白く細い指は精巧な作り物のようだと思った。
あまり無理に引っ張っては壊れてしまいそうだ。 恐る恐る握った手は存外暖かった。
このまま井戸まで連れて行こう。目にごみが入ったといって瞳を濡らしている先輩をこのままにしておくのは 色々な意味で危険だ。出来るだけ急ごうと考える僕は一歩を踏み出すも、存外暖かい手の持ち主が動かなかったのでつんのめってしまった。 慌てて振り返り、細い指を壊してしまってはいないかと視線を走らせる。僕が点検する傍でその手が動き、僕の手を強く握った。 そのことに驚くと、僕の反応に怯んだように力が緩められる。
顔を上げれば今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべながらも笑っている先輩が居た。 すぐさま僕の頭は混乱した。
何かいけないことをしただろうか?
泣き出しそうなのに無理に笑顔を浮かべているのが余計に痛々しいのに、 この人は分かっていないのだろう。泣かないで欲しい、けれどどうすればそのしずくが零れるのを止められるのか 分からない。おろおろとしながら僕は考えがあったわけではないが咄嗟に握っていた手を強く握った。 その瞬間、表情が驚きに変化した。目を軽く見開いて先輩は繋いでいる手をジッと見た。
その先輩の行動で、僕は今更になってその作り物のようにきれいな手を力強く握っていた事に気付いた。 背中を嫌なものが駆け抜けるのを感じながら反射的に手を離そうとしたが存外暖かい手が離してくれなかった。
僕が逃げるのを許さないとでもいいたげにぎゅっと握られている。そこで初めてきれいな手はきれいなだけではなく、ところどころ硬くかさついているところがあることに気付いた。
――怒らせてしまったのかもしれない。
今の状況から考えて一番それらしい考えが頭を掠める。すぐにでも謝ろうと口を開くも、声に遮られた。

「友達になってください!」
「...え?」

思考が停止するとはこのことだろう。
予想外すぎて頭が言葉を飲み込めなかった。

「俺と友達になって欲しいんだ!」
「...え、あ、」
「あ、先輩後輩とかそんなの抜きにして友達になって欲しいんだ。俺のことは先輩と思わないでくれていいっていうかその方が うれしいっていうか...」
「あ、え、はい...」
「えっ! 今の返事って了承するって意味でのはい? それとも、えっと...無理って意味でのはい...?」

もじもじしたかと思うと、僕の半ば意識の無い言葉に食いついてきた先輩はパッと表情を明るくしたが、 もう一つの僕の言葉の意味を考えて顔を青くしている。目の前で表情がくるくる変わるのを見て僕は衝撃を受けた。
こんなにも表情が豊かな人だと思わなかった。そしてこんなにもよく喋る人だとは思わなかった。
僕がこの状況をうまく飲み込めず呆気にとられている間も先輩は僕の返答は律儀に待っていた。
これは何かの冗談だろうか?
僕はあまり先輩の人柄を知らない。それを言うなら学園の中で知っている人は圧倒的に少ないのだが...。
先輩はこういう冗談を言って後輩をからかったりする人なのだろうか?
ついさっきからの付き合いしかないが、その線は薄いと僕は感じていた。伺うように先輩は見ると視線を反らされた。
「断られたからって別に逆恨みとかしないから大丈夫。田村くんが思うまま、嫌だったら嫌って言ってくれていいから」
どこか遠い所を見ながら話す先輩の口元が笑みを形作ろうとして歪な形をしているのを視界で捕らえた次の瞬間、 気付けば僕は頷いていた。
目の前の表情が花開くように満面の笑顔になるのを僕は瞬きせず、息を詰めて見ていた。

「あ、ありがとう! 田村くん!!」
「い、いえ...」

わーい! と声を上げて喜ぶ先輩は傍目に見ていて喜びすぎだろうと思うほど喜んでいた。
学園内ですれ違う時に見ていた先輩はどこにも居ない。
かくして、僕は先輩と友達になったのである。




「...今のは見間違えか? 先輩ではなかったか?」
「滝、ちゃんと目開けてた? 先輩だったよ」
先輩...? 見ない人だね? 三木ヱ門くんの友達なの?」
「そうだ! 三木ヱ門! 先輩と友達とはどういうことだ?!」

食堂中の誰もが僕たちの会話に聞き耳をたてているのが分かる。普段からは考えられないほどに食堂内が静まり返っているのが何よりの証拠だ。 という人はそれほどまでに感心を集めている人なのだ。だが、説明しろといわれても当事者である僕もよく理解できていない。
友達になって欲しいと言われたから頷いた、それだけの話なのだ。
それだけなのに理解できない難しい話だ。

「僕もよく分からない」

そのまま口にしてみれば、目の前の滝夜叉丸が不可解な表情をした。
そんな顔をされても僕だって分からないし戸惑っているのだ。

「それでは全然分からんだろう!」
「僕だって分からないんだ!」
「当事者だろう。それなのに分からんなど...あぁっ! 喜八郎それは私の漬物だぞ!」
「うん。おいしいよ」
「おいしいことなど知っている! お前は漬物が嫌いだっただろう!」
「だって意外においしいことに気付いちゃったんだもん」
「あはは、滝夜叉丸くんよかったら僕のをあげるから」
「タ、タカ丸さん! いえ、それはタカ丸さんの漬物なので...喜八郎!」

いつもの空気が流れ始めた。それが合図だったかのように、今まで身じろぎもせずに聞き耳をたてていたであろう 食堂内の人たちも先輩が現れる前までの動きにそれぞれ戻った。きっと今の出来事にそれぞれ思うことはあるだろう。
今まで謎の人物とされてきた先輩が親しげに僕に話しかけてきた。
それは忍術学園内ではちょっとした事件だ。