昨日のことがあるので顔を合わせづらい。そう感じてしまうと、鏡を手に取る気にはなれなかった。 それともう一つ気になることがある。兵助くんに様子が変だと悟られてやいないだろうか、ということだ。 私だって普通の態度を貫きたかった。だけどそれが出来ないのだからしょうがない。
今日はいっそのこと会わないという手もある。そう思ったけど、昨日兵助くんが私が来るのを待っていてくれていたのなら そんなこと出来ない。前なら一日会わないくらい別に変なことじゃなかった。だけど、今は違う。 毎日と言ってもいいほど顔を合わせているのに、今日会わなかったら兵助くんは私に何かがあったと思うかもしれない。 そして、
「そういえば昨日は様子が変だったっし......もしかして俺のこと好きなのか?」
という推理力が兵助くんにあるとは思えないけど、(というかいくら名探偵のコナンでも出来ないと思う)それでも何かがあったことには気づいてしまうかもしれない。 自分でも自分の気持ちが良くわからないし、わかるようになるとも思えない。
もういっそのこと思い切ってずっとわからないままでいるのがいいかもしれない。何も考えずに、自分の気持ちを追求せず、 今まで通りに兵助くんと接したらいいんだ。
...そうだ! それしかない!! 私は我ながらいいことを考え付いたと思った。
今までどおり、何も無かったように兵助くんとは話そう。
今日の作戦はそれで行こう!
貴重な夏休み一日目を使って考えたことは、兵助くんのことについてだった。

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「や、やあ!」
「...」

兵助くんのこちらを見る目が不可解なものを見るように細められた。 早速”いつも通り作戦”が失敗してしまったことを悟り、私は焦った。

「...なにそれ」

兵助くんの生暖かな視線を受けながら、私は鏡に向かってあげていた右手の行き場をなくして、そのまま髪を弄った。

「えっと...さわやかな路線に変更しようと思って......」
「ふうん」

よくわからない私の言葉に、兵助くんはつっこむでもない返答を寄越した。こっちとしては何かつっこんでくれた方が楽だった んだけど、兵助くんは私の希望通りには行動してくれなかった。
兵助くんのこの流し方からも「また変なこと言ってるよ」とか思われてそうな気がする...。
よく考えたら兵助くんと最初に会ったときには私は奇声を発してるし、塩かけたりとかお経となえたりとか、いろいろと不審すぎる行動をとっている。 今更「やあ」とか言ったぐらいじゃ、兵助くんを動揺させることは出来ないのかもしれない。自分で蒔いた種とはいえ、不審者的な扱いを受けるのは勘弁してほしい。

「...一応言っとくけど、私別に変な人じゃないからね」

一応不審者でないことを申し出てみるも、兵助くんは私の望む返答である「知ってる」と答えるのではなく、きょとんとした様子で私を見返してきた。 そのきょとんは、「いや、変な人だろ」的なきょとんだろうか...。

「けどいつも変な服着てる」
「変な服じゃないって! ...いや、いつも兵助くんに見せてるのは変かもしれないけど、いつもは全然変じゃないから!」
「けど、」

そう言った兵助くんの視線が、徐々に下に下がっていったので、私も一緒になって視線を下げれば、間抜けな顔をした犬が「one two thee」 と言っている絵があった。何がワンツースリーだ! ワンは鳴き声とかけているのがわかるけど、その後については意味がわからない。

「違う違う!! これは変だけど!!」

声を荒げながら間抜けな顔をした犬から兵助くんに視線を向けたところで、兵助くんが楽しそうに笑っているのが目に入った。

「やっぱりは考えてること、すぐわかる」

兵助くんが笑っている姿を見ると、高ぶっていた気持ちが急に凪いだ。強い風にあおられて水面が波打っていたのが、 急に静けさを取り戻したようだった。覗き込めば、自分の顔が映るのさえ確認できるほど、水面が静かになったようだった。 だけど、奥の方ではくすぐったいような変な心地だ。だけどそれが嫌なわけじゃない。

