葉っぱがかさかさと音を立てる以外には何の音も聞こえない。
お姉さんは私が頷くのを待っているし、私は考えているふりをしているからだ。
触らせてあげるつもりではいるけど、お姉さんがあまりにも触りたそうにしているのでちょっとだけ意地悪をしているから"考えているふり"なのだ。 お姉さんはまるで判決が下るのを待っているかのように真剣な表情でこちらをじっと見ている。
あまり焦らすのもかわいそうな気がしたので、私はこくんと頷いた。そうして自分からお姉さんに近づいた。 そうするとお姉さんが見るからに嬉しそうに、表情をパッと笑顔に変えた。

「触ってもいいのだな!」
「わふ!(いいよ)」

そろそろと差し出された手が私の頭を撫でる。あまり力を入れない撫で方に、お姉さんはあまり動物と普段接していないのかもしれないと思った。 もっと力を入れてもいいよ、と言う意味で頭をお姉さんの手の平にぐりぐりと押し付ける。 そうするとお姉さんが楽しそうに笑い声を上げた。

「人懐こいな」

さっきよりは力を入れて撫でてくるお姉さんは楽しそうだ。ぐいぐいっと頭を押し付けながら近づけば、セクシーすぎる服に包まれた 大きな膨らみが目に入った。自分のものよりも大きなそれは柔らかそうだ。
今なら...今ならそこに顔を押し付けてもセクハラにならないんじゃないだろうか? だってお姉さんは私が人懐こい頭の良い犬だと思っているだろう。つまり、人であることはばれていないのだ。
それなら、それなら...!

「うちに来るか?」
「!!」

やましいことを考えていたので、突然話しかけられて体がびくっと震えた。 今まさに犯そうとしていた罪を見破られてしまったかのような心地で、心臓がドキドキしている。
「あぁ、だが謙信様が......いや、その前に母親の了承を得なくてはならないか...」
やましさで心臓がドキドキしているので私は落ち着かせるために息を大きく吸った。大丈夫だ。私が何をしようとしたのか お姉さんには気づかれていない。その証拠に「いや、いっそのこと母親も一緒に...」と、まだ何事かを呟いている。


ぶつぶつと何かを呟きながら考えに没頭しているお姉さんを眺めていると、不意に鼻腔を嗅ぎなれた匂いが掠めた。 スンと、鼻から大きく息を吸い込みながらも意識をそこに集中させれば、やはり嗅ぎなれた匂いだ。
先ほどよりも確信を持つことが出来たので、今度は耳に意識を集中させた。

「炎丸(仮)ーどこにいるー」

少し遠いところで聞こえた声は、鼻を掠めた匂いの持ち主だ。
そこで私は自分が迷子になってしまっていたことを思い出した。無我夢中で団子を持って逃走したために帰るための経路がわからなくなってしまったのだ。 見つけてもらうことが出来たという安堵と共に再会できる嬉しさに私の尻尾は勝手にパタパタと左右に激しく動き出した。

「わんっ!(こっちだよ!)」

大きな声で一吼えすれば、森の中ではとても目立つ赤い服を纏った幸村さんが現れた。

「炎丸(仮)! このようなところにいたのか!」

どうやら心配していたらしい幸村さんは眉をハの字にして情けない顔で現れた。そうして私の姿を確認するや否や猛烈な勢いで走ってきて抱きつきに来た。 その腕の力が思っていたよりもきつかったので「ぐえっ」と喉からおかしな声が漏れた。
ぎゅうっと絞め殺されるのかと思うほどの力で抱きしめられ、苦しさのあまりその腕から逃げようともがいたところでようやく自分が絞め殺そうとしてしまっていたことに気づいたらしい幸村さんに解放された。

「わふっ!わんっ!!(殺す気かっ!)」
「す、すまぬ、つい...」

いつもは言葉が通じない幸村さんも、私の剣幕で怒っていることは理解してくれたようだ。
しゅんっと頭を垂れながら謝罪する幸村さんは、何だかかわいそうだった。思わず同情してしまった私は、許してあげることにした。危うく締め殺されそうになったっていうのに私って心が広い。
「わほ(以後気をつけるように)」
だけど幸村さんは私の話を聞いちゃいなかった。

「そうか、炎丸(仮)も心細かったのだな!」
「わんっ!(いやそんなこと言ってないし!)」

切り替えが早すぎる幸村さんはさっきの反省ポーズもどこえやら、私の頭をわしゃわしゃと撫でながらご満悦な表情で笑っている。 それに心細かったなんてそんなことは全然無い。お姉さんと遊んでいたのだから...と、そこまで考えて幸村さんに紹介するのを忘れていたことを思い出した。

「わふっ!(そうだ、お姉さんが相手してくれてたんです!)」

慌ててほったらかしにしてしまっていたお姉さんを紹介しようと後ろを振り返るものの、そこには誰もいなかった。
確かにさっきまでそこにお姉さんがいたのに...そう思いながら匂いを嗅ごうと鼻を動かしてみると、微かに匂いの余韻を嗅ぐことが出来た。 それがさっきまでお姉さんがいたことの証明にはなるものの、証明したところで本人がいないのだからどうにもならない。

「んん?」

幸村さんは私が何か伝えたいと思っていることを察して理解しようとするように、目を合わせながら考え始めた。 佐助さんは何故か私が犬の姿で話していても何を言っているのか怖いほど察してくれるものの、幸村さんはそうはいかない。 理解してくれようと努力をしてくれているのはわかるが、残念なことにその努力が実を結ぶことはほとんど無い。(先ほどのやり取りでもわかるように...) だけど幸村さんは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。そして何かを閃いたような無防備な表情を浮かべたと思うと、 また眉間にしわを寄せて難しい顔になってしまった。その一連の表情の変化を眺めていると、突然しゃがんでぽん、と肩に手を置かれる。

「わかった。そのように気に病むことはない」
「(え?)」

特に何も気に病んでは居なかったので、一瞬呆けた顔をしてしまった。だけど気に病むべきことがあることを思い出した。 こうして迷子になって幸村さんと佐助さんに迷惑をかけてしまったということだ。
急いでお館様のところに行こうとしているのに確実に私が時間をロスさせてしまった。私はそれを気に病むべきだったのだ...!

「団子を持ち去ったことを気にしているのであろう? 大丈夫だ、俺は気にしていないぞ」
「わふわんっ!(お前が言うなー!!)」

一瞬でも反省してしまったことを後悔させる幸村さんの言葉に、先ほどの自分を殴りつけてやりたいような憤りを感じた。
一人で何十本も食べたくせにそれを幸村さんが言うのか?! それも自愛に満ちたような表情をしていることも気に入らない。 怒りに任せて私は幸村さんにタックルをかましてやった。よろけたところですかさず背中の上に乗ってやった。

「炎丸(仮)! 何をする?!」
「わん(天誅)」
「そのようなところに乗っていては歩けぬではないかー!」
「わんっ!(うるせー!)」