこりと頭を下げた。保健委員でもないのに、この場に居るのがものすごく悪いというように 小さくなりながら。何もそこまで遠慮しなくてもいいじゃないか、というほどに小さくなっている。 「このビスコイトすごくおいしいんだよ」 笑いながら言えば、くんもつられるようにしてその口元を笑みの形に変えた。 その隣で乱太郎と数馬もにこにこ笑っている。 「はい、どうぞ」 布を広げるといくつかのビスコイトが姿を表した。 いただきまーす。という乱太郎の弾んだ声の後に、数馬のいただきます。も続いた。 次はくんの番だと視線で促せば、いただきます。と心なしか弾んだ声を上げながらその手を伸ばした。 「伊作先輩おいしいです!」 乱太郎がにこにこ笑いながら本当においしそうな顔をしてビスコイトを頬張っている。その隣の数馬もくんも こくこく頷いて乱太郎の言葉に同意を示した。それに思わず笑みが零れながら、僕も手を伸ばした。 . . . おやつも食べ終わり、乱太郎と数馬に今日はもう帰っていいよ。おつかれさま。と二人が出て行くのを見送り、 くんにも礼を言おうと振り返ると片手に二つずつの湯呑みを持ち、ちょうどくんが立ち上がったところだった。 「あ、いいよいいよ。片付けとくから」 「いえ! 私がやります!」 キッと鋭い眼光のくんに思わず怯んでしまうと、その隙にくんは戸を足で開け、器用にも後ろ向きに また足で戸を閉め出て行った。慣れた手つき...じゃなくて、足つき? なので、きっと普段からよくやっているのだろう。 そんなに気を遣ってくれなくていいのになぁ、と思ったが多分くんは納得しないだろう。もう水遣りを手伝って もらったので十分なんだけどな。というかそのお礼だったはずなのだ。 手持ち無沙汰な僕は突っ立ったまま頬を掻いた。 (20110115) |