聖なる夜まであと何日?




 お客さんのために流しているはずの音楽を聞かせるべき人は今店内には一人も居なかった。
がらんとした店内を眺めながら私はぼんやりとレジの前につっ立っていた。お客が少ないことは良いことだと思いがちだけど 案外そうでもない。時間の流れがひどく鈍く感じてしょうがないからだ。秒針が一秒を刻むのが普段より 倍の時間掛かっているような錯覚に陥る。
 ゆるりと首を回して確認した時間は先ほど確認した時よりも二分しか経過していなかった。

「誰も来ないな」

 私の視線の先が分かりきっていたようで、食満さんは視線の先を追うことも無く呟いた。食満さんの向こう側の時計から 彼の横顔に焦点を変えると、思いがけず目が合った。

「ですね」

 それっきりまた特に話すことも無く、それでもって仕事も無く、ぼんやりと有線からの曲に耳を傾けていた。
店長は出かけているので今は私と食満さん二人だけだ。うちの店は立地が悪いからか日頃からあまりお客さんは多くない。なのでこうやってレジの前にボーっとつっ立ってることだってあまり珍しいことじゃない。 夕方からは少しづつ人の出入りが多くなるけど、今日はさっぱりだ。近くの店舗のコンビニが購入者になにかプレゼントするみたいなキャンペーン を実施中っていうのが大きく関係しているからだと思う。

「...あれか、はクリスマス予定とか、あるのか?」

 ぼんやりと思考までも飛ばしていたので唐突に話しかけてきた食満さんからの言葉が一瞬理解できなかった。 鈍い動きの脳みそをゆっくり始動させて私は先ほどの言葉をもう一度頭の中で繰り返した。
 気付けば先ほど流れていた曲は終わり、変わりに定番のクリスマスソングが店内に流れていた。
...ぼんやりしすぎていたらしい、全然気付かなかった。 クリスマスソングを聴いて、食満さんは先ほどの質問を思いついたのだろう。私は若干の苛立ちを覚えながら、口を開いた。

「ありますね」
「そ、そうか、あるのか...」
「はい」
「...」
「...」

 食満さんが黙ると、私も続きを話すつもりはないので自然と店内はまたも、クリスマスソングだけが流れる形となった。 一応クリスマスっぽく飾りつけられた内装と打って変わって私たちを取り巻く空気は少しもメリークリスマース!!って感じではない。 むしろ重苦しい空気が漂っている。
それでも果敢にも食満さんは話を続けた。

「やっぱ...彼氏、とかか?」
「違います」
「...なんだ! そうかそうか。...友達とかか?」
「家族とです」
「そうかそうか! 家族かー」
「クリスマスは家族と過ごすって決まりなんです。私ほら、アメリカ育ちなんで」
「...えっ!! あ、は?! アメリカ育ちなのか?!」
「見たら分かりませんか?」
「あー...言われて見れば...」
「ま、冗談ですけど。どう見ても私日本人顔してるじゃないですか、適当ばっか言わないでください食満さん」
「...すまん」

 どこと無くしゅんとしてる食満さんを横目に見て、私は小さく鼻から息を吐いた。
 ――どーせ、クリスマスの予定はないですよ。
クリスマスの予定など尋ねられたので私の心は少しばかり荒んでいた。それがそのまま言葉にも繋がったので少々 きつい物言いになったのだが、それを素直に認めて謝るなどという選択肢は最初から無い。むしろクリスマスの話題を出した 食満さんが悪いのだと開き直っている。

 食満さんとはこのバイト先のコンビニで知り合った。私よりも遅れてバイトにやってきたので、私は自然と先輩という立場になったのだが、 その前に食満さんは私の先輩であった。食満さんは一つ年が上で、同じ高校の三年生だった。 つまり、バイト先の後輩というよりも先に、学校での先輩だったのだ、食満さんは。
三年生の中でも特に目立つ集団の内の一人である食満さんを私は前から一方的に知っていた。名前までは知らなかったが、 学校の中でも目立っていたので何度も見かけた事があり、頭に残っていた。
 その彼が私のバイト先であるこの寂れたコンビニに後輩としてやってきた時は驚いた。
「あ」と思わず声を上げた私に気付き、店長が「さん知り合い?」と声を掛けてきたが私は思いっきり首を振って否定した。 一方的に知ってます。だなんて本人を目の前にして言えない。食満さんからの視線を受けて、私は落ち着き無く視線を彼の胸元に新しく光る名札で向けた。
“食満”...どう読むんだ? 怪訝な表情をした私に食満さんは笑いながら“けま”と読むのだと教えてくれた。
けま、けま、食満...何度か口の中で呟いて頭の中の残像、友達と笑いあっていた“一方的に知っていた先輩” と今目の前に立って笑っている“バイト先に来た後輩、食満”の笑顔が同一である事に気付いた。
――本当にあの人なんだ。
 ワンテンポ遅れて吃驚した私に食満さんが「どうかしましたか」と声を掛けてきた。店長は私に新人に仕事を教えることを丸投げしてすでに店の奥に引っ込んでいる。 (多分今日入荷したばかりの雑誌を読んでいるのだろう。)知らないと言った手前、食満さんがここにいることに驚いたんです。と答えることも出来ず、 口からでまかせに「後輩が出来ることに驚きました」と答えた。けれどあながち間違ってもいない。食満さんは私に出来た初めての後輩だった。
「今更かよ」
 破顔するときつい印象を与える目元が優しげになる。
いつも遠目に見ていた笑顔を思いがけず近くで見て、私はまたしても吃驚してしまった。それを違う方に受け取った食満さんが 「あ、すいません。敬語」と謝ってくれたが、私としては先輩である食満さんに敬語を使われるのは妙な気分だったので、砕けた口調の方がよかった。

