エスケープ




キースさんはとても大げさで、感情表現がストレートだ。
喜んでいる時のキースさんの言葉を文字に起こすとエクスクラメーションマークが語尾にたくさんつきそうな、とても 分かりやすく感情を表す人なのだ。だけど今回は違った。静かに、喜びを噛み締めるように話していた。それが私には衝撃的だった。
心底嬉しそうな表情で微笑むキースさん。
私は、私は...


「うおおおぉぉ...!」

部屋に帰った私はベットに助走をつけて飛び込み、唸りながら枕に拳を叩き込んだ。

「私は...! なにをやってるんだぁ...!!」

ベットからガバッと上体を起こして頭を抱える。その時に壁に掛けてある時計が視界に映り、私はあることを思い出した。 ベットから飛び降りると、テーブルの上に置いてあったテレビのリモコンを掴んで電源を入れる。 それから何か興味を引かれるような番組は無いものかとチャンネルを変え、一周したところでめぼしいものが無かったので しょうがなく一番気になった“海の王者サメ”という番組を見ることにした。 見たい番組があったと言ったからには何か番組を見なくてはいけないと思っての行動だ。
もし明日キースさんに 「そういえば昨日は何の番組を見たかったんだい?」と聞かれないとも限らない。その時に答えられなくては困った展開になる。
小ざかしい頭だ。こういうときには回転するのだから。
視線はテレビに向けながらも瞼に焼きついたように、まばたきをした瞬間にちらちらと視界に映るのは 微笑みを浮かべるキースさんの姿だった。ちくちくどころではない胸の痛みを覚えて私は細く息を吐いた。 テレビには専門学者の人がサメの歯の模型を手に、サメの歯がどれだけ鋭いかについて説明している。

.
.
.

「すごくうれしい」

名前を呼んだだけなのにへにゃりと表情を緩めて幸せそうな顔をしたキースさんに、私は何だかこしょばいような心地になった。 さっきまで緊張していた体からフッと力が抜けたのを感じる。
こんなことならもっと早くにスカイハイさんじゃなくてキースさんって呼べばよかったな、と暢気に考えてから 何故キースさんと呼ぶようになったのかの過程を思い出して、すぐさま罪悪感を覚えた。
ただの友達に名前を呼ばれてもここまで喜ばなかったかもしれない。恋人であるらしい私が...今まで頑なに自分の 名前を呼ばなかった恋人に名前を呼ばれたから...。
そこまで考えて、私の胸にぶすぶすと針がいくつも刺された。 きりきりと痛む胸と胃を抱えて私はそこはかとなく漂う甘い空気に冷や汗を垂らした。
いつのまにか私たちは道の端っこに移動していたようで、迷惑そうな視線を浴びることはなかった。 変わりに好奇の視線や、こんなところでという呆れた視線、冷やかすような口笛なんが送られてくる。 キースさんはヒューという口笛に満更でもない様子でハハハ、参ったな。みたいな感じで笑っているが私は今すぐに さっき口笛を吹いた兄ちゃんたちに「違います! 私たちそんな冷やかされるような関係ではないんです!!」と弁解しに行きたかった。 だがキースさんの前でまさかそんなことが言えるわけもなく...。明らかに周りからは熱々なカップルだと思われているのだろう...。

「あああああ」

突然壊れた人形のように奇声を上げた私にキースさんは当然驚いた顔をした。

「どうしたんだい?!」

吃驚した様子で尋ねられて私はごちゃごちゃする頭の中から何か言い訳を探さなくてはと焦った。

「私っ、あの、その、...テレビ!」

頭上で電球がパッと光ったみたいに閃いた。

「見たいテレビがあって!」

もう帰らないといけないんです!!
この時間帯に放送している番組が何であるかは思い出せないまま、この場から去りたいがための当てずっぽうの言葉が 口から出た。だけどいまいちテレビが見たいなんてこの雰囲気で言い出すのはあからさますぎるんじゃないかと 口にしてから思った。もしかしてこの桃色の雰囲気に耐え切れずに奇声を上げて、テレビが見たいなんてみえみえの うそをついたのだと気付かれただろうか。背筋にひんやりとしたものを感じて私はごくんと唾を飲んだ。
キースさんを傷つけるつもりも、傷つけたくもない。

「そうだったのかい?! それは大変だ!!」

だが、相手はキースさんだった。
それは大変だ! の言葉の通りにキースさんは焦った顔をして腕時計にちらりと視線をやってから 「録画はしたのかい?!」と親切にも尋ねてくれた。読めなかった展開に私はしどろもどろ「あ、いえ...」 とだけ答えるとキースさんは本日二度目の「それは大変だ!!」を繰り返した。
穴だらけの作戦がうまくいってしまったことに少しの間唖然としていたが、私はこれは好機だと気付いた。

「あの、じゃあ私帰りますね!」

言うが早いが頭を下げて、私はそそくさとその場を去った。

「また明日!」

ちらりと肩越しに振り返った先にキースさんがにこにこしながら手を振るのが見えて、私はまたしても胸の痛みを感じた。

どこまでも自虐的な気分の私は、サメの生態について延々と解説している音声を聞きながら決意を固めた。 こんな思いはもう嫌だ。明日にはきっとキースさんに言ってみせる。







(20121026)