そろそろかな。俺は寝転んでいた縁側から立ち上がり、ぐっと伸びをした。すると部屋の中で思い思い過ごしていた 全員の視線がパッと俺に向けられる。

「どこ行くの、
「どーせストーカーしに行くんだろ」
「ストーカーじゃないし!!」

ダンッと足を踏み出して、強くきっぱりと否定したというのに皆の視線はしらっとしたものだった。
何言ってんの? どう考えてもストーカーじゃん。みたいな! 心の声が聞こえてくるかのよう!!

「ちょっと話しかけるタイミング計ってるだけだし!」
「それで長時間ずっと見てるんだろ? 紛れも無いストーカーじゃん」
「や〜い、のストーカー」
「違うもん!!」

「もん、とかお前ちょっときれいな顔してるからって調子こいてんじゃねぇぞ!」とか何とか言ってる声が聞こえたが俺は華麗に無視を決め込んで部屋を出て行った。
なんなの、もうー、あの態度。俺がみんなだけのものじゃなくなっちゃうことに嫉妬してるのかしら?

   なーんて無理やり良い方に考えてみたけどそんなわけがあるわけがない。

悲しくなるから現実から目を逸らしてそういう風に思い込もうかなって思っただけだし。ま、思い込めてない時点で意味が無いんだけど!
それにしてもストーカーとかマジで失礼すぎるんですけど!!マジ遺憾の意なんですけど!!
俺はちょーっと話しかけるタイミングが分からなくて木の陰からこっそり覗いたり、屋根裏からこっそり覗いたり、 こっそり尾行してみたりしてるだけなのに、それをストーカーとか!!

「...」

いや待って、え? もしかして俺って本当にストーカーというやつになってない?
ぷんぷん怒りながら進めていた足の動きが自然と止まった。ぐるぐる頭の中で回るのは今の言葉たちをまとめた言葉だ。

「俺ってストーカーなの...?」

愕然としながら呟いたそのとき、目の前の曲がり角を誰かが曲がってきた。
ハッと体を強張らせ、どこかに隠れる場所はないかと辺りに視線をやって咄嗟に戸が開きっぱなしになっていた部屋の中に体を滑り込ませる。 戸の影に身を隠して息を殺す。

「...おい、」
「しっ!」

俺がストーカーかもしれないと呟いていたのをもしかしたら聞かれていたかもしれない。そうすると変な噂が学園中 に巻き散らかされてしまうかもしれない。そうなると俺は暢気に友達100人出来るかな〜とか言ってる場合じゃなくなる。 ストーカーなんてこの学園には置いておけないと学園から追い出されることになる。学園の平和を乱すストーカーは排除する!ってことになるでしょ。 どうにかさっきの奴が「あれ、ここに人が居たように見えたけど...そしてストーカーかもしれないという呟きが聞こえたような気がしたけど...なんだ気のせいか!」で済ませて くれるのを願っていると、特に不思議そうでもない眠そうな顔を浮かべる忍たまが部屋の前を通過していった。
よかった。多分俺の動きが早すぎて奴の目では捉えきれなかったのだろう...! というのは冗談だけど、 あっちが気付くよりも早く俺は動けたようだ。どうやら俺がストーカーかもしれないという情報は漏れずに済んだらしい。
ホッと息を吐きながら額の汗を拭っていると何かの気配を背後に感じ、俺はハッと振り返った。
人が居るとは思わなかったので、危うく飛び出そうになった悲鳴をどうにか飲み込むことに成功した俺は、平常心を心がけながら声を出した。

「すいません。勝手に入ってしまって」
「あぁ、いや...」

俺が礼儀正しい態度を取ったことが意外なのか、目の前の先輩(確か濃い緑の装束は六年生)覇気の無い声で答えた。 先輩は文机の前に座った格好で、左手はそろばんに添えていて右手は今まさにそろばんを弾こうとしているところだった。 だけどそんなことよりも気になるのは先輩の顔だ。
この先輩、すごい隈なんだけど! 何日寝てなかったらあんなことになるの?!
恐いほど濃い隈なんだけど!! この先輩は一体何日前からここでそろばんを弾き続けているの?! そんなにもそろばんって楽しいものだったっけ?

「...なんだ、」

思わず隈を凝視してしまっていたらしい。居心地悪そうに視線をそらす先輩に俺は慌てた。

「いえ、何でも無いです! すいません」
本当は何日寝ずにそろばんを弾いているんですが? とか尋ねたいところだけどさすがに空気が読めて無さ過ぎると思って口をつぐんだ。
そう! 俺って結構空気が読めるほうなんだよね! 
そろばんを徹夜で楽しく弾いていたところをこれ以上邪魔してしまっては悪いと思い、そろそろお暇しようとすると突然背後から声がかけられた。

「誰かに追われていたのか」

振り返れば濃い隈をこさえた目がこちらを凝視していた。
その目はどこまでも真剣だ。こちらの身を案じてくれているのだろうかと予想して胸が熱くなったが、だからこそ真実は隠さなくてはいけないと思った。 一人でごちゃごちゃ騒いでいただけです! なんてことを言ったら確実に呆れられるし、怒りをかってしまうこともあるのでここは黙っている方がいい...! だけど堂々と嘘をつくというのも良心が傷んでしまい、結局返答は微妙なものになった。

「いえ、そんなたいしたものでは...」

視線がどうしても合わせられず、定まらずにうろうろさせる。 「って嘘つくときとか気まずいとき目反らすよね〜」と、指摘されていたというのにどうしても直すことが出来ない。 誤魔化すために頭をかいたところで、そういえばこれも指摘されたのだった、と思いだして苦笑いを浮かべながら手を下ろした。

「何かあれば言え」
「...え?」

どうしたものかと思っていると、思いがけない言葉をかけられた。視線を目の前の濃い隈をこさえた顔にむければ、相手は途端にサッと視線を反らす。

「...場合によっては手を貸すと言っとるんだ!」
「え、あ、ありがとうございます...!」

あらぬ方向を見ながら半ば怒鳴るようにして声を上げた目の前の人に、慌てて頭を下げながらお礼を言った。 そうしてからじわじわと今の言葉の意味を今更理解してびっくりした。
今会ったばかりなのに俺が困っていたら助けてくれるなんて...! この人は天使かなにか... ?
感動のあまり胸が痛んだのでそこを抑えながらじーんとしていると「...用が無いならさっさと行け」と言われてしまった。 確かに、用も無いのにここに居るのは楽しくそろばんを弾く邪魔をしているようなものだ。

「あの! ありがとうございました!」

最後にもう一度だけ頭を下げて部屋を出た。足がものすごく軽くて、今なら誰にも追いつかれないスピードで走れそうだ。
今まで全然知らなかったけど、あんな天使のような先輩がいたなんて!