プロミス




あぁ、何だかだんだん泥沼に嵌ってきている気がする...。

「はぁ...」

吐き出したため息は重くて重くて、その分体の中身が減ったはずなのに軽くなることは無かった。
この状況を簡単に表すなら。“私とキースさんは恋人であり、順調に距離を縮めている”だろう。
だけどこの状況に素直に喜ぶことが出来ないのは私が胸に抱えた大きな秘密のせいだろう。
このままじゃもっともっと話を切り出しにくくなることは目に見えて分かっているのに...私はどうしてもキースさんに 話すことが出来ずにいた。


「あら、アンタたち名前で呼び合うようになったのね」

最初に気づいたのはやっぱりネイサンだった。ぎくっと私が肩を震わせながら咄嗟に逃亡を決意するも、すぐに肩を組まれて逃げられない ようにホールドされてしまった。当然ネイサンの力に敵うわけが無い私はその場で逃亡を諦めた。

「何だかんだ言ってうまくいってるじゃない」
「ちがっ...!」

からかっているのが声音に滲んでいて、私はあわてて否定の言葉を返そうとしたが、そこにちょうど前方にキースさんの 姿を見つけて口を閉じた。外の風景を眺めながら歩いていたのに私の存在を認識した途端、キースさんの表情はみるみるうちに目がくらむほど眩しい笑顔に変わった。

彩ー!」

目が潰れる...! 眩しさに呻きながら左手で目を隠すとネイサンが「なにやってんのよ」と不思議そうに話しかけてきたので 「目がやられそうだから」と答えた。

「...何に?」
「キースさんの笑顔に」

こっちは真面目に答えたと言うのにネイサンはそれはそれは大きな溜息を吐いて拘束を解いてくれた。

「ノロけなんて聞きたくないわ」
「はっ、や、違うよ!」

ただ私は純粋に、キースさんの笑顔は嘘つきで薄汚れた私には眩しすぎると思ってそう言ったというのに、ネイサンはとんでもない 勘違いをして「ハイハイ」と、適当丸出しな返答を残してさっさと去って行ってしまった。ほんとにそういうんじゃないのに! っていうかネイサンはこっちの事情を全て分かってるくせに!! 決して口には出来ない文句を胸の中で呟いていると、 キースさんが私の顔を覗きこんできた。その距離の近さに後ろに一歩後退する。

「なんの話をしてたんだい?」
「...あ、明日の天気は晴れかなーみたいな話です」

天気の話ってほんっとうに便利だと思う。こういう時にも使えるのだから。
曇りなき眼でキースさんがこちらを見つめてくるものだから、薄汚れた私は途端に胸のうちの色々なものを見透かされてしまっている ような気分になって落ち着かなくなった。それに伴って目がきょろきょろと動いてしまう。

「明日は確か曇りじゃなかったかな?」
「そうなんですか」

明日は外に洗濯物を干さないほうがよさそうだ。鉛色の空はいつ雨が降りだしてもおかしくないのだから。 すでに明日の洗濯事情について考えていると、キースさんが私の反応を伺うようにちらりとこちらに視線を流してきたので、 洗濯に向いていた意識をキースさんに向ける。すると嬉しそうにキースさんが目元を緩めた。

「だけど週末は晴れだったよ」
「あ、よかったー」

明日の天気どころか週末の天気についてまで調べ済みらしいキースさんのありがたい天気情報に耳を傾け、週末の予定を考え、思わず安堵の声が出た。 すると、にこにこ顔だったキースさんの表情が途端に困ったような焦ったような、よくわからない顔になった。 それを不可思議には思いつつ会話を続ける。

「...何か予定があるのかい?」
「はい、友達と遊びに行く予定なんです」
「...そうか、...それはよかった」

何故かどことなく寂しそうな表情をするキースさんに私は頭に疑問符を浮かべた。このキースさんのリアクションはなんだろう。 さっきまでの笑顔はどこへやら、眉は垂れて、何だか同情を誘う表情を浮かべている。
原因がわからないが、私が友達と遊びに行くと聞いてこの表情になったような気がする。
つまり...!! ....つまり? つまりなんだ?


