の秘密を知り数日が経った。
ようやく俺の頭も衝撃から立ち直った、かと思えば徐々に思考はその秘密を軸にして色々なことを考え始めた。
やめろ、止まれ。そう思うのに頭は嫌なことばかりを拾う。
まず最初に何故黙っていたのだ、ということだ。
話してくれればよかった。何も俺たちにまで隠さなくてもよかったのだ。自分勝手な怒りの感情が俺の腹の中に灯ったが、 それは長くは持たなかった。の事情を考えれば当然であり、そもそもは俺たちを騙そうとしていたわけじゃないのだから。 そう思い至ったからだ。苦しそうに謝った姿を思い出し、は秘密を抱えていることをひどく後ろ暗いことと考えていたことが 分かったからだ。あの時、俺は本心から性別など関係ないと思った。
一時的な発作のような熱は引いたが、代わりに現れたのはまたしても自分勝手な感情、寂しさだった。

――は何故俺たちにも話してくれなかったのだ。
   こんな形での秘密を知りたく無かった。
   の口から直接話して欲しかった。

それは違う、今まで俺たちにも話せなかった。そう考えるのがこの場合での納め方だというのに俺は嫌な方を選んでしまったのだ。 見ればこんなことを考えているのは俺だけなのだろう。雷蔵もハチも兵助も今までどおり――の秘密を知る以前 と何ら変わった様子は無い。それが友であるべきだ。そう分かっているというのに俺はどうしても嫌な思考を止めることが出来なかった。 怒りを覚えたときとは反対に腹の底に暗く冷たい何かが蔓延り、体の中に巡るような感覚を覚える。
これが一時的なものであることは分かっていた。いずれしょうがなかったことなのだと理解出来る日がやってくることは分かっている。だが...。 表面的に気にしていないと取り繕うことは出来るが、奥の奥では納得できなかった。否、納得したくなかった。
表面を取り繕うことは得意だ。忍の卵と言っても五年間遊んでいたわけは無い。だが、その歳月を共にあった仲間に まで隠し通せることが可能かと問われれば、また話は違ってくる。
俺は意図してとの関わりを減らすことにした。
自分勝手な、言ってしまえば子供染みたこの感情を知られたくは無かったのだ。には全てを曝け出してくれることを 望んでいるくせして自分は本心を晒すつもりは無い。卑怯者だと罵られそうな考えだ。
そしてそんな自分勝手な感情には振り回すのは嫌だった。もちろん雷蔵達に迷惑をかけるのも嫌だ。
そのうち収まるこの感情を持て余しているこの期間だけ。すぐにいつも通りに戻る。
誰に言うでもなく、この行動について言い繕う言葉が頭を過ぎった。



.
.
.


――それなのにだ、

「ねぇねぇ、私も一緒していい?」

今日中に片付けなくてはいけない課題を広げ、雷蔵と揃って筆を動かしているところに突然降ってきた声にハッとする。 上を見てみればが天井から顔を覗かせていた。
完全に気配を絶っていたらしく、少しも異変を感じることが出来なかった。

「いいよ」

言葉が詰まり、何も言えずにいると雷蔵が了承の意を示してしまった。その声を聞くやいなやするりと体を滑り込ませ、 音も無く着地する。そしてちゃっかりと文机の上に自分の分の課題の紙を乗せた。

「ハチはどうしたの?」
「虫取りに行った」
「あぁ、そういえばさっき生物委員会が何か叫んでたね」
「うん。それでハチも虫取り網持って」
「もう夜なのに大変だね」
「気をつけてって言ったら無駄に元気に飛び出してったよ」

俺の心中を知らないであろう二人は暢気に談笑している。それを聞きながら俺は一心に課題を片付けていた。
俺は忙しい。その姿勢を貫き通していればが話しかけてくることも無いだろう。だが、そこまで徹底的に避ければ いくら鈍感なアホでも気付くというものだ。適度な距離を保つことを心がける。
だが、予想は外れ、は無駄口を叩くことをしなかった。元々課題をするために来たというだけあってが口にするのは課題についてばかりだ。
ここが分からないと聞かれれば俺か雷蔵が答える。逆に雷蔵が分からないと声を上げればと俺が答える。それを何度か繰り返し、ようやく課題が終わった。
はぁ、と息を吐き出せば雷蔵も疲れた様子で「おわったー」と呟く。部屋の中の空気が締まりの無いものへと変わる中でだけが不自然に何も言葉を発しない。
ただ伺うような視線は先ほどから感じていた。
そんな中、予想通りがためらいがちに口を開いた。

「あのさ、三郎...」

中々声を発さないは続きを言うのを躊躇しているのか、それとも次に何を言うべきかまだまとめきれていないのか...どちらかというと 様子から見て後者ではないかと検討をつける。一体何を言うのか...今の状態は後ろめたいことが無いとは言えない俺には この沈黙はひどく重苦しいものに感じた。随分と長く感じる沈黙を破ったのはではなく、ましてや俺でも無かった。 突然立ち上がった雷蔵を目で追いかければ、苦笑いが返って来る。

「僕お茶もらってくるよ」
「あっ、雷蔵」
「雷蔵っ」

二人分の声に呼び止められたというのに雷蔵は左手をひらひらして答えただけで振り返りもせず部屋を出て行った。
雷蔵が居なくなったことによって、より一層部屋の中の空気が重みを増したような気がする。 一方的に気まずさを感じ、それを誤魔化すように机の上の筆を片付けようと手を伸ばすとそれを阻むように手が乗せられた。 ひんやりとした手に体がひくりと反応する。それを分かっているだろうに手は重ねられたまま引かない。 振り払うことも出来る、だがそうする気にはならなかった。それが後ろめたさ故の感情かは分からない。

