「もうー、旦那の仕事全然進まないじゃん」

戻ってきてまた出て行ってしまった幸村さんの背中を二人で見送ったときに、隣から非難する視線と共にそのような言葉を 投げかけられれば、責任を感じてしまう。そして今は炎丸(仮)の姿だというのに、佐助さんは全然誤魔化されてくれなかった。 それほど幸村さんは仕事を溜めているということだろうか...。
「力こぶ触らせてください」(本当はつつかせて、だけど。もっと言うならつつくと破裂するか実験させて、だけど)と言っただけで 出て行ってしまった幸村さんは意味がわからないけど、私が原因であることに間違いは無い。全然破廉恥なことなんかしてないのに... 幸村さんの破廉恥って一体どこからどこまで当てはまるのかよくわからない。
責任があるのは私なので、しょうがなく私は幸村さんを探しにいくことを申し出た。
炎丸(仮)になれば探すのだって時間がかからない。幸村さんのにおいは覚えてるし、今は走り回ってるから絶対にいつも以上に、匂いを撒き散らかしているはずだ。 私は早速鼻をフルに活用しながら幸村さんを探すことにした。

「寄り道しちゃだめだからね」
「わふっ!(はーい)」

佐助さんに見送られて私は部屋を出た。
空中に向かってすんすん鼻を動かせば、すぐに幸村さんのにおいを捕らえた。私の予想通り、いつもよりずいぶんと汗臭い。 まあ幸村さんはよく汗をかいてるから大体汗臭いんだけど。あまり臭いとは思わないのは慣れたからだろうか。それだとしたら嫌だな...。 そう思いながら、幸村さんの匂いがする方に駆けた。


「わほ!(見つけた!)」
「...炎丸(仮)!」

幸村さんは林の奥まで行ってようやく見つけることが出来た。私の姿を見つけると、笑顔になった。

「炎丸(仮)探しに来てくれたのか」

幸村さんは時々、私と炎丸(仮)が同一人物(?)であることを忘れてしまうらしい。ついさっき「力こぶ触らせてください」 と言った(幸村さん曰く)破廉恥な女だというのに、コロッとそれらを忘れている様子で私の頭を撫でている。

「わん!(帰りましょう!)」
「ん?」

私が早く帰って仕事をしてください! と急かすと、幸村さんはこてんと首をかしげて、私が言いたいことについて考えているようだった。 そして、少しの時間が経ってからひらめいたというように、ぱあっと笑顔を浮かべたと思うと検討違いなことを言った。

「そうだな! 少しだけ遊ぶか」
「わっほ!!(ちげえ!!)」

幸村さんに...というか、全ての人に佐助さんのように心の声を聞いてほしいとは言わないけど。恐いし。
だけどちょっとは言いたいことが通じればいいのにと思う。何度言葉の壁によって歯がゆい思いをしてきたか...。 そこまで考えて、そういえば今は別に言葉の壁が無かったことを思い出した。
早速言葉の壁を取っ払うべく、私はその場での姿に戻った。

「幸村さん帰りましょう!」

口が利けるようになったのと同時に声を上げれば、びくっと体を大げさに震わせた幸村さんの姿が目に入った。 目はまん丸であるところからも、完全に炎丸(仮)と私がイコールで繋がっていたことを忘れていたらしい。

「ゆ、殿...!」
「幸村さん部屋に帰りましょう。私迎えに着たんです。遊びに来たんじゃないんです!」

何故迎えに来たのかについては口にしなかった。仕事をしに連れ戻しにきたと聞けば、そんなことは無いと思うけどもしかして逃亡されるかもしれないと思ったからだ。 幸村さんは、体を動かすのは好きなようなだけど、机に向かうのはあまり好きじゃなさそうなのだ。 それを証拠に、私と佐助さんが机に向かっている幸村さんの背後で何かをしていると、仲間に入れて欲しそうにちらちらこちらを見ていたりする。 未だに私がだったことに衝撃を受けている様子の幸村さんに、私は手を差し出す。
手を開いて差し出せば、それがどんな意味なのかわからないというように目をまん丸にした幸村さんが、私の顔と手を交互に見た。 鈍いなあと思いながら「行きましょう」と、もう一度声をかける。そうすると幸村さんはようやく私の差し出した手の意味がわかったらしい。 一瞬フリーズしたと思うと、ボンッと音がしそうなほど急に顔が真っ赤になった。

