紺色ばかりの装束がいる廊下をずんずんと歩くと自分が珍獣にでもなったかのような錯覚を覚える。珍しげに皆が皆自分 を見ているのが分かるのだがその視線を辿り振りかえれば、素早くそらされてしまう。多少の居心地の悪さを感じながら も五年ろ組の札のかかった教室の戸を開けた。

!」

教室の中の人間の視線が一斉に自分に向けられるが気にせず教室の中に視線を這わす。と一人だけこちらを見ずに机に 突っ伏した頭を見つけた、見覚えのあるというより探していた人物だと確信し教室の中へ足を踏み入れる。

「潮江先輩どうかしたんですか?」

進路を阻むように目の前に現れたのはにやにやと笑いを浮かべた鉢屋だ。それを手で払おうとするもひらりとかわされる 。

「お前に用は無い」
「えぇー、私に用があるんじゃないんですか?」
「あるわけないだろ!」
「ひどいなー」
に用がある」
「あぁ、じゃあ私が伝えときますよ」
「いらん世話だ」

なぜ目の前に目的の人物がいるというのに他人に伝えてもらわなくてはならんのだ。
さっきとは違い拳を握り強い力を込めて横に払うとそれを避けるために鉢屋が横へと飛んだので、進路が確保できた。 邪魔者が消え視界にまた机に突っ伏したが映る。騒いでいるのに起きないのか?と訝しんで目を凝らすもぴくりとも 動かない。
仮にも忍たまのくせして熟睡しているだと?この様子だと授業中も眠っていたな。
ふつふつと怒りが腹の底から湧いてくる。

「起きんか!!」

怒りのままに怒鳴るもぴくりとも動かない。後ろのほうから「うるせー」「つばとんだぜ、ありゃ絶対」だのと聞こえた ので振り返って鉢屋と竹谷を睨んでやる。黙ったのを確認してからもう一度怒鳴るために息を吸い込む。

「起きろ!!」
「......んー」

やっと起きたかと思ったが、起きる様子は無くまたすぐに寝息が聞こえてくる。
これは力ずくでいくしかないかと、拳を握ると不破が俺との間に割り込んだ。同じ顔をしているが鉢屋と違いちょっ かいなど普段かけてこない奴なので驚いて拳の力が抜けてしまった。困ったような顔をした不破は(この顔をしているか ら不破と判断できたのだが)けれどはっきりと通る声で「僕が起こしますんで」と言ったかと思うと俺に背を向けた。

、起きて!」
「......」
「潮江先輩が来てるよ」
「......」
「早く起きないと殴られる事になると思うけどいいの?」
「...んー」

小さく反応を返したを不破が体を揺すって起こそうとしている。が、よっぽど眠いのかまたすぐに寝息が聞こえて 来た。もう温いことはやってられんと拳を握り不破をどかそうとすると、ぱしんと乾いた音が響いた。続いてもう一度 ぱしんと響く。

「...いたい、らいぞぉ」

情けない声を出しながら今までぴくりとも動かなかった頭が動き、のろのろとが顔を上げる。その頬はうっすらと 赤くなっていて、そこを手の平で擦って非難するように不破を見ている。不破の後ろに俺がいることは気づいていない ようだ。

「起きないからだよ」
結局お前も力ずくじゃねぇか!
「さすが豪快な雷蔵」
「まぁ、潮江先輩にやられるよりはマシだろ」
「ていうか、状況分かってないな」

いつの間に現れたのか久々知まで現れて三人で状況を分析しあっている。というか誰も突っ込まないのか?さすがってな にがだ久々知。と疑問に思うと同時に誰も突っ込まない様子に少し疎外感を感じる。

「ねむくてしんどくてねむいのに...」
「潮江先輩に殴られる方が良かったの」

よく分からない(いや眠いのは分かったが)非難めいた事を言うはまだ眠そうに目が半分閉じられている。 だが不破に言われた内容でやっと俺の存在に気づいたようで瞼を少し上げて、うんざりしたように顔をしかめた。

