自分の体の仕組みについてようやく分かってきたこの頃は初めて犬になった時のような失敗はしないようになっていた。 あの時は多分途中で気を抜いたのがダメだったのだと今になって思う。耳が変化して尻尾が生えてきて...私の体が 狼になろうと変化している所で集中力が途切れたのがいけなかったのだ。変身するときは最後までやり遂げないと 中途半端な姿になってしまうと、私は何度目かに気付いた。
それらを踏まえて...

「わふ!(出来た!)」

池を鏡代わりにして、完全に炎丸(仮)になったのを確認する。水面にはちゃんと狼の姿になった私が居た。
だいぶんコツもつかめた所で私はもう一度その場で人に戻った。それから誰も見ていないか辺りを見回して確認する。 おどおどしながら首を動かしている私は端から見れば確実に怪しい人だろう。こんな挙動不審で街を歩いていたら、 間違いなくお巡りさんの目についてしまう。だけどここは街でもなければ、お巡りさんも居ない。
木に囲まれていてついでに言えば人も居ないように思う。それを確認し終わってから私はもう一度精神を集中させた。 すぐに体に変化が起きるのを感じて、このままいけばまた炎丸(仮)になるという手前で止めた。
よし、これで多分...。
鏡代わりの池を恐る恐る覗き込むと水面にぴょこっと耳が映りこんだ。そろっともうちょっと身を乗り出すと、水面には耳の生えた状態の私の顔があった。
普通に人の姿である私に狼の耳が生えている。

「すっげえ...!」

手で触ってそこに耳があるんだと確認しただけと、その姿を実際に見て確認するのとでは衝撃が違う。
暫くの間食い入るように水面を覗き込んでから、今度は耳を触ってみた。
...間違いない、犬の耳だ...。柔らかくてふさふさしていて触り心地がいい...。
池に映った自分の姿を見ながら、ふとそういえば猫耳派よく聞くけど犬耳ってのは聞かないなと気付く。
犬耳かわいいじゃないか。
池を覗き込んで私の頭に生えた二つの物体を見つめながら思う。
...全然猫耳にひけをとってないし! 世間では猫耳ばかりがもてはやされて、猫耳喫茶なんてものまであるというのに 考えてみれば犬耳は聞かない。猫耳ばかりちやほやされすぎている。犬耳でも全然かわいいじゃないか...!
というか断然私は犬耳...狼耳派だ! 別に私が狼であるからとかそんな身内贔屓しての感想ではなくて、公平に 両者を見比べても全然犬耳はかわいい。犬耳喫茶があってもおかしくないのに、そんな喫茶店は聞いたことが無い。
そんなのおかしすぎる...! 私は変な使命感に駆られて“何故犬耳は流行らないのか?”について考察してみた。 幸い周りには誰も居ないので心置きなく犬耳を眺めながら欠点を探す事が出来る。
見かけには全然問題は無い。どころか、猫耳喫茶の人たちがつけてる猫耳は所詮偽者...こちらは本物という点で 手触り、反応などで勝っている...。
ならば他に欠点は...?
私は考えた...猫耳が流行り、犬耳が流行らない理由。水面に映る私の表情は険しいもので、眉間の皺がくっきりと 池に映っていた。どうみても真剣に悩む姿に、絶対私を見ても何故犬耳が猫耳に劣るのかなんて考えているとは思わないだろう。 自分でもくだらない事に熱くなりすぎだと思ったが、犬代表(厳密には狼だけど)としてはこの問題を見過ごすわけにはいかない。
猫耳...猫尻尾...にゃんこ...萌え...、...!!
片っ端から思いつくまま色々なワードを思い浮かべた。そしてその何気ない言葉の中にヒントを見つけた私は手を叩いた。 「真実はいつも一つ!」見かけは子供、頭脳は大人な名探偵のキメ台詞が頭の中を通り過ぎていった。
萌え萌えにゃん...これだ!!
厳密にはにゃんと言う語尾、これこそが猫耳人気の秘密ではないだろうか...?!
にゃんと言う言葉は猫を連想させる、そして確かに可愛らしい。対して犬は...わん、可愛いか可愛くないかで言えば 可愛い部類に入るだろう。だってほら、えっと...そうそう蛇とかはシャーだし、豚はブヒッだし!
“萌え萌えシャー”とか“萌え萌えブヒッ”より断然“萌え萌えわん”がかわいい。
だが、猫には悔しいが負けるかもしれない。
...いや、そんな弱気でどうする! 犬代表として負けを認めるわけにはいかない! 
猫が何だ、にゃんが何だ。わんだってかわいいはずだ!!
挫けそうになった心を奮い立たせるべく私は握りこぶしを作って決意し、池を覗き込んだ。水面には少々緊張した 表情の私が映りこんでいる。
猫に負けてたまるか! 言ってやる、犬耳だって猫耳に劣ってないって証明してやる...!

