とても静かな夜だ。
明るく輝く満月の光が戸を開けた部屋の中へと降り注ぐ。昼間のようにくっきりと自分の影が出来ている。こんな夜は私達 にとってはあまりいいものではない。
影の存在に影などいらない。
目を瞑れば昼間の兵助の表情、声、それから少しの火薬の匂い、なにもかもが鮮明に思い出せる。 まさか兵助に気づかれるとは思わなかった。兵助はどちらかというと人の感情を読み取るのが上手い方ではない。そういうの に鋭いの三郎だ。そこでまず驚いた、そして自分の心の中の汚い所を知られ、恐いと思った。 私の人助けは純粋に人を助けたいと思っているわけではないから、全ては自分のため。 なんて汚いのだろう。
前から分かっていたはずなのに自分が酷く汚い生き物に思えてしょうがない。息が詰まって呼吸が上手く出来ない。 誰にもこの感情は知られたくなかった、ここでの生活を円滑に過ごすための見せかけの善意。誰かに否定され るのも拒否されるのも非難されるの恐い。そのような事が起こらない為に私はいい人を演じていたのに、いつのまにか その行動自体が私を追い詰めている。本当の私は自分の保身ばかりが気になってしょうがない、きたない人間。
そのことに兵助は気づいたのだ。改めて出た結論に驚きよりも恐怖を感じる。
兵助が気づいたのなら三郎はもちろん雷蔵や八も、もしかしたら知っているかもしれない。彼らは私の事をどう思ったのだろ う。嫌悪しただろうか、もう顔も見たくないと思ったかもしれない。そこまで考えて胸が苦しくなった。
ずぶずぶと思考が暗い沼の中へと沈んでいく。
暫くそうやって膝の間に顔を埋めてじっとしていると、辺りが真っ暗になった。顔を上げれば月を雲が覆い隠してしまっ ている。影が消えている。
このまま考え続けても嵌って出て来れなくなるだけだ。そうなれば眠りにつくことが出来ず明日からの任務に支障をきたしてし まうかもしれない。それは避けなくてはいけない。
根本的な解決にはなっていないが、そのことについて考えるのをやめた。 無理やり頭の中から閉め出し寝るために、戸を閉めると先程よりもより部屋の中が暗くなった。
早く明日になればいいのに、私は初めて任務が待ち遠しいと思った。









「それで?」

まるで今までも楽しくおしゃべりしていたみたいに利吉さんは何かの話の続きを催促した。意味が分からず見つめ返すとな ぜ分からないのか分からないと言うように呆れた視線が返ってくる。せっかく仕事も終わり気分が良かったというのに 利吉さんのせいで下向きに修正されてしまった。無視して手に持った短刀についた血を空を切り払い落とす。
ぴぴぴ、と落ちたそれは一つの線になって落ち葉の上を走った。

「ここ数日の仕事中、上の空だったじゃないか」

私が話し出す雰囲気がないことを悟った利吉さんは自分から話し始めた。「そうですかね?」短刀を鞘に収め、もとあった 場所(横たわり動かなくなった人の懐)へと戻す。そこらに放っておいてもいいのだが、人を殺したという罪悪感からか どうもそれが出来なくて、しょうがなく私は持ち主のもとあった場所へと返すことにしている。
そこでまた私はこの行動も"みせかけの善意"に思えて自分自信に対して嫌悪感を覚える。
私のこのいつもの行動を何も言わず眺めていた利吉さんは終わったのを見計らい私の腕をとった。

「これが証拠じゃない?」

見れば二の腕あたりの装束がぱっくりと開いている。その下からは血が溢れている。 痛みは感じたのだが、かすり傷程度だろうと気にも留めなかったのだが結構深く切れているようだ。

「まぁ相手は忍びじゃないし毒の心配はないと思うけど、手当てはした方がいい」

そう言った利吉さんは今にもここで手当てをしそうだったので、慌ててそれを制する。

「ここじゃ追っ手が来るかもしれません」

私が面白いことをいったように唯一覆面に隠されていない目が笑った。面白い事を言ったつもりなんてないのに、と私がその笑いの意味 を理解出来ずにいると。それがまた利吉さんの笑いのつぼををついたのか、はははと声を上げる。

「あぁ、けど簡単にだけしておこう」

それだけ言って袂から取り出した布を慣れた手つきで私の腕に巻きつけていく。
いつ追っ手が来てもおかしくない状況なのに不思議なくらい利吉さんは落ち着いている。それをおかしく思いながらも 私はおとなしく腕を差し出した。足元にはさっき私が命を奪った男が転がっている。それなのに私と利吉さんときたら 慌てる事もなく少しの傷の心配をして手当てしている。冷め切った目で転がっている物を一瞥しても何の感情も湧いては こない。自分が狂った人間に思えた。今更だ、この手でもう数え切れぬほど人を殺したというのに。その事実を見て見ぬ ふりを貫いてこれたのが証拠だ。
昨日の兵助のことがあってから私はちょっとおかしいかもしれない。いや、逆なのだろうか。今まで考えなかったのが異常 だったのだ。