「...もうー、勘弁してくださいよ」
「おい、どういう意味だ」
「なんでこんなに眠い時に...そろばんなんか弾きたくない」
「しょうがねぇだろ、行くぞ」

またもや机に突っ伏しわざとらしい泣きまね「しくしく」を繰り返して動こうとしないので腕を引っ張るとしぶしぶと いった感じで立ち上がった。その間も不満げに「あ゛ぁ゛−」と呻き続けている。いい加減イライラしてきたので殴って やろうかと思ったところで今度は竹谷が現れ「ホントに寝不足なんです。ほら」と証明するように俯いていたの頭を 掴み顔を上げさせ目の下の濃い隈を見せにくる。それに抵抗もせずにはされるがままで目を瞑っている。
よく見れば顔色も悪いし体調不良というのが一目でわかる、竹谷を見れば俺を伺うようにへらりと笑っている。 つまり多めに見てやって欲しいというところか、と納得し俺もさすがに鬼ではないので殴る事は止めてやることにした。 本当は今日委員会の予定が無かったのだが急遽開く事になったので、も今頃は眠れていたのかもしれないと考えると 少し同情した。しょうがないので「行くぞ」と声を掛けてから教室を出たのだが、後ろをついてくる様子がなく、つっ たったまま動かない。また引き返すと「、早くしないと潮江先輩はすぐ暴力に訴える方だぞ!」と失礼な事を鉢屋が に吹き込んでいるので一発殴り黙らせてから、の手を掴み歩く。すると大人しく俯いたままついてくる。

痛いほど視線が突き刺さるのを感じながら(来る時の比ではない)廊下を歩く。
正直恥ずかしいのだが手を引かなければ動かないし、おぶってやると言う選択肢もあるがそこまで甘やかしてやるつもり はない。今だって十分譲歩してやってる形なのだ。だが、そんな色々な事情があるとは知らない奴らは男同士手を繋いで 歩いている、という光景に視線が釘付けになるらしい。まだこれが一年生の団蔵や佐吉であったならここまで視線が突き 刺さる事もなかったと思うのだが、自分と一年しか年が変わらない五年生のを手を引いて歩いているのだからこの視 線の意味も分かる。
段差がある、だの階段だから気をつけろ、だのと注意すればは相変わらず俯いたままその度に一つ頷いてから前に 進む。人目もあるので俺としてはさっさと会計委員室に行きたい所なのだが手を引いているがのんびりと足を進める のでそうもいかない。
こんな所仙蔵に見られたら、と思うと気持ちだけが先走る。




ようやく着いた、と息を吐きを部屋の中へ押し込めばのろのろとそろばんやら硯やらの用意を始めた。それを横目で 見ながら今日計算する帳簿を広げる。いつもよりも少ないな、と考えていると用意が終わったのかが隣(という か斜め前)のいつもの席に座った。眠たげに目を擦りながら俺の手元の帳簿に視線を落とした。

「どれくらいかかりますか」
「さぁな、お前らの頑張り次第だ」
「ものすっごく頑張ったら?」
「そうだな...二日、ぐらいか?」

二日と言う俺の言葉を聞いた瞬間に口をぱかりと開けたかと思うとは机の上に突っ伏した。がんッ!と盛大な音が鳴り 動かなくなったので慌てて襟を掴み頭を持ち上げる。

「二日も、ですか...」

首の据わらない赤ん坊のように頭をぐらぐらさせ呟くの額は予想通り赤くなっていた。頬の赤みが取れたと思ったら 今度は額か、と呆れた目で見る。

「お前大丈夫か」
「...大丈夫ですよ」

恨めしげな視線を俺にぶつけて力なく言うは本当に疲れきっているのが分かる。襟を離してやると机に肘をつきその 上に顎を乗せ、目を瞑った。今にも眠りそうな雰囲気に、しょうがないと溜息を吐く。

、お前寝ておけ」
「え」
「あいつらが来るまでだ」
「...いいんですか」
「いいから寝とけ。そこ寝転べるだろ」
「...それじゃ、遠慮なく。ありがとうございます。」

少し戸惑ったような顔をしては自分の座布団の上に頭を乗せ目を瞑った。それを見届けてから開いていた帳簿を読み 取りそろばんを弾く。
掃除に補修に外に実習...と理由はいろいろだが自分と以外は皆遅れると連絡があった、なので少しだけかもしれな いが眠る事が出来るだろう。そう予測してに提案した、もちろん後輩達に示しがつかないので来るまでという約束を したのだが。ぱちぱちとそろばんの音が鳴る中に規則正しい寝息が混じったのに気づき手を止め身を乗り出し視線を下に 落とせばさっき寝転んだばかりのが眠りに落ちたようだった。
もう寝たのか、と思い寝顔を覗き込むも起きる様子は無く緩やかに胸が上下していた。
ここ一週間ほど見かけなかったがその間寝ていなかったのか、と考えるもその答えを知っている人物は今眠っているので 意味の無い事だった。隈をこさえたり顔色が悪いのはよく見かけるしその理由も理解している、授業料を払うための仕事 に夜学園を出て行くところも何度も見ている。だが、ここまで疲れた様子なのは見た事が無い。それほどに過酷 な任務だったのかと考える。

