01 久々知兵助についての感情





突然だがわたしは久々知兵助先輩のことが苦手である。

それはが一年の時の頃だった。まだ学園に入学したばかりで学園内の構造についてちゃんと理解していなかったは 迷子になったのだ。目指しているはずのくのいちの長屋には着かず、気付けば見知らぬところに迷い込んでいた。 おろおろびくびくしながら近くにあった長屋の部屋の横に吊ってある札を確認してみれば『二年長屋』と書かれてあり、 は目的地とは全然違う場所に来てしまった事を悟った。
とりあえず、さっき来た道を辿って行けば食堂に戻れるはず。
は不安に押し潰されそうになりながら、来た道を辿ろうと足を踏み出した。

「あ、くのたまだ」

一歩足を踏み出した体制のままどこからか聞こえてきたた声にきょろきょろ辺りを見回して見れば、長屋の一室から 男の子が顔を覗かせてこちらを見ていた。ぼさぼさの髪を掻きながら不思議そうな顔をしたかと思うと、何かを思いついたようにハッとして顔を歪めた。

「も、も、もしかしてまた俺らに...!」
「違うだろ。見たところあのくのたまは一年だ」
「そうだね。まだちゃんとしたくのたまになってないよ」

“ちゃんとしたくのたま”とは一体どういう意味なのだろう? 会話の内容に疑問を持っただが、人見知りの気があった彼女はその疑問を口には出せず胸のうちに留めた。
ぼさぼさ髪の後ろからひょこっと顔を出しながら話しているのは見かけがそっくりな二人だ。双子だろうか。
がおずおずと控えめにその一室を見ている間にも部屋からはぞろぞろと興味津々という風な顔をした忍たまたちが 出てくる。その様子にの表情は自然と硬くなった。

「ねぇねぇ、ここで何してるの?」

不思議な髪質をした男の子が人懐っこい笑みを浮かべながらに話しかける。いつのまにか五人の忍たまに囲まれている状態に なってしまったは不安げに自らの手を弄りながら、それでも話しかけにきた男の子の笑みに少し警戒心を緩めて ぼそぼそと声を発した。

「あ、あの...道に迷って、しまって...」

学園の敷地内で迷ってしまった事に恥ずかしさを感じての頬は徐々に赤くなる。
その心情が手に取るように分かった五人は顔を見合わせて、そんなを微笑ましいというようにこっそりと笑った。

「今はこんななのに一年も経ったら...」
「三郎!」
「いや、今のうちに優しくしといたら...」
「ハチまで...」

何か分からないが自分のことで盛り上がっているのだということは分かる。は居心地が悪そうに両手で装束をぎゅっと 握った。その様子にいち早く気付いたらしい不思議な髪質の男の子が苦笑いから素早く先ほど浮かべていた人懐っこい 笑みに表情を変え、と視線を合わせる。

「どこに行こうとしてるの?」
「えと、くのたま長屋です...」
「なんだ。それなら近いよ」

朗らかに告げられた言葉にはホッと息を吐いた。「中には入れないけど近くまで連れてったげるよ」そのありがたい 申し出にがこくんこくんと何度も頷き、お願いします。と言えば、不思議な髪質の人も、ぼさぼさ髪の人も、双子の 人たちも笑った。どうやら自分はくのたま長屋に無事に帰り着くことが出来そうだ。いい人たちに会えてよかった。ほっと息を吐きながら、 はちらりと先ほどから声を発すること無く、じっとこちらをみている人を見た。他の四人は笑っているというのに 一人だけくせのある黒い髪に睫毛が長い人はにこりともせずに、その大きな瞳でじっと自分を見ている。
なんだろう。この人...。
不安に思いながらも相手を真っ直ぐに見つめ返す事が出来ないは、視界からその人物を追い出そうとした...が、 次の瞬間、頭に衝撃を受けて視界がぶれた。揺れた体が倒れないように一歩足を踏み出して踏ん張る。
突然のことに頭は真っ白になりながら、衝撃のあった側頭部を手で撫でる。
いま、叩かれた?
ぽかんとしながら振り返ると、周りの忍たまたちもぽかんとしていた。ただ一人を除いて......。
先ほどから声を一切発しなかった忍たまだけはの頭を叩いたままだと思われる格好...不自然に右手を上げた格好で なんでもないような顔をしてこちらを見ていた。

「...へ、兵助なにしてんの?!」

双子の一人の驚いたような声を皮切りに他の人たちもはっとしたようにその人を見た。その様子を眺めながら は今にも涙腺が崩壊しそうになっているのを感じた。
なんで? わたし何もしてないのに...叩かれた...。
痛みは無いに等しかったのだが迷子になり不安になっていたことに加え、慣れない環境に毎日緊張していた事もあり、 いとも容易く涙腺は崩壊し、涙が頬の上を転がった。入学してからというもの危ういほどぎりぎりに張りつめていたの心の糸が切れた瞬間だった。

「...うっ..ぅうっ...!」

ぼろぼろと大粒の涙を零し、声を漏らさないようにか、唇をかみ締めるの姿に焦ったのは忍たま達だ。
まさか兵助が叩いた事によって入学してから溜まっていたものが爆発したとは知らない忍たまたちは顔を青くした。 この場合どう見ても女の子を叩いた兵助が悪い。すぐさま泣かしたと思われる超本人である兵助に四人が詰め寄る。


「兵助! お前が叩いた所為でこの子泣いちゃったじゃないか!」
「あ、いや...」
「何が気に入らなかったのか知らないがいきなり叩くのは良くないと思う。な、雷蔵」
「ちが...」
「珍しく三郎の言うとおりだよ。兵助ちゃんと謝るんだよ!」
「だから...」
「兵助...言い訳するなんて男らしくない!」
「はなしを...」

「うっ...うぇぇ...うぅっ...!」


僅かに声を漏らして泣く姿にそうだったでもいうように五人が振り返る。頬に流れる涙を手で拭おうとしているがその手も 涙に濡れてしまっている。それどころか頬は擦りすぎて赤くなっていた。
その痛々しい姿が五人の胸にずきんと突き刺さる。それからどうみても悪いと、客観的に見て 思われる兵助に向かって四人が鋭い視線を向けた。
四人の目に映った事実は“兵助が新入生の迷子になっていたくのたまの頭をいきなり叩いた”である。
の号泣する姿+四人からの容赦ない鋭い視線を受け、兵助は「うっ...!」と呻き、胸を押さえた。一応は反省して いるらしい兵助は自業自得だと放っておいて四人はに駆け寄った。

「とりあえずくのたま長屋に連れて行こうか」
「兵助は後でちゃんと怒っとくから、ね」
「あっ! 俺この間めちゃくちゃ珍しいカメムシ捕まえたから見せてやろうか! きっと涙も引っ込む!」
「この豆腐野郎っ! 反省しろっ!!」

涙でぼやけて視界が悪いのを気遣うように背を押され、はくのたま長屋に帰って行った。
その背を見送る兵助を置いて。


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この出来事があってからというものは兵助のことが苦手になった。嫌いというわけではない。苦手なのだ。
もちろん、何故兵助がの頭を叩いたのか理由を後で聞き謝罪だってしてもらった。それでも第一印象で植えつけられた 兵助に対しての苦手意識は消す事が出来なかった。
だが、兵助が苦手で困った事も無い。
――別にこのままの関係...顔を知っている程度の先輩後輩で困る事もないし。
   あの人との付き合いはそのままで終わるんだろうなぁ。
の思い描く漠然とした未来には兵助の姿どころか影さえもないのだ。






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(20110402)