「......も、萌え萌えわん!」

どうだ、言ってやったぞ! 水面に映る私の顔は充足感に包まれていた。一つの大きな仕事をやり遂げた気分で、ぐっと 拳に力を入れる。全然“わん”でもかわいいじゃないか、後はポーズだ。あの招き猫みたいなポーズの犬バージョン を考えれば、きっと犬耳喫茶も近いうちに...

「...なにやってるの?」
「...ひぃっ!!」

突然、ぬっと水面に映る私の後ろから現れた顔と、耳元で聞こえた低い声に驚きすぎて悲鳴は喉のところで詰まった。 身を乗り出して池を覗き込んでいたので、驚きに跳ねた体が前のめりにぐらついた。瞬間、水面に叩きつけられる事を想像して 私は思い切り目を瞑った。

「...ぐあっ」
「ちょっ、落ちるよ...ほんとに何やってんの」

首が絞まったと思うと引っ張られた力に従って今度は後ろに体が倒れこんだ。けど地面と接触する事は無くて、またしても耳元で聞こえた 声に体を支えてくれたのだと理解した。何度か咳き込んで喉の調子を整えていると私を驚かせた張本人である佐助さんが呆れた風に私を見ていた。 その呆れた視線は私が池に落ちそうになったからか、それとも...違う意味があるのか...。
後者の場合を想像して気分が悪くなった私は恐る恐る遠まわしに佐助さんに尋ねた。怖過ぎて佐助さんを直視できず、 私は視線を傍に転がっていた石ころに集中させた。

「...見ましたね?」
「何を?」

すかさず返って来た言葉は不思議そうな響きを含んでいた。私の言った言葉の意味を知っていての嫌味っぽさは全然無かったので 私は小さく安堵の息を吐いた。

「いえ、見てないならいいんです...」
「そ。それよりおやつ食べないの?」

ほっとしたのも束の間、このままじゃ旦那に全部食べられちゃうと思うけど。と続けた佐助さんに「食べます!!」と叫んで答えた。 そして同時におやつが全て幸村さんのお腹に収まってしまうかもしれない可能性に焦る。早く帰らないと幸村さんなら 本当に全部食べてしまいそうだ。素早く耳と尻尾を消して早く早くと焦る私に佐助さんが宥めるように「旦那には待っといてってちゃんと言ってきたから」 と言ってきたが、私は幸村さんの甘いものへの執着心をよく分かっているのでそんな悠長に構えてられないのだ。

「そういえばさー」
「何ですか?!」

早く早くと私は小走りで歩いているというのに佐助さんときたら全然急ごうという気が無くてとろとろと歩いている。
佐助さんと私の間には二メートルぐらいの距離があいていた。私はその場で足踏みしながら佐助さんの足がゆっくり一歩一歩動くのを目で追っていた。 ホントに早くしてくれないと幸村さんに食べられちゃう! 雑談するよりもその足をもっと早く動かして欲しい!

「もえもえわん、って何?」
「!!」

その時の佐助さんの顔を私はきっと一生忘れないだろう...。