02 に対しての不可解な感情





突然だがおれ久々知兵助はもしかしたら後輩であるに嫌われているのかもしれない。

「ははっ、何を今更!」

まるで兵助が愉快な事を言ったかのように笑い飛ばしたのは同じ五年い組の尾浜勘右衛門である。笑みを浮かべる勘右衛門 とは反対に兵助の顔は驚き一色に染まる。衝撃を隠しきれない様子でもともと大きな目をさらに大きく見開き、口など は半開きになっている。その表情にようやく勘右衛門も冗談ではないことに気付いたらしい、目を丸くして兵助を 凝視する。

「え...? まじで?」

まだ衝撃から立ち直る事が出来ないらしい兵助は勘右衛門の問いに声を発することもままならない様子で固まったままだった。

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兵助がこの衝撃的事実に気付くまで何故四年もの月日を要したのか。
もともと二人はくのたまと忍たまということもあり、接点が少ない。その上に年齢も一つ違い、ましてや同じ委員会 に所属しているわけでもない。こうなると接点など無いに等しい。そしてそれに拍車をかけていた事実があるのだが、 兵助は知らないことだ。
だが、あの始めて顔をあわせた日以来、二人は顔見知りになったのだ。
そしてそれは彼の友人である勘右衛門、三郎 、雷蔵、八左ヱ門にも言えることだ。顔を合わせれば挨拶するし、ちょっとした世間話なんかもしたりする。
五人で会った時は。
逆に言えば、だから気付かなかった。自分一人だけに対しての態度が違うことに。
挨拶をすれば普通に返される。だが、視線が合わない。それについても兵助は楽観的に捉えていた。まさか自分が嫌われて いるなどとは考えず。人見知りするんだろう。とか、男が苦手なのだろう。とか、恥ずかしがっているのかもしれない 。とか。とりあえず、あまり深くは考えなかったのだ。

だが、先日の事だ。
一日の授業が終わり、授業中にへまをして腕に走った傷の治療をしてもらおうと医務室に立ち寄った後、一人で自室 への道を歩いていた時だった。誰かを探している様子できょろきょろとせわしなく頭を動かしながら足早にくのたまが やってきた。よく見てみればそのくのたまはだ。
知らない仲ではない、声を掛けようか。兵助がに向かって声を掛けようとするのとほぼ同時にも兵助に気付いた。 口の形が「あ」で固まったのを見つめ、視線を上に上げた兵助との視線がぶつかる...と思った瞬間にそれはサッと 避けられた。が不自然に首を捻ったのだ。兵助がその不自然な動作に疑問を覚えるのは当然の流れだった。 兵助の様子を知らないのだろう。(実際に兵助を見ようとしないには兵助の表情が見えなかった。)は視線を 不自然に逸らしたままに兵助の方に近づいてきた。

「あの...土井先生が、久々知先輩を探してました...」

そのままたどたどしく用件を伝えたかと思うと、
「それじゃ、失礼します...」
足早に去っていった。こちらの返事など聞きもせずに。
この一連の行動に導き出される答えは一つ。だが、すぐには信じられなかった。いや、信じられなかったのかもしれない。 だって考えてみたって彼女についての記憶は、数られるほどしかない。それなのに何故自分は嫌われなくてはならない んだ?! 沸々と腹の中から怒りなのか悲しみなのか分からない激しい感情が噴き出てくるのを兵助は感じた。
もしかしたら自分の勘違いかもしれない、なんて悪あがきしようとして勘右衛門に意見を求めてみたのだがその抵抗 はあっさりと勘右衛門の言葉によって切り捨てられてしまった。

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「いや、ごめん。てっきり兵助は気付いてるんだと思った」

あっけらかんと告げる勘右衛門の言葉がまたしても兵助の胸に突き刺さった。恨めしそうな目をして自分を睨む 兵助にまたしてもごめんごめん。と軽く笑いながら勘右衛門が詫びを入れる。

「だってすごいあからさまだったし」
「...なにが」
「え? さんが兵助のこと避けてるの」
「......知らない」
「...ふーん。まっ、いいけど」
「――よくない」