「三郎」
「...なんだ」

顔を上げてあの目を見てしまえば負けな気がする。そんな勝手な規則を作り上げて顔を上げずにいると、が もう一度「ねぇ」とだけ呼びかけてくる。顔を上げるのを促すような呼びかけだったが俺は顔を上げなかった。 視線は重なった二人分の手へと向けて、その違いに改めて驚いた。大きな差は無く、同じようなものだと思っていた ものは自分のものよりも小さく、白く、すらりとしていて角が無い。
何故今まで気付かなかった、否、違う......何故今まで黙っていた。

「三郎」
「...」
「なんか様子が変だけど...」

のことだ、この異変に気付いていないわけがなかった。この分だと異変の理由にまで気付いているんじゃないだろか、 焦りを感じたその時、重ねられた手が俺の手を掴んだ。

「悩み、とかあるの?」

勝手に作り上げた規則なんか忘れて思わず顔を上げるとが険しい顔でこちらを見ていた。
理由については分かっていないのか? 思わず拍子抜けして体の力が抜ける。すると、の手に力が篭った。 目をそこにやれば、白い手がますます白くなり、手の甲に筋が浮かんで俺の手を握っている。それがどういう意味なのか薄々分かりながらも 問うように顔を再び上げれば、まっすぐな視線とぶつかる。険しさに不安を混ぜたような表情では慎重に言葉を選ぶかのように 考える素振りを見せてから口を開いた。

「...私が、原因?」

あぁ、やっぱり気付かれてたか。
隠しても遅いのだと気付き、諦めで体の力が抜けると同時にが顔に後悔するような 、落胆するような...その感情を細かくまで読み取ることは出来なかったが、それでも沈んでいるとわかる表情を浮かべた。
問いには答えなくともは俺の反応で答えを導いてしまった。
一瞬で表情を変えたはもう全てを悟った顔をしていた。も細かくは俺の心情を理解できていないだろうが、 多分拒否されたと思ったのだろう。違う、拒否したわけじゃない。
こうなると分かっていたから避けていたんだ。
この状況に対して弁解するように胸の中で言葉を吐き出す。 さっきまで引こうとしなかったくせに、今はあっさりと行こうとする手を殆ど無意識に今度は逆に握った。 弾ける様に顔を上げたに、ぐっと距離を縮める。怯んだように後ろに体を反らしたを追いかけて上半身を前に倒す。 その間にも頭は猛烈な勢いで動いていた。この状況では何をすれば最善なのか、考えてみるものの頭が答えを弾き出すよりも先に口が動き...怒鳴りつけていた。

「自惚れるな。何でのことでこの三郎様が悩まなきゃいけない!」

ふん、と鼻を鳴らしてからおまけにアホと罵ると目を丸くしてが動きを止めた。
この返しは失敗だったか、思うような反応を得られず不安を感じ始めた頃、ようやくが動いた。 乾いたのか、まず何度か目を瞬いてから口元が緩く笑みの形になる。

「そう」

心底安堵した様子で目を細め、よかったと細い声で言葉を重ねる。
表情には出さずにに同意した。いつのまにか止めていた呼吸を再開すると、部屋の中の空気が途端に緩んだのを肌で感じる。久しぶりのこの感じに 思わず気が緩んだ。それはも同じだったようで、さっきまで肩に力が入っていた様子だったのが今は机に頬をくっつけている。

「三郎って一度閉め出したら簡単には入れてくれなさそうだから、苦労しそうでどうしようかと思った」

何気ない調子に危うく聞き流しそうになったが、その言葉を頭で反復して驚く。
だらしなく机に頭を乗せているを慌てて見やったが、机につっぷした格好ではその表情を確認することは叶わなかった。
――それはつまりお前が、追いかけてくるということか。
喉まで競りあがった言葉は、けれどが急に振り返ったことによって詰まった。

「いつまで手握ってるの」

の視線を辿れば、すっかり忘れていたが未だにくっついたままの手がある。今まではなんとも思っていなかった のにが改めて指摘したことによってカッと顔が熱くなる。
慌てて振り払えばいとも簡単に手は離れていった。

「お、まえがいつまでも離さないからだ」

咄嗟に口をついた言葉にすぐさまが噛み付く。私が離さなかったんじゃなくて三郎が...という声を流して 聞きながら戸口の方を見遣った。「遅いな」なんて自分で言っておいて言い訳がましい呟きを残して雷蔵を迎えに行く体を作り、 部屋を出た。後ろから「早く帰って来てね〜」と何とも暢気な声が追いかけてきたがそれを振り払うようにして足を速めた。
心臓はいつもよりも早く脈打っている。じわじわと体の隅々まで熱い血が回る、ある種の興奮のような喜びが体を巡る。
今まで諦めてばかりいた奴が初めて見せた執着が嬉しかった。
その執着したものが自分だと言うことが、その喜びを倍増させている。
もちろんその執着が自分だけに向けられたものではないことは十分に分かっているが...。
確かに今までとは違う。の秘密を共有したことで事態は良い方向に向かっている。
何とはなしに先ほどの熱と感触が 残っている手を眺めながらそう思った。

「三郎?」
「...あぁ、雷蔵」

盆を持って現れた雷蔵は一瞬怪訝な表情を浮かべたが「迎えに来た」と言えば、全て分かったように笑った。
無意識に眺めていた手を背中に隠した自分の反応を持て余しながら雷蔵の隣へと並ぶ。五人分の湯呑みの載った盆を見ると意図せず口角が上がった。






(20120329)