![]() 「ここまでくれば大丈夫か」 独り言のように息と共に吐き出された言葉を合図に、兵助くんは手にしていた短刀を服の中に仕舞った。 私はその言葉にようやく大きく息を吐き出した。慣れない山道を歩きっぱなしだった足はぱんぱんだ。 だらしないとは思いながらも我慢できず、その場に座った。 いつもなら草の上に座るなんて下手をしたら虫がいるかもしれないのでかなり警戒するけど今はそんな余裕も無い。 草の上に座り込むと、草についていた夜露の所為でお尻がひんやりした。だけど今は濡れてしまっても気にならない。 お尻がみっともないことになってるかもしれないけど...いや、確実になってるだろうけど、どうしても座りたい。 「疲れた〜」 座って上がった息を整えていると、兵助くんも隣に腰掛けた。 そうすると途端に心臓がたった今まで歩き通しだったのとは違う意味でドキドキするのを感じた。 ちょうど背の高い木に囲まれているので、暗いことも手伝って周りからはここに私達がいるということはわからないだろう。 周りの様子を眺めて、この突然の二人きりの状況から意識を反らした。 「大丈夫か?」 「...え?」 「胸、痛くないか?」 意識を反らすことに成功していたらしい私は、兵助くんに話しかけられても何のことかわからなかった。 思わず指摘されたことを確認するように胸に手をやる。今まで必死で森の中を歩いていたので、すっかり痛みのことを忘れてしまっていた。 指摘されたことによって痛みがぶり返してきたような気がして、胸を摩る。 「聞かれたら痛くなってきた」 「なんだそれ」 こちらを気遣うように見ていた兵助くんの瞳が緩められた。 釣られて思わず口元が緩んだ。兵助くんが笑うと何だか嬉しくなってしまう。 「あの鏡」 すぐにお尻のポケットに入れてある鏡のことを言っているのだとわかった。 「俺が持ってるのと同じだ」 「え、」 「と会ってたのはあの鏡を通してだったんだ」 話の中心になっている鏡を取り出すべく、私はお尻を少しだけ浮かしてポケットから鏡の持ち手部分をひっぱった。 手に持ったそれには、やはり鏡面がほとんどなかった。本来なら見えないはずの鏡面の裏側の部分の木が丸見えの状態だ。 これじゃあ鏡の意味がまるで無い。 「...本当にそっくりだ」 私と一緒になって手元を覗き込んでいた兵助くんが驚いたように声を上げた。 手渡すとその細部を確認するように手の中で弄りながら熱心に見つめている。兵助くんがここまで驚くほどそっくりだなんて。 同じ職人が作った鏡と言うことだろうか? そう考えてずいぶんと古いとは思っていた鏡が、予想をはるかに超えた年月を生きてきたのだと思って驚いた。 「あ、」 決して大きくはない声だったものの、私の耳は兵助くんのその声を聞き逃すことは無かった。 咄嗟に思考を停止させて兵助くんを瞳に映せば、手の中の鏡を凝視している。 「どうしたの?」 首を伸ばして兵助くんの手の中に視線を落とせば、持ち手の部分を親指で擦っているのが見えた。 だけど何か異変があるようにも見えず、私は首をかしげることで兵助くんに言葉を促した。 「...いや、何でもない」 明らかに何でもないということはなさそうだったけれど、兵助くんが私に鏡を返してきたので、話はここで終わりなのだと思った。 「それよりは何でここに?」 「うーん、それが私にもわからないんだよね」 不思議なことすぎて説明することなど不可能だ。自分の意思で私は今ここに居るわけではない。 兵助くんに会いたいとは思っていただけれど、その思いが原因で時間をさかのぼることは出来ない。現実的に考えて。 タイムマシンは作ることが出来るとどこかで読んだことがあるけど、まだ残念なことにタイムマシンは発明されていない。 そんな状態で私が過去にいる兵助くんと一緒に座っているこの現状は、不思議としか言いようが無い。 