呻くようにして口をついて出た言葉はあまりにも小さく、勘右衛門の耳にまでは届かなかった。


「は? 兵助気付いてなかったのか、鈍い奴だな」
「うぅん...まぁ言い難いけど兵助の言うとおりだろうね...」
「兵助気付いてなかったのか?!」

悪あがきと言うよりは少しの可能性にかけて勘右衛門にした話を兵助はその場にはいなかった三人にも話してみた。 返ってきた言葉は三者三様だったが兵助の望んだものは一つもなかった。少しの可能性さえも粉々にされ、兵助の表情は 暗く沈みこんだ。先ほどまで激しく腹の中を暴れまわっていた感情は時が経ち少し冷静さを取り戻したからか大人しくなっていた。 変わりに今は腹の中に氷でも詰められたかのような気分だった。

「というか、あそこまで露骨な態度なのにそれに気付かない兵助にオドロキだ」
「まぁな...さん、兵助が来たら急に黙り込んだりするしな」

――知らない。
三郎と八左ヱ門の会話に耳を傾けつつ兵助は胸中で反撃にもならない言葉を返す。
表情を暗くして拗ねたかのように黙り込んだ兵助を困ったように見つめて四人はそれぞれ表情を変えた。

「...何が原因だと思う?」

やがてぽつりと呟いた沈黙の中に落とされた兵助の言葉に四人は間髪いれずに答えた。


「そりゃあ...」
「一番最初...」
「会った時の...」
「一撃だろうね」

「一撃って...! あれには理由があったんだ!」


あの日――と初めて顔を合わせた時。は見るからに怯えたような、不安な表情で二年長屋の前に居た。 聞けば恥らうように頬を染めて迷子になったという。その姿に自然と頬が緩む。
その時点でのに対しての印象は、少しどんくさい子。とか、不安そうに自らの手をいじっている姿などはどこか小動物 を思わせる。というのだった。くのたまには散々痛い目をみさされてきたので、その桃色の装束に最初は少し警戒 していたかもしれない。だがすぐにその仕草や話し方を見て警戒心は無くなった。どうみても普通の女の子だったからだ。 勘右衛門と女の子が話しているのを見ていると、ふと何か動いているものがの頭にくっついているのが見えた。
じっと凝視するとその虫は一瞬何かを感じたのか動きを止めたが、すぐにまた歩き出した。細長い体を器用に動かし て前に進む姿に兵助の頭に一つの噂が浮かび上がった。
......測りきられると死ぬ。

――早く落とさなくては!

焦った兵助はそのまま手を振り下ろした。
そして無事に虫は女の子の頭から払われた。が、兵助がホッと息を吐き安堵したのも束の間、目の前のが大きく目を 見開いて自分を見ていた。周りの声も聞こえないほどに兵助は大きな目が徐々に潤んでいくのを見つめた。 目が離せなかったのだ、驚きの表情が徐々に悲しげに歪められるのを。
大きな目は潤み、やがてぽろぽろと涙が頬を滑っていったのを兵助はまばたきも出来ず見つめた。
四人からの自分を責め立てる視線に兵助は流石に黙って叩いたのは悪かったと自己嫌悪した。ちらりとを見てみれば はらはらと目から透明の雫を溢し、それを拭おうと頬を擦っている。頬は擦りすぎて真っ赤になっていた。 その姿を目に捕らえた瞬間、兵助の胸を鋭い痛みが貫いた。思わず呻いて胸を押さえる。
容赦ない四人の罵声は遥か遠くで聞こえているかのように兵助の耳にぼんやりとしか聞こえなかった。ただただ泣き続ける の姿だけしか目が捉えず、耳はの泣き声しか通さなかった。
しゃくりあげて泣くを四人が長屋まで送っていくのを兵助はその場に佇んだまま見送った。
やがて四人が帰って来て声を掛けるまで、兵助はその場に足を縫いとめられたように動けなかった。
何故か胸は痛むし、のぼせたように顔は熱い。その上に脈が速かった。
――もしかするとあいつを叩き落したから俺が呪われてしまったのだろうか?!
怯える兵助に四人は妙に生暖かい笑みを浮かべて、それは絶対に無い。と断言した。

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実は誰にも言ったことは無かったがあの日から目を瞑ると瞼の裏にこびり付いたかのようにの泣き姿が繰り返し 浮かび上がっていた。そしてその姿は自分とが成長するのと一緒に上書きされていく。
今、目を瞑り浮かび上がるの姿は先日、自分と一度も目を合わせようとしなかった時のものだ。
用件だけを伝え、さっさと踵を返し去っていった姿だ。
あの時と同じように一度も声を掛けることが出来ずにただただ遠ざかるの後姿を繰り返し兵助は見送っている。
――何でこんなに苦しいんだ?
先日のの姿と友から聞いた事実が兵助の背に重く圧し掛かっているようだった。






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(20110409)