彩って、っっっほんと馬鹿!」
「ねぇ、溜めすぎじゃない? ほんとの前、溜めすぎじゃない?」

私の言葉なんか聞こえていないように完全に無視して、カリーナは髪を梳いていた櫛を私に突きつけてきた。
それが無言の“黙れ”だと受け取った私は懸命に口を噤んだ。カリーナは眉を吊り上げながら、私が黙ったことを確認すると続けた。

「あんたと一緒に出かけたかったってことじゃないの?!」

そしてカリーナの口から飛び出た言葉に、私は衝撃を受けた。
あまりにも意外な言葉だったからだ。私とキースさんが? 出かける?!

「えぇ?! 私と? キースさんが?!」

私の驚きに溢れたリアクションに、カリーナは呆れた表情を浮かべる。

「当たり前じゃない。他に誰がいるっていう......ちょっと待って、何? あんたたち一緒に出かけたことないの?」
「ない」
「はあ?!」

カリーナがまさに驚愕の事実!! ってなリアクションで大声を上げたので、吃驚して思わず肩が跳ねた。 カリーナはそんな私にはお構いなしで、目と口を力いっぱい開けて、信じられないとでも言いたげな表情を浮かべている。

「うそでしょ?! あんたたち付き合ってどれくらい?」
「えっ......」

そういえば私とキースさんが付き合い始めてどれくらいたったのだろうか? というか、いつから付き合い始めたのか明確な日時がわからない。 なんてったって、いつの間にか付き合っていたのだから、そんなことわかるわけがない。 あのアイスを買いに行った時というのはわかるのだけど、それだけだ。私にとっては特別な日でもなんでもないと思っていたので、日にちまで覚えてない..。 私がいつまで経っても答えないので、カリーナは業を煮やしたように踵を床に叩き付けた。ヒールが床を削るようなカツンッと鋭い音が部屋に響く。

「...ちょっと、信じられないんだけど」

あきらかに怒っている様子のカリーナの低い声に、私は内心冷や汗をかいていた。
自分でも彼女失格だな、とは思う。付き合いだしてどれくらい経ったのかわからないし、一緒に出かけたことも無いのだ。 だけど私も言わせてもらえるなら、この間キースさんと付き合ってることに気づいたのだ。 ほんとにおかしな話だけどこの間気づいたのだ。えっ、キースさんと私って付き合ってたの?!って。
夢みたいなほんとの話ってやつだよ。まさに寝耳に水だ。
だけどそこまで事情を知らないカリーナからすれば、私はせっかく恋人同士になったキースさんを無碍にしているひどい彼女に見えるのだろう。

「...あ、けどいつも一緒に帰って...」
「はあ?!」
「何でもないです」

せめてもの抵抗をしようと試みるも、カリーナの迫力に私はあっさりと負けてしまった。



「...」
「...」

無言。特に話すことがない、というよりも私の場合は他の話さなくてはいけないことがあるので、それをどのタイミングで 口にするのかを見極めるのが忙しくて他の会話を楽しむ余裕など無い。
だけどキースさんまで何故無言なのか? 
ちらっと横目で盗み見たキースさんは、何やら難しい顔をしていた。
なんだろう。あまり見ることが無いキースさんの表情に、不安を感じた。もしかしたら真実に気づいてしまったのだろうか。 後ろめたい事実がある身としては、すぐさまその後ろめたいことが関係しているのではないかと思ってしまう。 その"もしかしたら"の想像で、胸の中をヒヤッとした何かが掠めていったような心地になる。 どうすることも出来ないのに、どうしようという言葉しか出てこない。
しばし無言で帰路を歩いていると、あっという間に私の住むマンションに辿り着いてしまった。 本題を切り出すことができないまま、家に着いてしまった。焦った私の頭はますますどうやって本題を切り出すのか考えることができない。

「あ、もう着いてしまった」

キースさんはどうやら私の家に着いてしまったことに気づいていなかったらしい。マンションのエントランスを前にしてようやく気づいたらしかった。 だけど、ここでこのまま「じゃあおやすみなさい」とか言いながら家に入ってしまえば、私はきっと明日も本題を切り出すことができないだろう。(前例があることだし) そうなった場合、カリーナにまたも「はあ?!」と言われて責められることになるのは間違いない。
私が目的地についたというのに、なかなかエントランスへ上がろうとしないのでキースさんは不思議そうにこちらを見ている。 その視線を受ければ、ますます急がなくてはいけないと焦ってしまう。
そして私は決意した。