「...い、いや、そ、某は...」

しどろもどろに何かをぼそぼそ言う幸村さんが言いたいことは何となく察した。
多分まだ確信は出来てないけど、幸村さんは女の子が苦手なようなので手を繋ぐことに抵抗があるらしい。多分これも破廉恥な好意に当てはまるのだろう。 私炎丸(仮)なんだけどなぁ...とは、最初に浮かんだ言葉だ。手を繋ぐどころか、抱っこされたり、一緒に寝たり、お腹の匂いを嗅がれたり、 いろいろなことをされてるんだけど...。 けど幸村さんは、私と炎丸(仮)がまだうまく繋げることができないようだ。 しょうがないので手を引っ込めれば、もじもじしていた幸村さんが慌てたようにこちらを見た。

「あ、いや! そういうことでは!」

何やら今度は焦りだした幸村さんは、かわいそうなほど汗をかいている。
なんかよくわからないけど焦っているようなので、私は適当に頷いておくことにした。 そろそろ戻らないと佐助さんに怒られそうなので、ここは穏便にことを進める必要がある。 私の頭はこのまま帰るのが遅くなれば、鼻にあの臭い薬をつっこまれるという拷問を受けるかもしれない可能性をはじき出していた。 なので、わかったふりをして頷いたのが、幸村さんは何やらホッとした様子だった。


そのまま来た道を辿って帰る道中、私はひたすら歩くことだけを考えていた。
頭にあるのは、幸村さんの仕事が間に合わなくなって佐助さんに怒られることだった。 炎丸(仮)のときにはあまり遠いと感じなかったけど、人の足では少し遠かった道のりを歩き、ようやく見えた屋敷に私はホッと息を吐いた。

殿...!」

そこで隣に黙って立っていた幸村さんが突然声を上げたものだから、びくっと恥ずかしいほど飛び上がった。 踏み出していた右足を一歩出した半端な状態で、私は今の場面を見られただろうか、と幸村さんを見た。 幸村さんはこっちを見ていた。だけど、私がびっくりして飛び上がったことについては指摘する様子が無かった。 だけど、何だか切羽詰った様子なので、緊張が走る。

「その着物!」

びしっと指を差されたので、思わず背中が伸びた。何かわからないけど気合十分な幸村さんの言葉に、私の背筋も勝手に伸びたのだ。 「はい!」と反射的に答えると、幸村さんは私を指差したままの格好で数秒固まった。妙な沈黙に、妙な緊張感が漂う。 ごくり、息を飲んだところでようやく幸村さんの口が開いた。

「..よ、よく似合っている、でござる...!」

最後の方はもごもご言い過ぎてよく聞こえなかったが”似合っている”と言われたことはわかった。

「...あ、ありがとうございます」

あまりにも緊迫していた空気だったので、幸村さんの口からどんな言葉が飛び出てくるのか心配したのに、何だか拍子抜けする言葉だったので肩の力を抜きながらお礼を言った。 指をさされている自分が今身に纏っている着物は、幸村さんにもらったものだ。幸村さんカラーである赤が散りばめられているかわいらしいデザインのものだ。

「私自分でどんなのが似合うとかわからないんですけど、似合ってるってことは幸村さんのセンスがいいってことですよね! ありがとうございます」

重ねてお礼を言いながら幸村さんに視線をやると、熱湯を浴びた人みたいに真っ赤な顔をした幸村さんが居た。

「大丈夫ですか!」
「問題ないでござる!」

どう見ても問題ありそうなのに、幸村さんは今にも鼻血でも吹き出しそうな顔色をしながら腕で顔を拭っている。
今のどこかに破廉恥要素が?! よくわからないけど幸村さんが顔を赤くするときは破廉恥関係が多いので、きっと幸村さん的には破廉恥なことが起こったのだろうと結論付ける。 それともセンスがいいと褒められたからかもしれない。嬉しくて顔が赤くなっちゃった、とか? 自分で言っておいてこの仮説には首を捻ってしまうけど。 まあいいやと思ったのは考えるのがめんどくさいからと言うこともあるけど、幸村さんの思考回路は読むことができないだろうということもあるからだ。