「これで取り敢えずは大丈夫。後は戻ってからにしよう」
「...あっ、はい。ありがとうございます」

そのまま深く思考の波に飲み込まれそうになったところで利吉さんの声によって引き上げられた。 こんな所でボゥっとするなんてどうかしてる。腕を見ると白い布が傷口を隠している。

「...とりあえず、ここを離れようか」

空気の流れが変わったのを感じて私も黙って頷く。 前を走る利吉さんの背中を見失わないよう、ただただ頭を空っぽにして走った。




随分と走ってから目の前の背中がぴたりと止まったので私もそれに習い止まる。振り返り覆面を下にずらしながら利吉さんが 「少し休憩にしよう」と言った。別に休憩が必要とは思わなかったのだが、利吉さんが言うのならと私も覆面を取る。
冷たい澄んだ空気を吸い込むと落ち込んでいた気分が少し回復した。
すぐ傍に川を見つけ、流れる水で顔を洗うといくぶんかさっぱりとした気になる。ついでに全身を清めたい。と思いな がら肩口の血のついていないきれいな所で顔を拭う。

「言わないつもりかい?」

このために休憩などと言って学園に帰るのを遅らせたのか。学園に帰れば周りの目もあり私が口を開かないと読んだのだろ う。それは正解だ。ちょうどいい大きさの石を見つけたらしくそれに腰掛けた状態の利吉さんを 責めるべく、鋭い視線を向けているというのに利吉さんは薄っすらと笑みを浮かべた。

「私にも言えないこと?」
「...」
「まさか、ばれたんじゃないだろう?」

驚いた風に問われて(白々しいほどに目を開いている所などを見ると本気で言ってるわけではないことがわかる) 普段から私の事を気にかけてくれているのを知っているので邪険に扱う事も出来ず首を振る。 「だろうね」それだけ言ってまた考えるように手を組んだ。早くここを去りたいというのに利吉さんは動く様子がない。 もとはと言えば私の事が原因なのだから言うべきなのだろうか。けれど利吉さんも私の事を軽蔑するかもしれない。そう 考えると言葉が出てこなかった。沈黙が重い。

「...ごめん、しつこいね。帰ろうか」

ややあって利吉さんが悲しそうに苦笑いを浮かべて告げた。たしかに私はこの言葉を待っていたはずなのに、いざその言葉 を言われると見捨てられたような、突き放されたような、どうしようもない感覚に襲われた。 慌てて立ち上がった利吉さんの袖を掴む。

「あの、違うんです」
「なにがだい?」
「私、その、」
何か言わなければと思うのに、思うように口が回らない。けれど利吉さんは黙って私の言葉を待っている。

「うまく言えないんですけど、自分の心の中の汚い所を、友達に知られてしまって。それで...」
「...」
「嫌われたりしたらどうしようと思って、悩んでたんです」
「うん」
「任務中、上の空でした...すみません」

これでは詳しい事は何も分からない。利吉さんが聞きたかったのはこんな事ではないと私も理解しているが、軽蔑されるの が嫌でそれ以上は言わなかった。

「そう、」

知らず俯いていた顔を上げると利吉さんが真剣な顔をして私の事を見ていた。真っ直ぐに向けられる視線に利吉さんが 何を言いたいのか分かり口を開く。

「軽蔑されたくないので内容は言えません」

途端今までの真剣な顔が崩れて利吉さんは噴出した。可笑しそうに笑っている姿を見ながら私は何が可笑しいのか分から ない。真剣に言ったというのに。
「分かったよ、これ以上言っても君が口を割るとは思えないしね」
「...すいません」
頭を下げれば、利吉さんはそっと「責めているわけじゃなんだ」と首を振った。
「詳しくは言ってくれないから分からないけど...人間誰しも心の中に汚れた所がある。」
それが遠まわしに私を慰めてくれようとしているのだと気づき自分よりも背の高い利吉さんを見上げる。
月を背負った利吉さんの表情は真剣そのものだった。 絡み合った視線を外さずに見つめていると利吉さんの瞳が揺れた。それが何の意味があるのか私には生憎分からなかったが 読み取ろうとその鋭い目を覗き込む。すると利吉さんがゆっくりと手を上げ、私の頬に触れようとした。後ほんの少し、 熱が感じるほどすぐ傍に利吉さんの掌があるのを感じる。だが、利吉さんは何か驚いたように目を見開いてすばやく その手を引っ込めた。 さっきまでは確かに何か感情が滲んでいたはずの瞳はもういつものそれに戻っていた。鋭い目からは何も読み取る事 が出来ない。

「それに、そう簡単に私は君を軽蔑しないよ。」

さらさらと流れ続ける川の音の中に響いた低く落ち着いた利吉さんの声が鼓膜を心地よく震わせる。





(20091208)