「...幽霊追い払うのってどうやったらいいと思う?」

騒がしい昼休憩に私は友人二人に向かって聞いてみた。至って真剣な私の表情を見て、二人ともきょとんとした顔をしてお互いの目を見合わせている。

「なに、幽霊が出るの? どこに?」

興味津々な様子で尋ねられ、人事だと思って! なんて内心八つ当たりをしながらも不本意に渋々「...私の部屋」 とだけ答えると二人してゲッって顔を返された。

「絶対遊びに行かないでおこう」
「呪われたらヤだしね」
「呪われないよっ!!」

部屋の主を前に呪われるなどと不吉なことを言うので私は嫌でも昨日の夜何度も思い浮かべた想像を思い浮かべてしまった。 男の子が私に襲い掛かってくる想像だ。なんせ何度も繰り返し繰り返し思い浮かべていたので、私の上に乗って襲ってくるバージョン、 横から襲ってくるバージョン、金縛りで動けなくなったところをじりじりと襲い掛かってくるバージョン...と、 いくつものシミュレーションが頭にインプットされている。その中でも一番有力だと思われる、私の体の上に乗って 襲い掛かられるバージョンが頭をちらついた。
憂鬱になる気分を振り払って無駄に元気に「遊びに来い!」と誘うものの、二人はまたしても揃って、ゲーって顔をした。

教室の中に先生のお経を読み上げているようにしか聞こえない声が響く中、私は机につっぷしている生徒が大半なのを横目で見ながら 真面目にルーズリーフに文字を綴っていた。だけどその内容は先生のお経を書き写したり、自分なりに授業内容を 纏めているわけではない。授業とは全く関係がない、決して先生には見せられないもの。けれど私にとってはとても重要なものだ。


ゆうれい退治リスト

1、塩(とりあえず塩をかける。ゆうれいには塩って昔から決まってる)
2、酒(なんか効きそう。とのこと)
3、十字架(それは吸血鬼でしょ!って言ったけど、もしかしたら効くかもしれないからとのこと)
4、聖水(エクソシストで聖水をかけたら効いてるっぽかったからとのこと。けど聖水ってどこに売ってるの?スーパー?)
5、何か呪文(なむあみだぶつとか効きそう)
6、説得する(幽霊を説得するとか無理かもだけど話が通じる相手かもしれないじゃないとのこと)
昼休憩に出してもらった案を纏めてみたけど...何か改めてみてみるとほとんど悪ふざけみたいなことばっかりだ。それでも1と5は効きそうな気がする。 噂では幽霊って塩に弱いらしいし、南無阿弥陀仏とか言う呪文を唱えたら金縛りが解けたとかって話を聞いたことがある。 試してみる価値はあるだろう。

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ゆうれい退治リストは意外にも役に立った。
鏡の上に盛り塩をしてみると、なんと昨日は男の子が現れなかったのだ。多分祓い清められたんだろうと私は考えている。 これでようやくあの鏡を使うことが出来る。寝る前の時間、私は盛り塩を片付けようと鼻歌なんて歌いながら 鏡に手を伸ばした。鏡ごと袋に突っ込んで塩を片付けてから、鏡面の塩が乗っていたところを指で擦った。 すると、鏡面がまたしても波打った。嫌な予感に顔が強張る私など無視して鏡は淡く光り始めた。反射的に目を閉じながら 既視感を覚えた私はサーッと血の気が引いていくのを感じた。やがて光りが収まったのを瞼越しに感じたが、 目を開けるのが怖かった。もしかしたらまた男の子の幽霊がいるんじゃないかと考えて心臓がばくばく脈打つ。 お風呂に入ったばかりだというのに体中にじっとりと汗をかき始めたのを感じてこれ以上目を瞑っていても服が びっちょりになるだけで何も解決しないと自分に言い聞かせてそろっと目を開けた。

「ぎゃっ! でっ、でた!!」

鏡の中には予想通り男の子が居て、ぴょんっと飛び上がった私をじっと見ていた。眉根を寄せて、まるで私の言葉が不愉快みたいな表情を している。こっちだって不愉快だ。いつまでも私の鏡に取り付かれてるなんて迷惑以外の何ものでもない。
早く成仏して欲しい。と考えた私の頭に咄嗟にリスト5の方法が閃いた。

「なむあみだぶつなむあみだぶつ...」

早く消えて! そう願いながら男の子に向かって唱える。手は汗でぐっしょり湿っていて、気を抜けば鏡が滑って 落ちてしまいそうだ。呪文に男の子は苦しみながら消えていく...それが私の想像していた光景だったのだけれど、 男の子はますます深く眉間に皺を刻み、あろうことか怒鳴ってきた。

「俺は幽霊じゃない!」

思わぬ反撃に私の口は動きを止めた。途端シンと静まった部屋の中で私は鏡の中を食い入るように見つめた。 階下からわずかにテレビの音と家族の話し声が聞こえた。それがひどく遠く感じる。
幽霊じゃないって......そんなことあるわけないじゃん!
どう考えても男の子は幽霊に見える。一時停止していた頭はすぐさま否定の言葉をはじき出した。 長い髪に白い装束、いかにもな格好をしておいてよく言う! それらから導き出した答えはやっぱり男の子は幽霊だってことだ。

