「...大丈夫?」
「何が?」
「何か、疲れた顔してるから...」

光が収まった鏡に疲労を浮かべた兵助くんの顔を見つけ、開口一番に尋ねてしまった。
高いところで結ってある髪も、どことなくぼさぼさになっていて、いつもの白くない服も暗闇の中でもわかるほどよれよれだ。 顔には濃い疲労が浮かんでいるのだから、心配にならないわけがない。だけど兵助くんは小さく口元に笑みを浮かべただけだった。
これ以上は聞いちゃいけないんだろうか。兵助くんが引いている線がすぐそこにあるかもしれないと思いながらも、 黙っていることが出来なくて、私は会話を続けることにした。

「疲れてるなら、休んできなよ。また明日にしよう」
「うん。けど俺が会いたかったから」
「え"」

さらっと口にされた言葉に、今まで出したことがないような声が出た。例えるなら蛙が頭をたたかれたときに出す声、みたいな。 今なんて言ったよ、この人...? 信じられない気持ちで鏡の中の兵助くんを凝視するも、別段照れるわけでもない普通の表情を浮かべている。 あれ? 私の聞き間違い? と思っていると薄っすら笑みを浮かべた兵助くんに「顔」といわれた。
パッと反射的に鏡を持っていないほうの手で顔を隠すと、鏡の中から楽しそうな兵助くんの声が聞こえた。 誤魔化されてしまった現状に、けれど私はそれで納得するわけにもいかない。だけど本人がそれでいいと思っているならこれ以上言うのもはばかられた。

「今日はちょっと疲れた」
「うん」

何で疲れたの? 質問は胸の内に留めることにした。
私に会いたかったというのなら、兵助くんはいつものどうでもいいような話をしたかったんじゃないだろうか、なんて考える。
兵助くんがそれを望んでいるのなら、私はいつもどおり、どうでもいいような話をしようと思った。

.
.
.

それから私は本当にどうでもいいような話をした。
兵助くんは疲れている感じを隠すことができずに居たけど、それでも私の話に耳を傾けて楽しそうだった。

「あ! そういえば」

そろそろ今日もお別れか、と言うくらいの時刻になって私は兵助くんに話そうと思っていたことを思い出した。 鏡の中から視線が向けられているのを感じながら、私は携帯を手に取って操作し、カレンダーを表示した。

「今度の土曜日に祭りがあるから花火見ようよ!」
「花火?」

きょとんとした表情を浮かべる兵助くんに、頷いて返しながら言葉を続けた。

「うん、私の部屋のベランダからね。遠いけど花火が見えるんだ」

私の部屋からは一応、本当に一応としか言ってはいけないような小さくなってしまっている花火が見えるのだ。 祭りに行こうと友人達に誘われたものの、私はそのことを思い出して、兵助くんを誘ってみることに決めていた。 私が歯切れの悪い返答をしたので、友人には服の襟を掴まれて揺さぶられながら「男か!」って責められたけど。 ベランダが見えるように鏡をそちらに向ける。しょぼいベランダだけど、こんなときには役に立つのだ。

「時間はいつも通りで大丈夫だから」

しっかり花火が打ち上げられる時間を事前に調べておいたので、兵助くんに伝えておかなくてはいけないと思い、頭の中にメモしていたのだ。 毎年何気なく部屋から花火を見たり、友人と祭りに行ったりしていたけれど、いつもとは勝手が違う花火大会に、私の胸はすでに期待に膨らんでいた。
兵助くんはそんな私の誘いに、きょとんとした様子だ。
そこでようやく私は“兵助くんに誘いを断られるかもしれない”という可能性があったことに気づいた。 いつも通りの時間なので断られることはないと思い込んでいた。だけど今までも何度か実習なんかで会えなかった日があるし、 兵助くんが花火とかわざわざ見たくない、とか思っていたら断られてしまう可能性だってあったのだ。
急に焦りを覚え、不安な気持ちで鏡の中を覗き込むと、兵助くんが微かに唇に笑みを浮かべた。

「うん、楽しみだ」

兵助くんの言葉を聞くと、胸が熱くなった。
そして心臓が”楽しみ”と訴えるように激しく動き出した。







(20140104)