私と兵助くんは鏡を通して話が出来ている状態なので、手を繋ぐという行為でさえ行うことができない。 手を繋ぐことができないのだから、他のことだってもちろん出来るわけが無い。触れ合うこと自体が無理なのだから。
だけど私はそれでもいいと思っている。兵助くんと毎日話せる、そのことが幸せなのだ。 つまりこれは、俗に言うところのプラトニックラブというやつなんじゃないか、と思っている。
求めず。ただ想っているだけ...多分これってプラトニックってやつ?

「いや、それはただの片思い」
「え、えー...そうなの?」
「だって一方的で完結しているわけでしょ? 片思いと何が違うの?」

そう言われてみればそうだ。確かに思いは一人で完結してしまっていて、一方的な思いは片思いと言うことができるだろう。 会話はドラマの内容に絡めてのものだったのだけど、何となく自分を重ねていた私は重く相槌を打った。 話の焦点は好きな人にただただ思いを抱いているものの、それを相手に伝えることもせずにいるというドラマの登場人物についてだった。 ヒロインに恋をしているのにそれを伝えることをしない。それというのも、自分の欲よりもヒロインの恋を応援しているからだ。 ヒロインのことを思って自分の気持ちを隠している...という健気な共通点なんて無いけど、ただただ想っているというところに私は勝手に共感していた。

「そうか...片思いか....」

まあ、言われて見ればそうだ。片思いという名前をつけるのであれば、何だかさっきまで共感を覚えていたドラマの登場人物もどうでもよくなってしまった。 兵助くんのことが好きだと自覚したけど、これに名前をつけるのなら恋というよりも片思いというもののほうがぴったりなのだろう。


友人とだらだらと長い時間をファミレスで過ごしてからの帰り道、自転車をこぎながら前方から歩いてくる男女二人に目がいった。 暑いのに手をしっかりと繋ぎながら歩いている。
その光景を見ると、少しだけ羨ましさを感じてしまった。
兵助くんのことを想い続けていても、ああいうことをすることは一生出来ないのだと思うといろんな感情が胸に溢れた。 そのどれもこれもが”喜び”とは程遠いものだった。
沈みこみそうになってしまいそうな気持ちを振り切るために、私は立ちこぎをして余計なことを考えることができないように体を虐めた。
恋をするのって、楽しいばかりじゃないんだ。

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と居ると楽しい」

突然兵助くんがそんなことを言い出すものだから、私は「うぇっ」とか、わけのわからない間抜けな声を上げた。 きっと表情も間抜けなことになっているだろうけど、その点については暗闇ということもあって兵助くんに細かくは見えていないだろう。
花火大会の日――まるで兵助が隣にいるような感覚を忘れることができずに、あれから兵助くんと話すときにはベランダに出るようにしている。 私はすっかり味を占めてしまったのだ。
なので今は、私と兵助くんは暗い中で話をしている。だからこそ、顔を兵助くんに見られることがなかったのだけど。

「そ、そっか...」
「そう」

兵助くんはあの日からちょっとだけ壁を取っ払ってくれたように感じる。
多分兵助くんにとってはとても大きな問題だったのだろう。それを私に話したことによって、今まであった見えない壁の存在が少しずつ消えているのを感じた。 私は単純だから、兵助くんが壁を取り払う決断をしてくれたということが嬉しい。
そして同時に、私がどうやら返答を間違えなかったということに誇りを感じた。きっとあのとき、選択肢は二つあった。
一つは今の選択肢...兵助くんと距離が近くなるものと、もう一つは兵助くんとの距離が遠くなるもの。
私は無事に行きたい方向にいくことが出来たのだと思うと、嬉しくてしょうがない。ゲームのように電源を落とせば戻ることもできないのだから。 何だか沈黙が痛いわけではないのだけれど、少しお尻の辺りがむずむずするような感じがして耐えられずに口を開いた。

「きゅ、急にどうしたの」

何だかいつもよりも距離を詰めてくるような兵助くんの言葉に、私の頭を混乱していて上手く口を動かすことができない。 “私と居ると楽しい”と言われただけで、別に好きだとかそういうことを言われたわけではないのは重々承知しているのだけど、 どうにもお尻の辺りがむずむずしてしまう。

「俺、あんまり顔に出ないって言われるから」
「え? ...感情が?」

「うん」低い兵助くんの声が返ってくる。確かに、私も兵助くんと話しているときにはそれを感じることがある。 だけど以前に比べると兵助くんが笑っているのをよく見るようになったので、別段気にならなくなっていた。 兵助くんは、だけどそれが気になっていたのかもしれない。
わざわざ自分の感情を言葉に出すということは、それを私に伝えたかったということだろう。 そう考えると、途端に体の内側から元気が沸いてくるような不思議な感覚になった。

「私も! 兵助くんと居ると楽しいよ!」

鏡の中に向かって言うと、兵助くんがふいっと顔をそらした。
長い髪が暗闇の中を踊ったのが見えた。

「...知ってる」
「え!」
は顔に出すぎ」
「いや、そんなことないよ!」

そう否定をしつつも、自分でも心当たりがあったし、以前にも兵助くんには指摘されたことがあったので、私は本当に感情がそのまま顔に出ているのかもしれない。 ということは、今も絶対にだらしなくにやけてしまっているだろうということがわかったので、私は無理やり眉間にしわを寄せて口を引き結んだ。 そうすると、その一連を見ていたらしい兵助くんが口元に小さく笑みを乗せながら言った。

はそのままがいいよ」



本当に何気ないやり取りを私は楽しいと思っていたけど、兵助くんも同じように思っていてくれていたのだということがわかって、 改めて幸せだと思った。他人から見てみればへんてこな関係かもしれないけど、私にとってみれば兵助くんとのこの関係はとても大切なものだ。
全然欲が無いのかといえば嘘になるのだけど、大前提として兵助くんと会うことが出来るというのがあるのだ。
そんな奇跡みたいな話が大前提になるんだから、何かを望むこと自体が罰当たりなことのように思えた。







(20140510)