じっと見つめるも死んだように眠るは動かない。
ふと、女のように長い睫毛に影が出来ているのに気づき昔のことを思い出した。
これは消し去りたい過去として俺の中で奥深い所に埋めたものだったのに...恥ずかしくて手で顔を隠すも誰も居ない空間 では意味の無い事だと思い深呼吸して手を離した。
俺は最初てっきりこいつは女なのだと思っていた。
何故、と問われれば自分でもよく分からないが女なのだと思い込んでいた。だから忍たまとして後輩になったと知った時、 男だっということに驚いた。
改めてちらりと見たはたしかに女に間違えられてもしょうがないと言える容姿をしている、と思う。本人に言えば 激怒する事間違いなしなのだがそれでも女のようだと思う。じっと見下ろすも起きる様子は無い、昔の事を思い出した からかこうやっての寝顔を盗み見ていることに多少の居心地の悪さを感じたので、その寝顔から視線を外し放りっぱ なしにしていたそろばんを再開する事にした。


しばらく、ぱちぱちとそろばんを弾く音しか部屋の中に聞こえなかった。
突然今までぴくりとも動かなかったが勢いよく上体を起こしたかと思うとそのまま机の上の帳簿を開きそろばんを 弾き始める。突然の行動に反応できずにいると動きを止めたが「来ました」とだけ告げ、またそろばんを弾き始める。 何が来たのかと思っていると遠くで足音が聞こえた、それはだんだんと近づいてきて部屋の前で止まった。

「すいませーん! 遅れました!」

無駄にでかい声で登場したのは団蔵だった。

「こんにちわ! 潮江先輩、先輩!」

続いてその無駄にでかい声で挨拶をする。

「こんちわー」
先輩久しぶりですね!」
「そう?」
「そうですよ! 一週間ぐらい会いませんでしたよ!」
「そうだったかな?」

すっとぼけたようなの返答に拗ねたように口を尖らせた団蔵がの袖を引っ張って「もうー」と呟いた。はそれを にやにやと笑って見ている。その表情に先程ちょっかいをかけにきた一つ下の後輩の顔を思い出し、思わず顔を顰める。

「団蔵、お前はこれだ」

帳簿を一つ差し出せば慌てたように団蔵が駆け寄ってくる。受け取りその場でぺらぺらと捲り始める、と徐々に顔を歪ませ た。それからまだ始めてもないくせに疲れた顔をしての隣へと座った。はさっきまで寝ていた分をとり返そうと しているのか真剣な表情でそろばんを弾いている。
俺の思い込みかもしれないがはさっきよりは顔色がいいような気がする。




それから半刻も経たないうちに全員揃った部屋の中は、ひたすらそろばんを弾く音しかしない。

「んー」

小さい声と共にぽきっと骨の音が鳴った。視線を帳簿から上げればが伸びをしている所だった。続いて三木が首を 回すとこちらもぽきっと、こ気味のいい音が鳴る。俺も腕を回す。
外を見ればいつのまにか陽が落ちていた。腹が減ったな、と考えるとぐー、と腹の虫が鳴った。自分かと思ったが違った らしく団蔵が照れたように笑っているところだった。

「夕食、食べに行くか」

提案するといっせいに視線が突き刺さる。五人分の視線を感じながら驚くのも無理はないかと思う。
切羽詰った時などは食べに行くのも時間が惜しいので、おばちゃんに頼み作ってもらったおにぎりなんかを口の中に押し 込むようにして食べるのだ。だが今回の帳簿はいつもより少ないので夕食を食べに行くくらい大丈夫だろうと判 断した。
静寂を破ったのは団蔵で「わーい」と声を上げそれに続いてが「やったー」と声を上げた、左門も嬉しそうに「 からあげ!」と声を上げた。何故献立を知ってるんだ、とは誰も質問せずにと団蔵がその発言に食いついて、
「今日はからあげなんですか?」
「そうだ」
「それって全員分あるのか? 他の定食とかもあって早いもの勝ち?」
「からあげを食べるつもりだったんでそこまでは知らないです」
からあげをどうすれば食べれるのかについて話し始めた。それを遮るように三木ヱ門が大きな声を上げたことによって 三人もからあげを一時的に頭から離さずをえなくなった。

「大丈夫なんですか?」
「あぁ、今回のはいつもより少ないからな。夕食ぐらい大丈夫だろう」
「そうですか」

俺の返答に納得したように言ってからやっと少し嬉しそうな顔をした三木ヱ門に、これでは学年が反対じゃないか、と紫 色の装束と紺色の装束を見る。すると視線に気づいたのか紺色の方が嬉しさを顔いっぱいに広げて俺を振り返った。
それに毒気を抜かれ俺も小さく笑った。





(20091223)