虎視眈々と、




「佳主馬くんみたいな弟が欲しかったな〜」

瞬間、今までがやがやとうるさかった夕食の席が不気味なほどに静まり返った。咄嗟に今の私の発言の所為なのだと理解 したけれど、その発言のどこに問題があってこういう状況になったのか分からない。みんなの視線は私の隣の佳主馬くん に向かっている事に気付き、私も隣に座る佳主馬くんを見つめた。
佳主馬くんは周りの視線を独り占めしていることに気付いているだろうに、全く気にせずにお茶碗の中のご飯を口の中に かきこんだ。それからそれを流し込むようにしてお茶を一気に飲み干した。

「...ごちそうさま」

誰とも視線を合わせずにそれだけを言うと、佳主馬くんはまた納戸へと帰って行った。
佳主馬くんの姿が見えなくなると同時にいつもからは考えられないほどに静まり返っていたみんなが一斉に重いため息を吐いた。 なんだか分からないけど危機は去ったらしい。ふぅ、と私も一緒になって息を吐き出すと、隣に座っていた夏希ちゃんが 「なんでちゃんもため息吐くのよ!」とぷりぷり怒った様子で言ってきた。何故そこまで怒っているのか分からずに 頭の中でクエスチョンマークを出しつつ答える。

「えー? 何か雰囲気で?」
「あんたが雰囲気を重くしたんでしょうが!」

噛み付くようにして おばさんが私に向かって指をさした。その指先に視線を合わせてから私は「ん〜」と唸りつつ 直美おばさんの発言について考えた。確かに私の発言の所為で雰囲気が重くなった。けれど肝心の、何故雰囲気を重くし てしまったのかがいくら考えても分からない。そんなにいけない発言だったろうか。食べかけだったイカのリング揚げを 箸で摘み、口の中に放り込みつつ考えていると、直美おばさんが大きなため息を吐いた。

「あのねぇ、佳主馬は色々と多感なお年頃なのよ?」 
「そうだねぇ」

確かに中学生といえば色々と気を遣うお年頃かもしれない。第二次反抗期的だとか。盗んだバイクで走り出したり、 意味も無く親の言葉にいらついたり、誰にも指図されたくねぇー。みたいな感じで。コンビニの入り口の前でたむろってる 子たちとか居るもんね。けど、佳主馬くんはそんことしないだろうな。と、理由も無く確信してしまう。
もう一つ食べようとイカのリング揚げに箸を伸ばすと、目の前にドアップで夏希ちゃんが現れた。呆れたような顔をしている 夏希ちゃんのせいでイカの姿が見えず、箸の位置が定まらない。

ちゃん意味分かってる?」
「分かってるよー、第二次反抗期とかの話でしょ?」

夏希ちゃんへの自信満々な私の返答を聞いて、やれやれとでも言いたげにみんなが首を横にふったのが見えた。

「やっぱりちゃん分かってない!」
「確かに反抗期の話とかもあるかもしれないけど、あたしが言いたいのはそういう話じゃないわけ」

ずずっと私の前に出てきたのは直美おばさんだった。反射的に私が後ろに仰け反ると、今度は理香おばさんが私の前に 表れた。

「つまり私たちが言いたいのは、佳主馬みたいな弟が欲しかったっていうあんたの発言は佳主馬を傷つけたって事よ!」
「...え」

これ以上は私の口からは言えないわ...。と深刻な表情をした理香おばさんが席に戻った。すると、夏希ちゃんも直美お ばさんもやっぱり深刻な表情をしていて理香おばさんの言葉に同意するように頷いた。私は今聞かされた直美おばさんの 言葉を頭の中で繰り返した。
佳主馬くんを私が傷つけた。
......そんなにも私の弟になるというのは嫌という事だろうか。考えてみれば確かに夏希ちゃんの事を佳主馬くんは "夏希ねぇ"と読んでいるのに対して私の事は""とか"あんた"とかだ。一度、夏希ちゃんみたいな呼び方で呼んで欲しい とお願いしたのだけれど、佳主馬くんはぶすっとした表情をしてから「...夏希ねぇと同じように考えてないのに無理」と 言った。「それってどういうこと?」今思えば、どういうこともないだろうにあの時の私には佳主馬くんが言った言葉の 意味が分からなかった。ただ、何故夏希ちゃんは良くて私はいけないのだ! と思ったのだ。しつこく尋ねる私に、佳主馬 くんは視線を合わせてはくれず、長い前髪で表情を隠し「自分で考えて!」と怒ったように言った。
どうやら佳主馬くんを怒らせてしまった私はしょうがなく自分で考えてみたのだ。
そして出た結論は、多分きっと佳主馬くんは私の事を同じ位置に見ているのだということだった。実際は私は夏希ちゃんと 同じ年で、年上なのだけど、佳主馬くんは私の事を自分と同じ年頃に扱っているのだと考えた。夏希ちゃんとの態度の違いや、呼び捨てにしたり、 生意気な態度からも私の導き出した答えは正解なのだろうと思った。
つまり、佳主馬くんは自分と同じ位置に居る私に「佳主馬くんみたいな弟が欲しいな〜」なんて言われたから......と 言う事だろうか。

