マイネーム




昨日の決意はどこへやら。だけど一応私も努力はしたのだ。何度かキースさんを呼び止めたものの、直前になると 尻込みしてしまってどうでもいい話に逃げてしまう。例えば、こういうときのどうでもいい話代表、天気の話とか。

「キ、キースさん」
「ん? なんだい?」
「...」
「...」
「...今日はいい天気ですね!」
「あぁ、今日は快晴だ!」

という会話を3、4回は繰り返したものだから仕舞いにはカリーナに「あんたたち一日何回天気の話をすれば気が済むの?」 などと心底呆れた調子で言われてしまった。虎徹さんには「お前らはじいちゃんばあちゃんか」とかも言われた。 自分でも意気地のなさにほとほとあきれてしまう。そして、私が天気の話を振るたびに律儀に話に乗ってくれるキースさん に対して自己嫌悪の気持ちは膨らむばかりだった。嫌な顔ひとつせずににこにこ話に付き合ってくれるキースさんは本当にいい人だ。 かっこいいし、キングオブヒーローだったし、優しいし、さわやかだし。
何で私のことなんかが好きなんだろう? 
ふと頭に沸いた疑問は私の体温を上昇させ、自己嫌悪する気持ちに拍車を掛ける。
それだというのに私は肝心の言葉を口に出来ずにまたも意味のない話ばかりを口にする。



喉元まで言葉は競り上がっているのにごくんと何度も飲み込んでしまう。いい加減胸焼けを起こしそうなのに勇気のない 私は未だにそれを口に出来なかった。あの決意した夜からすでに二日経過したわけだが、私は相も変わらずキースさんと 一緒に月の下、帰路を歩いている。気を抜けば曲がってしまいそうになる背中に棒を入れているつもりで背筋をまっすぐに 保ったまま歩いた。
今日こそ、と思ったのに、こうやって一緒に歩いているのだからまたしても私の意気地が無かったことが証明されたことだろう。 おまけに何の話をすればいいのか思い浮かばずに、私は先ほどからキースさんが振ってくれる言葉に「はい」とか 「そうですか」とか「へぇ」とか気の利かない相槌を打っているだけだ。(一度だけ「あ、サメの生態についての番組です」 と返答らしい返答をしたけど...)そろそろ地獄行きの切符が送られてくるのも時間の問題だ...。

「それじゃあ...」

あっという間に辿り着いた自分の家が納まったマンション前で私はいつも通りお礼を言いながら頭を下げた。

「あっ、あぁ、...うん」

予想に反し、いつになく歯切れの悪い返答が聞こえ、私は次に口から出すべく準備していた「おやすみなさい」を喉に留めた。 何か話したいことがあるのだろうか。そう思ってキースさんを見ると、何だか様子がおかしい。
ちらっとこっちを見たかと思うとパッと目を逸らして、視線をうろうろと落ち着き無く彷徨わせている。どうみても挙動不審だ。

「...あの、どうかしましたか?」

控えめに声を掛けるとキースさんはびくっと体を震わせてから誤魔化し笑いのようなものを浮かべた。

「あ、......いや!」

キースさんはとても素直なので無理に笑っているとひと目で分かってしまう。そんな笑い方で誤魔化せるわけがないのに、 それならまだ笑わない方がいい。いつも笑顔のキースさんが無理して笑っていると何だかとても気になってしまう。

「何かあったんですよね」

今度は断定的に言葉を続けた。するとキースさんは少し驚いたように目を見張ってから、降参したように眉尻を下げた。 そして不思議そうに小さく小首を傾げ、難しい顔をしながら「何でばれてしまったのだろう」と、ぽつりと呟く。 それに思わず笑ってしまいそうになる。あんなに分かりやすいのにばれていないと思っているらしい。 いつもハキハキ元気のいいキースさんがさっきみたいにしてたら一発で何かあったと気づいてしまうに決まってるのに。 やや緊張した面持ちのキースさんが前置きのような細い息を吐き出したのが分かり、私は緩まりかけていた口元に力を入れた。

