“もえもえわん”の意味を佐助さんは知らないのに、それが私の弱みであることは分かっている。
厄介な人に知られてしまった。こんなことなら犬耳の将来なんて憂いているんじゃなかった...と考えてもすでに後の祭りだ。 これで佐助さんは私に対してあの臭い薬ともえもえわんという二つの弱みを握った事になるのだ。
対して私は佐助さんが炎丸(仮)の時にちゅーをしにくる事ぐらいしか対抗できる佐助さんの弱みを握っていないのだ その上にまた一つ弱みを見せるわけには行かない。
ということで私は佐助さんに助けを求めるわけにはいかないので恐怖と戦っていた。
ならば幸村さんに助けを求めてはどうかとすぐさま思いつき、布団からがばりと起き上がったものの弱みだなんだの前にこれがとても恥ずかしい事であることに気付いてしまい 、助けを求めるわけにもいかなくなった。

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事の始まりは私が人であると分かったからには今までのように犬扱いするわけにはいかない! という幸村さんの一言だ。 今までは犬だったので当然部屋なんてものは無かったわけだけれど、人なのだから部屋を用意するのは当然だと 幸村さんが部屋を一つ、私専用のものとして用意してくれたのだ。犬だったときは着の身着のままというか、服なんて ものは必要なかったし、ご飯と寝る所があればよかったのだけれど人間であるならそういうわけにもいかない。
これからも犬として飼われる気満々...というか今までの生活が変わるなんて事を想像してもいなかった私は思っても いなかった幸村さんの気遣いに喜んだ。炎丸(仮)の時の癖で飛びつきそうになったけど、今は体で喜びを表さなくても 口で喜びを表せるのだ。

「ありがとう!幸村さん!」
「ぁ、いや、うむ...」

目の前の幸村さんの手を掴んでぶんぶん振り回しながらお礼を言ったが、幸村さんは視線をきょろきょろさせてどこか挙動不審な様子だった。 その上に徐々に顔色を赤に変色させて全身真っ赤に変化しようとしているのをじっと見ていると、佐助さんがそれ以上はダメだのなんだの言って私と幸村さんの手を手刀で打って無理やり引き剥がした。 何がそれ以上ダメなのかと考えながら、ダメと言われればしてみたくなるのが人というもので、試しに先ほどの幸村さんと同じように佐助さんの手を握ってあげると 佐助さんがぎょっとした顔をして「なにっ?!」と飛び上がったのにはウケた。
珍しい光景に笑う私を見て、幸村さんと佐助さんが「とんでもない」とか言っていたので一応怒ったが、何がとんでもないのか今考えてもよく分からない。 という事で途中余計な回想まで挟んでしまったが、私は意外に気配りやさん(本当に意外)な幸村さんのおかげで自室を手に入れ喜んだのだけれど、思わぬ 盲点に気付いたのは太陽が沈み、夜も更け、さぁ寝ようという時だった。