「...佳主馬くん怒ったかな?」

ぽつりと呟くと、目の前に切り分けられたスイカが載ったお盆を突き出された。お盆を突き出している手を辿っていくと、 そこに居たのは理香おばさんだった。

「これ持っていってあげなさい」


.
.
.


そろり、と納戸の中を覗き込むと佳主馬くんはいつものようにキーボードを叩いてはおらず、マウスを動かしていた。 多分今はOZでの対戦をしていないということだろう。
怒ってるのかな? 後ろから見ただけでは佳主馬くんが怒っているのかどうかなんて分からない。ここはいつもどおり声を 掛ければいいのだろうか。けれど、意識してしまうと言葉が出てこない。

「...なにやってるの」
「のわっ!」

考えに熱中しすぎていたのか佳主馬くんがこちらに来ていたなんて気付かなかった私は驚きのあまり手に持っていたスイカ の載ったお盆を落としそうになった。それを慌てて佳主馬くんが受け取ってくれたので、スイカは廊下の上に落ちる事は 無かった。そのことに安堵の息を漏らすと、佳主馬くんも息を吐いた。

「スイカ、食べない?」

佳主馬の顔色を伺いながら笑い、スイカを指差すと佳主馬くんがこくりと頷いた。


お盆を持ったまま納戸の中に入ると、パソコンの画面に"WIN!"と出ているのが見えた。キング・カズマは今日も絶好調の ようだ。いつもならここで「今日も絶好調だねぇ」なんて軽口を叩くのだけれど、怒っているかもしれない相手にまさか そんなこと言えるわけも無く、黙っていつもの場所に腰を下ろした。佳主馬くんはまたパソコンの前に座り、何やらマウスを カチカチ言わせている。せっかくのスイカを食べる気にはなれずに、私は頬をかいた。そして意味も無く納戸の中に視線を 彷徨わせる。普段から佳主馬くんは良く喋る方ではないので、私が喋らなければ納戸の中はひどく静かだ。

「食べないの」
「え、」
「スイカ」

ちらっとこちらに一瞬視線を寄越したかと思うと、またその視線はパソコンに戻った。

「あ、たべるたべる! 佳主馬くんは?」
「後で」
「ふーん......お、怒ってる?」

何か素早い動きでキーボードを叩いていた両手の指の動きが停止して、パッと佳主馬くんが振り返った。
さり気無く質問したつもりだったのだけど、驚いた様子の佳主馬くんを見るとどうやらさり気無くなかったらしい。じっと 降り注がれる視線にへらりと笑い返しながら「パソコンいいの?」と尋ねると、佳主馬くんはハっとしたようにまた私には 真似出来ないスピードでキーボードを叩き始めた。画面の中のキング・カズマが相手にパンチやら蹴りやらを入れている のが見える。そしてあっという間に画面には"WIN!"の文字が浮かび上がった。小さく息を吐いた佳主馬くんが振り返る。

「...怒ってないよ」
「よ、よかった」
「けど、ちょっと腹たってる」
「え!」

じろりと片方しか見えていない左目で睨まれる。

「そ、それは、もしかして私が佳主馬くんを弟扱いしたから...?」

おそるおそる尋ねてみると佳主馬くんは驚いた表情をして見せた。まさか言い当てられるとは思っていなかったらしい。 それから一度頷いて、ツンと唇を尖らせた。その表情は少し恥ずかしがっているようで、いつもと違って 中学生の男の子、年相応のように見えて微笑ましい。珍しい姿に思わず口元が緩むと、佳主馬くんが今までの中学生らしい 表情を一変させて真剣な表情になった。その顔はOZで対戦している時によく見る顔だった。

「言っとくけど、弟扱いしてられるのも今のうちだけだから」

最後に挑発的とも取れる笑みを浮かべて佳主馬くんはスイカへと手を伸ばした。




狙うは君の隣





(20100711)