「...名前を、呼んでくれるようになっただろう?」
「...え、はい」

思わぬ会話の方向に戸惑いながらも答える。まさか私に名前を呼ばれるのがやっぱり嫌だったとか言う話だろうか? それともどういう形でかは分からないけれど私がキースさんを騙していることを知って、どういうつもりだという ような話だろうか。どちらにしても両手を広げて大歓迎できる話ではない...。
やっぱり何も聞かずに家に帰ってはいけないだろうか...。
今更ついつい逃げ腰になるが、私が話すように促したのだから最後まで聞くのが義務、というより常識だろう。 それならば年貢の納め時と言うやつで、覚悟を決めなくてはいけない。もし全てばれてしまっているのなら素直に謝ろう。 謝ったからと言って許してもらえるとは思えないけれど...。
そうなるとキースさんとは今までのように話せなくなってしまうのだろうか?
話せなくなるだけじゃない。こうやって一緒に帰ることも出来なくなるんじゃないだろうか。
その事実に私は今更ながら事の重大さを知った。
キースさんとの関係そのものが壊れるかもしれない。それに気づくと同時に胸に痛みを覚えた。胸を誰かの手で握られて いるかのような痛みだ。おこがましいとは思うが、私はこんなことをしたくせにキースさんに嫌われたくないらしい。 一瞬にして色々な考えが頭に浮かび、腹を括るどころか悪あがきしたいような気分になりながら、しんみり肩を落として 虚ろにキースさんを見上げると、今私が想像した会話がこれから展開されるにしては何だか様子が違うことに気付いた。 私が騙していたと分かったら怒りそうなものなのに、キースさんにそんな様子は見受けられない。
キースさんは緊張した面持ちで視線をきょろきょろさせたかと思うと私を一瞥して唇を噛んだ。
何の話かわからないが緊張していることは伝わってくる。それが伝染して何だか私も緊張してきた。
何だろう、私は他にもいけないことをしたのだろうか...?
長い間が空いてからキースさんは決心したように小さく息を吸った。それを見て私の喉がごくりと音をたてる。
一体なんの話だろう...? やっぱり私に名前を呼ばれるのが嫌だとか言う話だろうか?
心臓が尋常じゃなく早い動きをするのを感じながら、私は真剣な表情を浮かべるキースさんが口を開くのを今か今かと待った。

「わ、私も名前で呼んでもいいだろうか...?」
「...」
「...」
「...え?」

思わずポカンと口が開いた間抜けな面でキースさんを見上げた。
キースさんはそんな私の間抜け面を見下ろしながら慌てたように言葉を続ける。

「今もすでに名前で呼んでいるのだがそうじゃなくて! その、...」

その、なんだろう? 言い難そうに言葉を途切れさせ、キースさんは目を伏せたかと思うと暫し沈黙し、ごにょごにょと 何かを呟いた。よく聞き取れなかったので反射的に「え?」と聞き返せば、ようやく顔を上げてこちらを見てくれた。 この展開をうまく処理できていない私は多分まだ間抜け面をさらしている。
少し逡巡して目をギュッとつぶったと思うと先程よりは大きな声で、だけどいつもに比べれば随分小さな声でキースさんが呟く。

、と呼んでもいいだろうか...?」

反射的に肩が跳ねた。目の前のキースさんはまたも俯いてしまっているが、金色の髪の間から赤みを帯びた耳が見えた ので、きっと顔も同じくらい赤くなっているんだろうと想像できた。キースさんは照れているんだ。 それが分かると自然とさっきまでのキースさんの態度についての疑問も解けた。

「お、あ、へい!」

動揺のあまり板前さんみたいな返事をしてしまったけどそれを恥ずかしいと思うほどの容量は頭に残っていなかった。 この状況にいっぱいいっぱいだ。

「本当かい?」

私の板前さんみたいな威勢のいい返答を聞いた途端顔を上げたキースさんの表情は眩しいほどに笑顔だった。
そんな大げさな、とは思うもののそれが作り物の笑顔じゃないことくらい分かる。キースさんは私を名前で呼ぶ許可をもらったことが 嬉しいようだった。どうしたらいいのか分からない。何だか体がむずがゆいような感覚とじわじわと体温が上がっている ような気がする。顔までも熱くなるのを感じて私はそれを隠そうとキースさんの笑顔が眩しくてたまらないことを利用して 手で目を庇った。

「どうしたんだい?」
「...あまりにもキースさんの笑顔が眩しいので」
「何だい、それ」

おかしそうに声で笑っていることが伝わって来たので恐る恐る手をどけると元々下がっている目尻をもっと下げ、 逆に口角は上がっているキースさんの顔が見えた。







(20121216)