だから私の説明はとても曖昧なものになった。 夢を見たことから、今現在までの話を簡単に説明すれば兵助くんも眉を寄せるだけだった。 だけど現実的にあれやこれやを考えるのをやめて、いろいろなものをすっ飛ばすと一つだけ浮かぶ答えがあった。 「愛の力だね」 私はわざと茶化す物言いでそれを口にした。冗談を言っている風に見かけて、実はあながち間違ってもいないと考えていた。 だいぶん乙女な思考に恥ずかしいとは思いつつも、運命みたいなものを感じずにはいられなかった。 自分で言っておいて恥ずかしくなった私は、それが兵助くんにばれないように俯いて自分の足を見ていた。 足は泥だらけだ。まあ、裸足で走り回ったんだから当然だ。けれどあまり痛みを感じなかった。 「そうだと嬉しいな」 「...え、」 不意に届いた兵助くんの言葉に思わず頭を上げて隣を見つめた。多分驚いた顔をしているであろう私の顔を見て、兵助くんが ふっと小さく息を吐いて笑った。 その大人っぽい優しい笑みに、途端私の心臓は大きく鼓動を打ち始めた。これで年下だなんて信じられない。 私から話をふったというのに、口から出たのは「あ、あぁ、うん...」という、なんとも煮え切らないものだった。 漂う微妙な雰囲気に私の視線は徐々に下がり、また自分の足を食い入るように見つめていた。今兵助くんの顔を見ておかないと... 目に焼き付けておかないと...そうわかっているのに、くだらない照れに邪魔をされて顔を上げることができない。 虫の無く声がだけが響いている。少し肌寒く感じて、もうすぐ秋が来るのだと知った。 私が過ごしている季節を同じように兵助くんもここで感じている。幽霊なんかじゃない。これは現実なんだ。 自分の考えに没頭していると、不意に髪に何かが触れた。 驚いて顔を上げると兵助くんも驚いた表情で私を見ていた。 この暗さに目が慣れたのではっきりと表情が見える。 「にこうやって触れることができるなんて思ってなかったから...」 どこか言い訳染みたような言葉と共に、手が離れていくのが見えた。まるで名残惜しいと訴えているように、手に触れていた髪を 一房連れていかれる。そうして兵助くんの手が完全に引っ込められると、私の髪も重力に伴って落ちた。 「兵助くん...」 意味もなく気づけば口をついて出てきたのは彼の名前だった。 兵助くん、兵助くん... 胸の中に言葉で表わせられない、感じたことが無い、知らない感情が沸々と泉のように湧き上がる。 胸が一杯で締め付けられて、意味もなく泣きたくなる。だけどそれを不快には感じない。胸が苦しくて喉のところがじんじんした。 言葉が出てこない私はただじっと兵助くんを見つめていた。 そして兵助くんも見つめ返してくれる。 そんな単純なことがたまらなく嬉しいと感じる。 同じ時間を共有して、隣に座ってただ見つめあう。そんな何気ないことがうれしい。 多分兵助くんも同じ気持ちを抱いている。月の光に取らされた兵助くんの黒い瞳は輝いていて、胸のうちの感情を語りかけてくるようだった。 最初はわかにくいと思っていたはずなのに、いつの間にか兵助くんの感情を読めるようになっていた。 毎日のように顔を突き合わせて会話していた成果だからだろうか。それとも私が兵助くんのことを知りたいと思ったからだろうか。 だからその瞳を時折翳らせるものの正体までわかってしまう。きっと私も同じことを考えているから。 それを意識した途端にどうしようもない現実が襲ってきて、私は無理やり絡んでいた視線を引き剥がした。 「いつも鏡越しだったから兵助くんとこうしてるのが不思議だね」 「...ああ」 たくさんの話したいことが会ったはずだった。兵助くんともし会えたら......そんな想像をしたのは一度や二度じゃない。 