つまり今。
今まで私は毎晩、佐助さんか幸村さんのどちらかと一緒に寝ていたのでうっかりしていた。
この世界には電気は無いので夜は心許ない小さな火だけが頼りになるのだけれど...それを点けてる時はまだマシだ。 けど消してしまうと真っ暗...本当に真っ暗になってしまう。現代っ子の私には不慣れな暗闇だ。
街灯に豆電球、いつだって夜でも光に囲まれて生きてきた私にとってこの世界の電気が一切無い夜は真っ暗すぎて恐怖の対象になるということが 今夜はっきりした。月の光だけが頼りだというのに今夜はやせ細った月しか空には居ない。ので当然、光の量も真ん丸の時より減少してしまう。
おまけに眠れなくて布団を被ったまま天井を見つめていると、そのシミの中に苦しむ表情を浮かべる顔が浮かび上がって見え... ますます眠れない。あれは目の錯覚だと自己暗示を掛けながら天井から視線を反らし、横向きで寝ることにしたのだけれど、戸に葉っぱがかさかさ 揺れてるシルエットが映っていてそれはそれで怖くて眠れない。ホラー映画ではこういう時に戸に人の影が映って... 息を呑んだその瞬間障子を破って中に入ってきて襲いかかってくるのだ...! だからと言って反対に戸に背を向けて 寝るのも怖い。侵入者に気付かずに、背後からざっくりやられる可能性だって無きにしも非ず...!
怖いと思っていると余計に怖くなってくるという理屈は理解しているけれど、この恐怖は消そうと思って消せるものではない。 それと同じで眠ろうと思って眠れるものではない。こちらに来てからはずっと佐助さんか、幸村さんと一緒に眠っていた 私は今夜が初めての一人寝なので、この暗闇にも今日初めて気付いた。二人と一緒に寝ていたときは怖いなどと感じたことは無かった はずなのに今夜は一人ということもあって些細な音も私の恐怖を煽る。
ざわざわと風によって葉がこすれあう音に体がびくっと跳ね上がった。布団を退け戸をじっと見つめるも、障子に 私が恐れている人影が映ることは無かった。無かったが、これからも映らないという保障はどこにもないわけで... それどころかああいう人影っていうのは油断した頃にやってくるのがホラー映画では常だ。こうやって気を張りつめている時はいいけど 眠さのあまり船を漕ぎ出したら...ざっくり。なんてこともありえるのだ。
そこまで考えると背筋が急に寒く感じて思わず身震いした。自分の想像でここまで盛り上がれるのもある意味私の才能みたいなもので、 私は最初、天井に顔を見つけたときの比ではないほどの恐怖を感じ始めていた。
これは、ちょっと眠れそうに無い...。
それどころか怖くて怖くて逆に目が覚めてしまっている。暗闇の中に誰かが潜んでいるような気がして自分の部屋だというのに びくびくしっぱなしの私はプライドを捨てる決意をした。
だけど佐助さんに言ったら馬鹿にされる事は分かりきっているので、まだマシな幸村さんのところに行く事にした。 幸村さんだったらこのこと誰にも言わないでくださいね! って言ったら一応は約束を守ってくれそうだ。
嘘が下手っぽいのでばれるのは時間の問題かもしれないが、その時はその時だ。今はとりあえず誰かと一緒に居たい。 私は布団を跳ね除けると戸まで走り寄った。外に誰も居ないか気配を探ってから戸を開けて慎重に廊下に足を踏み出す。 木がたくさん生えている間から誰かが見ているような気がしてそちらの方を見ないようにしながら私は全速力で 廊下を走ろうとした。

「...どうかしたか?」
「ヒィッ!!」

突然右手を捕まれたかと思うと背後から声が聞こえ、私はその場で軽く20cmは飛び上がった。
誰?! っていうかこういう時にお決まりの展開ならジェイソンみたいな殺人鬼じゃ?!

「ぎゃぁぁ、...ふがっ!」
「静かにしてくれないか」

背後から伸びてきた手によって口を塞がれて私の叫び声は屋敷中に響き渡る事は無かった。私としては響き渡って、誰かが やってくるの希望だったのだが背後の殺人鬼(予想)は私が叫ぶ事を予期していたようで素早く口を塞がれてしまった。
ここは自分の力で逃げ切るしかない、一刻も早く。じゃなきゃ殺される...!
むちゃくちゃに手と足をばたばたさせて後ろの殺人鬼(予想)を殴ろうと思い切り手を振り上げたものの、殺人鬼(予想) はいとも容易く私の手を受け止めた。
さぁーっと血の気が引いていくのと「落ち着け」と言われたのは同時だった。
「落ち着けったって今から殺されるのに無理に決まってる!」
叫び返した言葉は口を塞がれていたために言葉としては 成り立たなかったけど...。私の返答には呆れたようなわざとらしく重いため息が返って来た。