「どれどれ」

お館さまは気のせいでなければ目をきらきら輝かせ、手をわきわきさせながら迫ってきた。
その怪しげな手の動き以外は別段おかしなところもないし...というかお館さまが変なことをするわけもないので (例えば、どっかの誰かのように抱き潰したり、変な匂いを嗅がせたりとか)大人しくその場に座っていると大きな手が 頭に乗せられた。結構な重みのある手は、だけどその手からは想像できないほど優しい手つきで私の頭を撫でる。

「ふぅむ、いつまでも撫でていたい手触りじゃ」

頭を揉まれるような感覚はどうやらお館さまが毛触りを楽しんでいるかららしい。気持ちよくて目を細めるが、そのひと時はすぐに潰された。

「流石はお館さまでござる! 炎丸(仮)の毛触りは他の何とも比べられませぬっ!」

お館さまの言葉にうるさく無駄に元気よく拳を作りながら答えたのは幸村さんだ。その大声に肩がびくっと震える。
...この人、テレビみたいに音量調節出来たらいいのに。
幸村さんと居ると日々の生活で少しずつ寿命を減らされてしまいそうだ。
だけどボリュームは置いておいて、その内容は悪い気がしないものだった。他の何とも比べられない、ってのはちょっと言いすぎじゃないか、と思ってしまうけど、 幸村さんが嘘は言わない人だってことは知っているので私はにんまりと内心唇を吊り上げた。
まぁね! の意味で軽く吠えるとお館さまが楽しそうに笑った。

「どの毛皮にも負けぬ良い毛皮じゃ!」
「わふ!(そうでしょう!)」

得意になって吠えるとお館さまが少しだけ手の力を強めた。ぐりぐりと頭を撫でられて目を瞑りながら、どこか引っ掛かりを 覚えた私は先ほどのお館さまの言葉を頭の中で繰り返してみた。
“どの毛皮にも負けぬ良い毛皮じゃ!”
......毛皮...!!
不穏な言葉に今までの得意な気分は一瞬にして消え去った。毛皮って...まさか私を...!
人のときであったなら感じることがなかったはずの恐怖だが、今はとても身近に感じる恐怖である。毛皮のコート、バッグ、絶対反対!!
さり気無さを装って私はお館様から離れようとした。「あ、そういえば用事あったの忘れてたんだったー行かなきゃ!」 って雰囲気を醸し出してこの危機的状況から脱しようとしたのだが、お館様はいたく私の毛ざわりが気に入ったらしく、 私の頭をガシッと掴んで脱出を阻まれてしまった。

毛皮が剥がれる...毛皮が剥がれる...

頭の中を恐怖の言葉が何度も行き来する。助けを求めようと幸村さんを見つめるが、満面の笑みで「お館様に気に入られよかったな!!」 と返される。気に入られたからこその危機的状況なのに...! どう見てもあてにならない幸村さんから私は視線を 逸らして空中を見つめた。
お館様の服に仕立てられるのか、それとも敷物にされてしまうのか...襟巻きにされてしまうのか...。 ぞっとする想像に血の気が引いていく。毛が邪魔して私の青い顔は見えないだろうけれど、毛の下では私は多分真っ青に なっている自信がある。だって毛が剥がれるかもしれないってのにランラン歌ってられるほど私は馬鹿でも楽天的でもない。

「震えておるぞ、寒いのか?!」
「炎丸(仮)どうしたのだ?!」

自分でも気付かなかった私の異変に気付いてくれたらしいお館様が右の耳元で喚いている。あまりの声量に左の方に 体を傾けると、今度は幸村さんが左の耳元で喚いてきた。そのことに吃驚してビクッと体が震えると幸村さんが またしても大きな声に悲愴な色を滲ませて叫んだ。

「炎丸(仮)風邪か...?!」

思いもしない言葉に「え、」と思ってる間にも幸村さんは勝手に結論を導き出して手を伸ばしてきた。ガシッとお腹を締め上げられ、 「ぐっ...!」と声を上げたにもかかわらず幸村さんは私を抱き上げた。ぎゅうっとお腹に回された腕が圧迫してきて苦しい。突然なんなの一体!