「あの!!」

思っていたよりも大きな声が出た。そうするとキースさんが驚いたように目を丸くしている。

「えっと!! 来週の週末の天気はなんですか?!」
「えっ、来週の週末かい?」

思ってもいなかったであろう私の質問に、キースさんは驚いた。私自身も予定ではこんな質問をするつもりは無かったのだけど、 口から出てしまったものはしょうがない。
キースさんは真剣な表情で来週の週末の天気について考えている。そんなキースさんを私はジッと見ていた。
ある種の緊張が私達二人の間に流れるのを感じる。キースさんは考えているようだが、再来週の週末の天気までは把握していなかったらしい。 徐々に眉間にしわを寄せて難しい表情になっていく。元から答えを知らない問題を解こうとしているようなものだ。 これ以上キースさんの眉間のシワを深くしてはいけない気がして、私は声をかけた。

「あ、あの知らないならいいんです」

元よりそこまで来週の週末の天気を知りたいわけではない。なので、未だに難しい表情をしているキースさんに遠慮がちに声をかけたのだが、 キースさんの眉間のシワがほぐれたと思いきや、ひどく悲しそうな表情になった。

「すまない...そして本当にすまない。私は役に立たないようだ...!」

自分の不甲斐なさを悔いているのがこちらにまで伝わってくるキースさんの言葉に、私は軽い気持ちで来週の週末の天気を尋ねてしまったことを悔いた。 「あの、全然そんなことは...」とか、しどろもどろに言ってはみるもののキースさんの表情が晴れることは無い。
本当に悪いことをしてしまったと思いながら、こうなれば本題に移ろうと思い立った私は、強引ではあるが話しの流れを変えることにした。 「そういえば!」と自分でもわざとらしいとはわかっていながらも、そう声を張り上げる。

「......キースさんは来週の週末は予定ありますか?」
「...え?」

今まで自分の無力さを悔いていた様子のキースさんがきょとんとした表情でこちらを見ている。 その視線に居心地の悪さを感じるのは、今から起こそうとしている行動に照れを感じてしまっているからだ。 どうにも恥ずかしくて、私は視線を地面に向けながら声を発した。

「...あの、よかったら一緒に出かけませんか...?」
「...え?」

キースさんの返答を聞くと、断られてしまう可能性が大きいような気がして、私は慌てて言葉を繋げた。

「いや、あの、忙しかったら全然、その、いいんですけど、またいつかってことで!」
「待ってくれ!」

キースさんの制止の声に、ようやく私を口を閉じることができた。自分でもこれ以上喋るのはやめたいと思っているのに、制御できないのだ。 ぴたっと口を閉じ、自分でもわからないけど何故か直立しながら”待て”の言葉を遂行した。

「私も実は誘おうと思ってたんだ!!」

握りこぶしを作って力説してくれたと思うと、目尻が下がって口角もいつもよりも上向きになっているキースさんにきらきらした目で見つめられる。 どうやら私の心配は杞憂に終わったらしい。ホッとしながらも、キースさんのテンションに釣られるようにしてじわじわと自分が高揚しているのを感じた。 そうして誘いにキースさんがのってくれた場合はどうするべきか、という方向で考えていた話を口にした。

「ジョンに会いたいです!」
「あぁ、もちろんさ! ジョンも彩に会いたいと以前から言っていたよ!」
「本当ですか! じゃあ、私も会いたがってるってジョンにお伝えください!」
「あぁ、もちろんさ!」

血色のよくなった頬を持ち上げて、キースさんはご機嫌に帰って行った。
私はそれを見送ってから一仕事終えた開放感にホッと息をつきながらソファに座り込んだ。
それから今さっきのキースさんとの会話を思い出す。キースさん曰く、ジョンが私に会いたいと言っていたらしい。 そのときにはなんとも思わなかったのに、落ち着いて考えると笑いがこみ上げてきた。
ジョンがそう言うわけはないのに、と考えながらもキースさんならジョンと話をすることが出来てもおかしくない、と考えてしまう。







(20140525)