夏休みが後どれくらいなのか、カレンダーで確認してみるとすでに半分以上もなくなっていることに気づいた。 楽しいときは過ぎるのが早いというけど、本当にそうだ。
まだまだ夏休みを楽しむことが出来ると思っていたけど、実際は残り半分もない。

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「憂鬱だ...」
「何が」

私の呟きにすぐさま反応が返ってくる。というか、反応が返ってくるのを見越しての呟きだったのだけど。

「夏休みがもうすぐ終わっちゃう...!」

私が悲しみを表すように大げさな手振りを付け加えて言うと、しらーっとした感じの視線が鏡の中から返って来た。

「そりゃあ、日にちが経てば夏休みも終わるだろ」
「そんなもっともな意見なんか聞いてない!」

兵助くんの何の面白みも無いコメントに、私はすぐさま噛み付くように答えるものの、兵助くんはあくまでそのしらっとした姿勢を崩すことがなかった。 それどころか感慨深げに呟いた。

「そういえば、もうすぐ夏も終わりか...」
「夏休みが終わるんだから夏も終わっちゃうよ!」

夏休みが終わるとなってくると、夏の間にしておかないといけないことをいくつも忘れている気がした。 頭の中では今年の夏にあった出来事を思い出しながらも、何か思い残しが無いかを考える。 そんな忙しい私は気にしていない感じで、兵助くんは兵助くんで少しだけ遠い目をしていた。
ついつい何でそんな遠い目をしているのか気になってしまい、その疑問を口にしてしまう。

「どうしたの?」
「あぁ、うん、もうすぐ試験だと思って」
「試験?」

オウム返しに尋ねれば、頷きが返ってくる。

「この試験が終わってから秋休みが来るんだ」

今でいうところの期末テストみたいなものだろうか。
大きな休みの前には試験があるっているのは変わらないんだなぁ、としみじみと考えていると、兵助くんが少しの間を挟んで口を開いた。

「三日か四日、もしかしたらそれ以上会えないかも」
「...ええ?」

それは聞き捨てならないと声を上げれば、鏡の向こうの兵助くんはいたって冷静な表情でこちらを見ていた。 そうすると不意に、私もサッと頭が冷えた。試験があるんだったら勉強をしなくちゃいけないのは当然だ。
私だってテスト前は漫画を読んだり、友達と遊んだりはしない。まぁ、普段から勉強していたらそこまでテスト前に焦る必要がないんだけど...。 そう気づくのはいつもテスト前になってからだ。

「それはしょうがないね」

物分りが良い返事をしながらも、本心ではがっかりしていた。三日も四日も会えないなんて...すごく遠いことのように思えてしょうがない。 気づけば、兵助くんとのこの時間は私にとっては欠かすことができないものになっている。
ご飯を食べてからお風呂に速攻入って、自分の部屋に閉じこもって兵助くんと会う。私の不審な動きに母は私に彼氏ができたんじゃないか、と思っていたらしい。 毎日のように部屋から話している声が聞こえてくるので、電話でもしているのだと思ったらしい。 だけど私が「彼氏なんかいないし...」と、自分でも空しくなる言葉を吐けば、あっさりと母は納得した。「だと思った」という返答には意義アリだ。 そうして母の中では、私は毎日友人と電話をしている、ということになっている。
真相は違うのだけど「鏡の中の男の子と話してる」なんて言ったら頭がおかしいと思われてしまう。前のこともあるし、完全に娘がいかれたと思われてしまうだろう。 だからといって、母の目の前で証明する気にもなれない。前とは状況が違うのだから、心境の変化っていうやつだ。

それにしても...忍者の試験って言うのは一体どういうものなのだろう...。
好奇心が喉元までやってきたとき、今まではせき止めていたはずのそれを私は声として出した。

「忍者の試験ってどういうの?」

そういった途端、鏡の中の兵助くんの表情が曇った。曇った、と言っても兵助くんなので、そこまではっきりと感情が顔に出たわけじゃない。 だけど、雰囲気が今までとは明らかに変わったのを肌で感じた。
   しまった、これはしちゃいけない質問だったんだ。
そう気づいたときには遅かった。すでに口にしてしまった言葉は取り返すことができない

「ご、ごめん」

咄嗟に口をついて出た謝罪は、ますます雰囲気を重いものにした。
兵助くんが引いていた境界線が少し狭まったことで私は調子に乗ってしまった。境界線は狭まったものの、だからといってなくなったというわけではない。 誰しも触れて欲しくない部分というのは持ち合わせている。だからこそ、そこはきちんと注意しないといけなかった。 そんなことを事を起こしてしまってから気づく。
兵助くんは気まずげに視線を斜め下に向けながら口を開いた。

「実技の試験なんだ。ごめん、これ以上は言えない」
「うん、いや、私がごめん」

どう考えても私が悪かった。そう思って私も謝罪を口にすれば、眉根を寄せて不服そうな顔をした兵助くんと目が合った。

「何で彩が謝るんだ」

少し怒っているかのような強い語気に、胸の中にヒヤッとしたものを感じる。
どう答えればいいのかわからず視線を逸らすことしかできなかった。そうすると小さく息を吐く音が聞こえた。 それにまたしてもヒヤッとしたもの感じた。何だか自分でも、最近兵助くんに対して臆病になっているように感じる。

「...言いたくないわけじゃなくて、言えないんだ」

やがてぽつりと零された言葉は、先ほどとは違って穏やかに響いた。あまり自分の気持ちとかを上手く口にすることができない兵助くんが、 慎重に選んだ言葉であることはわかった。
だからこそ、その言葉が私の胸を打ったことを知らない兵助くんは、苦い表情をしている。

「勘衛右門みたいに上手く話せればいいんだけど」
「...かんえもん?」

まるで独り言のように呟かれた聞きなれない名前に、思わずオウム返しで尋ねてみればなんでもなさそうに兵助くんが友人だと答える。 初めて兵助くんから知り合いの名前を聞いたので驚いた。
今まで頑なに見せなかった背景を兵助くんが少しずつ教えてくれるようになった。それが嬉しい。

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兵助くんの口から聞いたわけじゃないので憶測でしかないのだけど、テレビとかで見る忍者と言うのは隠密で誰にも気づかれることなく いろいろなことをしている。例えば、何か調べたり、暗殺をしたり...
ごくっと思わず唾を飲み込みながら、兵助くんも人を殺したりするんだろうか、と考える。
忍者って言えば水を地面から噴出させたりするイメージが強くあったものの、そういえば誰にも知られることなく人を殺したりするのも忍者のイメージに当てはまる。 兵助くんを見ても、人を殺したりしたことがあるようには見えない。まだ14歳だから、そういう経験はしたことがないのかもしれない。 そう自分で納得させながらも、内心では今の14歳とは違うことがわかっていた。
そこまで昔のことに詳しいわけじゃないけど、私の年齢で結婚をしていたり、すでに子どもが居たりすることが普通だったりするのだから、14歳と言ったらもう大人扱いをされているのかもしれない。 私よりもはるかに大人びて見える兵助くんを見ても、納得してしまう。
だけど、兵助くんが人を殺してるなんて想像できない。
忍者についてもっと詳しくパソコンを使って調べてみようかと思いついたものの、それは反則のような気がして結局調べることはしなかった。 兵助くんが隠していることを暴くことになるかもしれない。好奇心はあるものの、その前に兵助くんの気持ちを優先させることにした。 なんにしても、兵助くんの試験が無事に終わることを祈るくらいしか私にはできない。
どういう試験なのかわからないけど、もしかしたら命に関わるようなことなのかもしれない、と思うと気が気ではなかった。







(20140622)