それなのに私の口は重くて、思うように言葉をつむぐことが出来ない。なのに、胸の奥からたくさんのものが溢れてきて 喉のところで絡まっている。それらを嚥下しようとごくんと喉を鳴らした。けれど違和感は消えず、引っかかっているものは以前としてそこに存在したままだ。 会話の無い静かな空間で、お互いの息遣いに耳を済ませていると突然右手に暖かいものが触れた。 首を捻ってそちら見てみれば、兵助くんの手が重なっていた。驚いて顔を上げれば、兵助くんが控えめな笑みを浮かべていた。 「ずっとこうしたいって思ってたんだ」 「...うん」 「鏡越しじゃ無理だろ」 「そうだね...」 それだけを返すので精一杯だった。じわじわと顔に熱が灯ってくるのを感じる。 鏡越しじゃ触れることも、こうやって隣に座ることも...同じ空間を共有することさえも無理だった。 話は出来るし、顔を合わせることは出来る。だけど埋めることができない絶対的な距離があった。 近いようでいて途方もなく遠い。 それが今、手を触れ合わせることが出来る距離にいる。兵助くんの熱を感じて、改めてそのことに気づかされた。 今のこの時間が本当に貴重なものだと知ると、頬の熱はそのまま、胸に痛みを感じた。 「暖かいし意外に大きいね。兵助くんの手」 「が小さいんだ」 「それはない」 二人で秘密を共有するみたいに声を忍ばせて笑った。声はすぐに木の葉の擦れあう音に消された。 それが無性に寂しくて、悲しい気分にさせた。鼻の奥がツンとする。 違和感を覚えたときにはすでに足首まで消えていた。顔が強張るのがわかった。 どうしようもないことなのに助けを求めるように兵助くんを見た。あまり感情を露にしない兵助くんが見るからに動揺していたので、 私は半端に開いていた唇を閉じた。 「」 兵助くんが動揺を滲ませた声で私を呼んだ。眉根を寄っていて、不安を浮かべた表情を見て初めて兵助くんが年相応に見えた。 いつも大人びた態度だったから自分より年下に感じなかった。 それに釣られるように、私の鼻の奥の痛みが増した。 「もうちょっと話したかったなー」 努めて明るい声を出した。だけどじわじわと視界が曇るのを感じたから、顔を上げることはできなかった。 最後が不細工な泣き面なんていやに決まってる。 だけど兵助くんはそれを許してくれなかった。 「俺もまだ話し足りない」 そういいながら繋がれてれていないほうの手までさらわれてしまい、結果的に兵助くんに両手を取られてしまう形になった。 「」 「うん」 「」 兵助くんが何を急かしているのかなんてわかっていたけれど、本格的に涙がぽろぽろと落ちている今、顔を上げることはできない。 「人と話すときは顔を見る」 「いやだ」 「何で」 こういうとき男の子は鈍感だと思う。(いや、もしかしたら兵助くんが鈍感なのかもしれない)誰が好き好んで汚い泣き面を晒したいと思うのか。それも相手は兵助くんだ。 そこらに居る、もう会うこともないだろう交通人が相手であればこんなことを考えないと思う。 せめて兵助くんの記憶の中ではきれいでいたい。と言っても、すでにパジャマに裸足で泥だらけという最悪な格好なんだけど... これ以上最悪には出来るだけなりたくない。なのに兵助くんはそこのところの女心がわかっていない。 私の抵抗はなかったことにして、兵助くんは強硬手段に出た。繋いでいた両手を解いて、私の頬を挟んで無理やり顔を上げさせた。 私は頬に触れる人肌を感じながら涙とかでぐちゃぐちゃになっている顔を晒すはめになった。 すると、あろうことか兵助くんは私の顔を見て噴き出した。 「ご、ごめっ...くっ、」 「だから嫌だって言ったのにー!!」 もう今更隠しても意味が無いとはわかりながらも、私は両手で汚いことになっているであろう顔を隠した。 