「くぅ...(苦し、)」
「炎丸(仮)どうした?! 苦しいのか?!」
「ゎふ...(そうです、苦しいんです...)」
「おぉぉぉ、早く薬師に見せねば...!」
「落ち着かんか! 幸村!」

うろたえる幸村さんにお館様が叱咤する声を上げたが、幸村さんは尚も私を抱き上げたままおろおろしている。 幸村さんを今さっき嗜めてたというのにお館様もいつの間にか立ち上がって幸村さんと一緒に部屋の中をうろうろ し始めた。大の男が部屋の中をうろうろ... (それも一人はでかい犬を抱いてる)異様な光景が広がる部屋の扉を 開けた佐助さんは入ってくるのを躊躇するように中々足を中へと踏み出そうとしなかった。
だが幸村さんはそんな佐助さんの心情など無視で叫んだ。

「佐助っ! 炎丸(仮)の様子が変なのだ!!」
「えっ」

佐助さんはちょっとだけ目を見開いて躊躇するのを止めて部屋の中に入って来た。

「どうしたのちゃん。調子悪いの? ちょっと人の方に戻って」

一瞬、部屋の中の空気が凍った気がする。音になって私の耳に聞こえたわけではないけれど幸村さんとお館様が 「あ、そうだった」と言ったような気がした。そして私も同時にそう思った。「そうだった。人間に戻れたんだった」 空気を読むことに長けている佐助さんは(なんせ犬である私の感情まで分かってしまうのだから)敏感に部屋の中の 一瞬の空気を読み取ったようだった。困惑した様子で「...え?」とだけ呟く。
シン、と静まった部屋の中にそんな佐助さんの声はよく通った。
先ほどまでの騒がしさが収まった部屋の中で私は居た堪れなさを感じながら、佐助さんが言ったとおり人の方に戻った。

「...私は人間なんで毛皮は剥げません、よ...?」

本当ならこんな弱気な態度で言うつもりのなかった台詞だが、あまりにも居た堪れなさを感じてしまい、最後には 伺うように疑問符までつけてしまった。それに対して幸村さんとお館様はぱちぱちと瞬きをして、まるで予想の つかなかった言葉を言われたように一瞬戸惑っている空気が感じられた。

の毛皮を剥ぐわけがないであろう」

ちょっとの間に体勢を立て直すことに成功したらしいお館様が私の言葉に当然というように頷いた。
あれ、じゃあさっきのは私の勘違いだったのだろうか...。一先ず毛皮が狙われていない事を知ってホッと息を吐くと。 遅れてお館様に続くようにフリーズしていた幸村さんが握りこぶしを作って大声を上げる。だが、視線は不自然にきょろきょろと動いて私を映さない。

「そ、そうでござる! もしそのような輩が現れようものなら某が倒して見せましょうぞ!」

はりきって私の毛皮を剥ごうとする人が居れば倒してくれると言う幸村さんにいつに無いたのもしさを感じて少しばかり感動していると(挙動不審な所は気になるけど)、 途中参加で今まで話の流れを読めていなかったらしい佐助さんが会話に参加してきた。

「なに? 毛皮剥がれると思ったの?」

すでに口角は吊り上がり、声にも少しばかり笑いが含まれていることに気付いた私はすぐさま警戒態勢に入った。 間違いなく馬鹿にされる。それならばどのような言葉を繰り出して応戦すべきか。警戒態勢に入った私に佐助さんはフッとおかしそうに笑った。

「そんなわけないのに、おばかさんだね」

......お、おばかさんだって?!
佐助さんの“おばかさん”発言に私は雷に打たれたような衝撃を受けた。てっきり容赦ない罵倒が飛んでくるの だと思っていたら...おばかさんだって?!?!
馬鹿と言われていることに変わりはないんだけど何でか悪い気がしない。それどころか、なんだか...猛烈に恥ずかしい。 動きを止めた私に三人分の怪訝な視線が向けらていることに気付き、私はハッと意識を戻した。
何か言わなければ...!! 何か言い返さなくてはいけない!

「おっ、おばかさんって言う方がおばかさんなんでしゅよ!!」

噛んだ...! なんでしゅよ...って、最高にかっこ悪い!
動揺しているのがばれてしまいそうで、私はカッと全身が熱くなったのを感じた。それさえも恥ずかしくて私はこの場から 逃げ出したいという本能に従って部屋を飛び出した。「どこいくの?!」と追いかけてきた佐助さんの言葉に恥じも 何にも考えずに「トイレ!!」とだけ返して私は全速力で走った。トイレがどこであるのか三人には伝わっていない ことに気付いたのは後になってからだった。


「...なんなの。といれってどこ?」
「...殿は突然いかがいたしたのでしょう? お館様」
「...うむ。女子というものはそういうものなのじゃ幸村よ!」
「そういうものなのですか?! ...流石はお館様! 何でもご存知でござる!」
「うむ。......なんじゃ佐助、その目は」
「...あんまり適当なこと旦那に吹き込まないでくださいよ」
「う、うむ...」