「そうかな...」
「うん」

急に大人しくなった私に何か言うことも無く、兵助くんが静かに答える。
いつの間に私たちはこんな空気が変だと思わないようになったのだろう。最初はぎすぎすしていたはずなのに、 今じゃこんな静かな空気も変だとは感じないようになっている。 特に何を話せばいいのかわからずに、なんとなく視線をさまよわせる。

「いつも通りだな」
「え?」

ちょうど携帯が光っているのを横目で捕らえたときだった。急に声をかけられ、意識が携帯から兵助くんへと引き戻される。

「なんか変だった。昨日」
「え...えー、そうかな?」

真っ直ぐすぎる兵助くんの視線に、心のうちの読まれたくない部分まで読まれてしまいそうな気になって、私は慌てて視線をそらした。 まさか、兵助くんのことを意識して”なんか変だった”なんてことは出来れば一生知られたくない。
自分でもよくわからずにこの気持ちを持て余しているのに...それに、私一人だけ意識しているみたいなのに絶対に知られたくない。 そういえば、私が微妙な気持ちになってることは置いておいても、兵助くんは何も思っていないのだろうか?
突然浮かんだ疑問に、私は自分の気持ちがわからないままのくせに、とても気になってしまった。 私と会うのが嫌だとは思っていないことは伺える。だって嫌だったなら、いつでも縁を切ることが出来る相手なのだ。 鏡と言う不安定なもので繋がっているだけの関係なので、鏡に触れないようにすればそれだけで私との関係を断ち切ることは出来る。 だけどそれをしないのだから、私と会いたいと思ってくれているのだろう。

「そういえば、いつもの変じゃないほうの格好は?」
「...え?」

兵助くんの気持ちを想像して、なんだか口がむずむずしていると突然声をかけられた。
肩が跳ねて驚くと、兵助くんが怪訝な表情を浮かべる。まさか今こうして向き合ってるのに、自分の気持ちを探られているとは思わないだろう。

「いつもはこんな変な格好じゃない、って」
「あ、あぁ...じゃあ明日」

完全に意識が飛んでいたから、兵助くんがなんの話をしているのかわからなかった。私の鈍い反応に、兵助くんは私が話を聞いていなかったことを察したらしい。 もう一度繰り返されたと思われる言葉に、私が誤魔化し笑いを浮かべながら答える。 えへえへ笑ってしまうのは、誤魔化すためが半分と、もう半分は自分の勝手な想像が原因の気まずさからだ。

「何笑ってんの」
「え?」
「さっきからずっと笑ってる」
「いやー...そんなことはないよ!」
「そんなことある」

自分でもうまくコントロールできない口角は、やっぱり締まりがなくなっていたらしい。
どうにか誤魔化そうと思うものの、兵助くんの強すぎる眼力で見つめられれば逃げられる気がしない。 鏡の中からの強烈な視線に私はきょろきょろ視線を動かした。まさか兵助くんが私に会いたがってるみたいだったからニヤニヤしちゃった! なんて言えるわけがない。
ここは昨日と同じ作戦、”用事がある振りしてフェードアウト作戦”(という名の最悪な行為)(という自覚はある)を決行しようとするが、兵助くんがそれにいち早く気づいた。

「それは卑怯だぞ」

逃げ道をそうして塞がれてしまえば、卑怯者の行動を取るわけにもいかずに、私は兵助くんと対峙することになってしまった。

「...」
「...」

無言で暫し見つめ合う形になってしまう。じっと力強い兵助くんの目が「早く吐けば楽になるぞ」と語りかけてくる。 じわじわと崖に追い詰められるような心理的状況に立たされた私はしょうがなく重い口を開いた。

「思い出し笑いしてただけ! じゃ!」
「あっ」

兵助くんの間抜けとも言える(私が無理やり話を切ったのだけど)声が、鏡を伏せたことで消えた。 卑怯といわれる逃げ方かもしれないけど、笑ってることを指摘された理由が理由なのでどうしても恥ずかしくて絶えられなかった。
明日また何か言われるかも。そう考えると、昨日とは打って変わって胸が弾むような心地になった。







(20130630)