![]() 学校からの帰り道、いつもの風景 あまり車の通りが激しくないこの道は、人の通りも多いほうではない。 なので、それはすごく目立っていた。遠目からでは小さくて見えなかったものが近づくにつれてはっきりと見えるようになる。 それは道の端で通行の邪魔にならないよう、ひっそりと開店していた。濃い緑色の布を広げ、その上には売り物らしき物と 一人のおばあさんがちょこんと座っている。はっきり言ってこんなところで商売するなんて時間の無駄という気がしないでもない。 なにせ客になりそうな人自体、あまりこの道を通らないのだから。 それでも私はこのいつも通りの風景でただ一つ異彩を放つ光景に好奇心がくすぐられた。 私は歩を進めながらも、おばあさん の前に並んでいる商品に目を凝らした。 まず、大きめの花瓶に、湯呑みもある。割れ物を扱っているのかと思えば、 ハンカチらしきものがあったり、ボールペンらしきものも売っている。つまり、何でも売っているらしい。 遠目からなのであまりちゃんと確認出来なかったけれど、どうやらあまり私の興味がそそられそうなものはないようだ。私はわざとゆっくりと勧めていた足の速度を速めた。 それでも、もしも店番のおばあさんが留守であったのなら好奇心に導かれるままに布の上に並べられたそれらを見ていただろう。 だけど実際はおばあさんが店番をしている。一度立ち寄れば何も買わないわけにはいかないような雰囲気になることが読めて、 私はそのままおばあさんの前を通り過ぎようとした。立ち止まりもせずにおばあさんの前を立ち去ることに、少しの気まずさを感じつつ、そんな素振りを見せないようおばあさんの前を歩く。 「いらっしゃい」 突然声を掛けられて私の足はギクッと動きを止めた。 立ち止まる素振りなど一切見せなかったはずだ。そう思いながらもつい振り返ってしまうとおばあさんが目尻の皺を ますます増やして愛想良く笑った。 「見ていかないかい?」 「...え、」 「見ていくだけでもいいよ」 愛想を振りまくおばあさんに、私は自分の意思をあっさりを曲げた。 「いいんですか...?」 伺いつつも言えば、おばあさんはそれでもいいと言うように頷いた。店主の許可(店と言っていいのか分からないけど) を貰ったのだ。私はしゃがみこんでおばあさんの目に並んでいる商品をじっくりと見ていくことにした。 先ほど見たとおり、統一性の無い物がずらりと並べられている。やはり私の興味を引くものは無いようだと、 考えながら視線を動かした時だった。目に入ったそれに、私の心は揺さぶられた。 下地は黒く塗られ、赤い花が描かれたそれは手鏡のようだった。 「あ、」 思わず声を上げた私に、おばあさんが察して、それを私に渡してくれる。ここで受け取ってしまえば買わないわけには いかなくなるかもしれない...そう理解しているというのに、何か抗いがたい力が働いているかのように、気付けば私は その鏡に手を伸ばしていた。 つやつやと日の光りを反射して輝くそれは、目利きできるほどに目が肥えていない私でも何となく結構な値段がするもの だと予想できる。鏡の部分は丸くかたどられ、持ち手も丸みを帯びている。昔から定番になっている形だ。 だけど私の持っている鏡や友達が持っている鏡と言えばコンパクト型が多いので、それは珍しく目に映った。 「どうやらお気に召したようだね」 鏡に見入っていた私を現に引き戻したのは、しわがれたおばあさんの声だった。すっかり見入っていたことが 恥ずかしくなった私は苦く笑いながら頷いた。するとおばあさんはひどく嬉しそうに、ただでさえ皺の刻まれた顔を もっと皺を深くして笑った。 「買っていかないかい?」 予想通りの展開に私は咄嗟に空に近い財布の中を思って申し訳なくなった。 「すいません、その、あまりお金持ってないんで...」 あまりどころか全然、すっからかんと言っていいほどなのだけど...いくらなんでもそこまで言うのは恥ずかしい。 断りながらおばあさんに鏡を返そうと差し出す。だが、おばあさんは受け取らずに言葉を続けた。 「じゃあ100円でいいよ」 「えっ!」 明らかに100円などで買えそうに無いものだ。この鏡の値段に驚く私におばあさんはにっこり笑った。 「大事にしてくれる人に買って欲しいからね」 「ですけど...」 悪い、と遠慮しておばあさんに鏡を返そうとするのだけれど、おばあさんは受け取ってくれない。 正直に言えば100円で買いたい所だったが、そうすればおばあさんは儲けるどころか赤字になるだろう。見ず知らずの 小娘にそんな心配をされていると知れば、おばあさんは気を悪くしてしまうかもしれないと思い、そんなことは言えないが...。 「なかなか頑固な子だね。それならちょっとした条件をつけよう」 引こうとしない私におばあさんはやや呆れた調子で、けれど目は優しげに細めたままにそう言った。 そう言うおばあさんこそ、かなり頑固だ。私が返そうとしている鏡を一向に受け取らないのだから。 だが、ちょっとした条件とは何なのか、私はつい耳を傾けた。 「大事にしてくれるって約束しくれるのなら100円にするよ」 おばあさんの提示した条件に私の決心はぐらぐら揺れた。 条件にもならないような条件をのめば、100円でこの鏡が手に入る。 手の中に握ったままの鏡に視線を落とせば、私の心の揺らぎに気付いたらしいおばあさんがすかさず声を上げた。 「決まりだ」 私の手から鏡を引き抜き、赤い布で丁寧に包むと私に鏡を差し出し、次に鏡を持っている逆の手を差し出して すました表情で言う。 「100円になります」 あっという間の出来ごとに目を瞬くと右手をもっと突き出して代金を急かされる。 慌てて鞄の中のからっぽに近い財布を取り出し覗き込むと、10円や1円ばかりの中で唯一だった銀色のそれをつまみ出し、差し出された手の上に乗せた。 「ありがとう」 にっこり笑いかけられ、私も笑い返す。視線を落とせば目に入るそれを私はしっかりと握った。 大事にするに決まってる。 「ありがとうございます」 最後に一礼してうきうきした気分が隠しきれていない弾んだ声でお礼を言えば、おばあさんは目尻の皺を深めた。 さっきよりも重みを増した鞄に、私は足取り軽くおばあさんに背を向けて歩き出した。 気分が良いと何でもないいつもの帰り道でさえ違って見える。雨が降った後の道の端に出来た夕陽を反射して光る 水たまりや、電線から落ちてきた雨水がちょうど鼻の上に落ちてきても思わず笑ってしまう。人差し指で鼻の上の水滴 をすくってからなんとなく振り返ると、つい今まで居たはずのおばあさんの姿が消えていた。ついでに言えば売り物共々。 目玉をきょろきょろ動かし、確かにさっきまで居たはずのおばあさんを探すも、人通りが無い道には私の影が長く伸びているだけだった。 (20120731) |