兵助くんの中の私が、今の顔でインプットされてしまってはたまらないと思い、パジャマの袖口で顔を拭うものの、 涙が次々溢れてくるので意味が無いことをしているような気分になった。 「違う、そうじゃなくて、最初に会った時のことを思い出して」 兵助くんが慌てたように言い訳染みたことを口にする。それに私は顔を覆っている手の平の指の隙間から半目で確認した。 そして言われて見れば兵助くんと初めてまともに顔を合わせたとき、私は泣いていたかもしれない。とはいっても、涙ぐんでいた程度だけど。 あのときは兵助くんのことを幽霊だと思い込んでいたので、すごく怖かったのだ。 混乱した私はいろいろと初対面にしては失礼なことも口にしたような気がする...。 「まあ、そういうことにしといてあげるよ」 過去の自分の行いを思い出し、少しばかりバツの悪い気分になった私はそう言って話を流してしまおうとした。 意味が無いとは知っていながらも、もう一度パジャマの袖口で目元を拭った。 「あのときは......」 兵助くんはそう言ったきり言葉が見つからないように黙りこんでしまった。真っ直ぐこちらに向けられていた視線は、遠い日を思い出すように宙に映している。 まだそこまでの年月があれから経ったわけではないのに、急に懐かしさを感じて寂しさで胸が締め付けられた。 それからきっと、ここ数ヶ月の日課だった寝る前に兵助くんとおしゃべりをするということはなくなるのだと思った。 途端湿っぽい空気が流れてしまったので、私は努めて明るい声を出した。 「あのときには兵助くんが幽霊だと思って怖かったー!」 「......あぁ、幽霊じゃないって言ってるのに全然信じなくて泣き出すし、何だこの女って思った」 「えっ! そう思ってたの...」 「最初はな。だってそうだろ」 「まぁ...」 私だって兵助くんを責めることは出来ない。幽霊じゃないって言い張る兵助くんに「お前はすでに死んでいる」って北斗の拳 みたいなことを言っていたのだから。 お互いに第一印象はいいものじゃなかった。だけどそれは徐々に変化した。 「けどに会えるのが楽しみになった」 「...私も、夜が待ち遠しいと思った」 同意の言葉を返せば、もう一度兵助くんの手が私の手に触れた。それに応える形で兵助くんの手の平の中で向きを変えて握り返した。 最初は鏡の中の兵助くんが怖くてしょうがなかった。だけどその感情はいつの間にか消え去り、気づけば私は直接会ったことは無い兵助くんのことが好きになっていた。 気持ちを自覚したものの、だけど絶対に思いが報われることはないと思った。 お互いに鏡でしか顔を合わせたことしかなかったのだ。そこに何かが生まれるとしても、恋愛的なものはないと決め付けていた。 だけど違った、絶対なんかじゃなかった。 兵助くんの手の感触と暖かさを感じて、じわっと視界がまたしても曇った。 目を思い切り見開いてどうにか誤魔化そうとするものの、努力も空しく目から涙が溢れてしまった。 兵助くんはそんな私を見て、困ったように笑った。 「」 「うん...」 涙の所為で声は湿っていた。 ぎゅっと一度目を思い切り瞑ると視界がクリアになった。兵助くんの真っ黒な瞳は月の光を反射するように輝いている。 兵助くんの手の感触が段々と薄れていく。さっきまで握り合っていたはずなのに、今は自ら手を握りこんでいる感触しかしなかった。 これでもう最後なのだと思うと、さっきまでは恥ずかしくて口にすることができなかった言葉もするりと口をついて出た。 「 声は音として兵助くんに届けることは出来なかったけど、頷いてくれたのが見えた。 微笑んでいるのにどこか悲しげな表情を浮かべる兵助くんと虫の鳴く声、森の木々のざわめき...薄く差し込む月の光、 すべての光景を目に焼き付けようと私はまばたきするのさえ惜しく思いながら口角をあげて見せた。 (20141231) |