「いえ、あなたはもう死んでいるんです」

もしかしたら男の子は自分が死んでいることに気付いていないのかもしれない、と思い至った私の声音は先程よりも幾分柔らかく響いた。 心霊番組とかでもそういう幽霊が居るってことを見た事がある。自分が死んだ事を知らずに魂だけで彷徨い続ける。
つまり男の子はそういう幽霊なんだろう。そう考えると男の子が少し不憫に思えた。見たところまだ若そうなのに...。

「死んでない、生きてる」
「気付いていないんです」

なおも自分が死んでいないと主張する男の子は先程よりも低い声で呟いた。それに私は恐怖を押し殺して出来るだけ優しい感じで、 諭すように言い聞かせてみる。それなのに男の子の機嫌はますます悪くなっていく。眉間に皺を深く刻んだまま 私の方を怪しむようにじろじろと見てきたかと思うとこれ見よがしにため息を吐いて見せた。
その瞬間、緊張状態だった私の中の何かが切れた。

「ゆうれいじゃないなら何で鏡の中に居るの?!」

私の突然の爆発に男の子は吃驚したように目を丸くしてこちらを見た。私だって自分で何をそんなにキレているのか分からない。 最近の若者はすぐキレるってあながち間違いじゃないかもしれない。

「...そっちこそ鏡の中に居るけど」

男の子の反論するような声は脳まで届かなかった。この状況に対して感情がごちゃごちゃに掻き混ぜられていて、 今自分が怒っているのか泣きそうなのか、はたまた恐怖を感じているのかよく分からなくなった。

「っていうか成仏してください! 怖いよ!」

目が熱くて、自分が今泣きそうになっていることに気付いた。多分この状況に対して私のたいしてハイスペックでもない 脳は容量を超えてしまったらしい。目をかっ開いて絶対に涙を零すかと踏ん張る私に、鏡の中の幽霊はちょっと 困惑した様子で瞬いた。

「だから俺は幽霊じゃないって」

先程よりも随分控えめな言い方で今度は私に諭してくる。けれど私はそれを冷静に受け止めることが出来ずに、 半べそで噛み付くように質問を返した。

「じゃあ誰?!」
「そっちこそ。俺も聞きたいんだけど...」

私の問いには答えずに逆に同じ質問を投げかけられ、私は混乱状態にある頭をろくに使わずに反射的に口を動かしていた。 ぽろぽろと胸の内まで吐露しながら言葉を紡ぐ。

「人に聞く前に自分が名乗れってこと? 分かったよ! 名乗るよ! あ、けどもしかして私の名前が分かったら呪ったりしない?」
「しないし出来ない」
「...ホントに?」

幽霊ってみんな呪うくらい朝飯前なんじゃないの? うそついてんじゃないの? と、疑わしい目で鏡の中を見つめる とちょっと呆れた風に頷かれたので納得することにした。呆れた風であるのが気になるところではあるけれど...。

、生きてる人。はい」
「久々知兵助、同じく生きてる人」

どうやら幽霊の正体は“くくちへいすけ”と言うらしい。それも自称生きている人。その自己紹介が怪しくてついつい懐疑的な 目で見てしまう。自分が疑われていると察したらしい“くくちへいすけ”はちょっとムッとした顔をした。

「言っとくけど嘘は言ってない」
「...じゃあ何でそんな格好してるの?」

太い眉をちょっと吊り上げて憮然と言い切った“くくちへいすけ”に私はすかさずその白い装束を指差した。片手に鏡を握って もう片方の手で鏡を指差すというおかしな格好をしながら鏡の中に話しかける。
白い装束に男ではありえないと言ってもいいぐらい長い髪でそれも鏡の中に居れば、脳裏にはあの有名なホラー映画の ワンシーンが映し出される。
いつ這い出てくるのかこっちは気が気じゃない。

「そんな格好って......別に普通の寝巻きだけど...」

自分の格好を改めて見回しながら、私の言葉に意味が分からないと言いたげに言葉を返される。 その白装束が寝巻きとして普通であると言うような物言いに何かが引っかかった。だが、それの正体を探るよりも先に声を掛けられ、私の意識は再び鏡へと向けられることになった。

「それを言うならそっちの方が変な格好」
「え、」

逆に私の方が変な格好だと指摘され、私は慌てて自分の格好を見下ろした。
特別に変な格好をしているわけではない。どこにでも売ってるような長袖Tシャツとウエストを紐で結ぶ形の緩いパンツを私は身につけていた。 別に変な格好なんかしてないと言うつもりで顔を上げると、鏡の中の住人の視線はある一点で固定されていた。

「それは何の生物?」
「え?! 知らないの? 世界一有名なねずみを!」

まさかこの世でミッキーを知らない人がいるなんて?! ショックを受けて仰け反った私に“くくちへいすけ”は目を細めて ジッとシャツにプリントされてあるミッキーを見つめた。

「...ねずみ? それが?」
「そうだよ、ねずみ」

ジッと疑いの目でミッキーを見つめたと思うと、その視線が今度は上に上がり私に向けられる。

「...ねずみ見たことないのか?」
「見たことあるよ! そっちこそちゃんと見てみなよ」

まるで物を知らない世間知らずみたいなちょっと小バカにされた感じに私はムキになって、ミッキーがよく見えるように 胸のところに鏡を近づけた。けれども鏡の中から同じ意味の言葉を返された。

「ねずみはこんな色じゃないし、笑ってないし、服も着てない。今度見せようか?」

いつの間にか涙は引っ込んでいた。







(20120831)