「いえ、私年下なんで敬語じゃなくていいです」
「...何で年上って知ってんだ?」
「...」
「...」
「...オーラ、みたいなものです」
「オーラ?」
「はい。これは年上のオーラだなって、会った瞬間に...」
「すごいな。俺そういうの全然だからな」

 純粋に感心しているらしい食満さんにこっちが驚きつつ、その次に繰り出された無邪気な質問「俺のオーラって何色?」 に私は心底困った。この会話でぐっと距離が近づいたのはよかったが、私がこのとき答えた適当な「紫ですね」という 言葉を食満さんは未だに信じている。「紫って微妙だよな...」と肉まんを並べながらこの間思い出したかのように呟いていたのを聞いてしまった。 (そして私は真実を話すことが出来ずにいる。狼少女とは私のことです...。)
 いつの間にか食満さんの教育係みたいなものになっていたらしい私は、よく二人でシフトに入ることになり、 他愛ない会話などで順調に食満さんと距離を縮め、軽口などを言い合う仲になった。ただ学校で見ていた時と比べれば驚くべき距離の近さだ。 先輩なのに後輩...ちぐはぐな関係だけれど私も食満さんもそれに違和感を感じないようになっていった。
 だが、私は学校での“食満先輩”とバイト先での後輩“食満さん”を上手く結びつける事が出来なかった。
学校での食満さんは目立つグループのうちの一人ということもあり、どうにも近づきがたい。
なので学校では今まで通り、遠くからその姿を見かけるくらいで話をした事は無い。食満さんに至っては私の存在に気付いていない可能性が高い。 同じ学校である事は話したことがあるので知っているだろうが、三年と二年とでは共通点もあまり無いのだ。全校集会や食堂、些細な共通点で見かけるくらいだ。
学校では相変わらずのまるっきり他人でありながら、バイト先では軽口を言い合う仲。
不思議な関係だが私は現状に満足していた。





「いいですよ」
「えっ、いやぁ助かるよ。さん」

 店長がクリスマスにシフトに入ってくれないかと言いづらそうに話しかけてきたので、私は頷いて見せた。
相変わらず店内にはお客さんは居ないので堂々と立ち話も出来る。店長は早速シフト表に私の名前を書いたようだった。 それを眺めながら私は心の中で裏切り者の友人に毒づいた。
 去年は友人達と一緒に過ごしたクリスマスだが、今年は次々と彼氏が出来たということでクリスマスの予定は翻された。彼氏無しが私を含めた二人になったところで お互いにクリスマスは二人で過ごすものだと暗黙の了解みたいなものが出来上がっていた。約束は口にしていないが、 ケーキはあそこの店にしようだとか、予定を立てていたのだから。
――それなのにだ、私はあっさりと裏切られた。
クリスマス二週間前になって彼氏が出来たと友人から満面の笑みでの報告を受けたあの日、私は「裏切り者ぉッ!!」の声を浴びせて バイト先まで走ってきた。食満さんは変質者並みに、はぁはぁ息を荒げる私を見かねたように売り物のお茶を奢ってくれた。
 苦い思い出――と言っても一周間も立っていない――が頭を巡って私は知らず奥歯を噛み締めた。

「店長が困ってるのに当然ですよ」
「さっすがさん!」

 友達とクリスマスを過ごす予定が潰れていなかったら断っていたが、予定はなくなったのだ。
店長は私のおべんちゃらに「頼りになる!」などと調子のいいことを言っている。思いがけず簡単に人材が見つかり機嫌が良さそうだ。

「じゃあ俺も出ます」

 それまで一言も発しなかった食満さんが唐突に声を上げた。
予期せぬ言葉に私は目を丸くして、食満さんを見つめた。

「うっそ! 食満くんも頼りになる!」
「店長が困ってるのを見過ごせませんから」
「きゃっ! 二人ともかっこいい!!」

 おっさんのくせに店長は甲高い声を上げて跳ねながら奥に入って行った。おっさんがそれをしてもかわいくないどころか、気色悪いだけだ。 奥に消えた店長から隣に立つ食満さんに視線を移す。食満さんも私の視線に気づいたようにこちらを見下ろしている。

「......いいんですか?」
「よくなかったら言わないだろ」
「か、」
「か?」

 ――彼女はいいんですか?
 もう少しで出そうになった疑問を寸でのところで飲み込んだ。そんなの私が口出しする事じゃない。
食満さんがいいと言ったのだからいいのだろう。それを私が何かうるさく言うのも可笑しな話だ。 もしかしたら私が店長との会話で食満さんに断り難い空気を作ってしまったのだろうか...。そうだとしたら申し訳ないことをしてしまった。 「何でも無いです」無理やり打ち切った会話に食満さんは何か言いたげな顔をしたが、気を取り直したように笑った。

「クリスマスもよろしくな」
「...はい、こちらこそよろしくお願いします」

 ...彼女が居ないわけが無いよな。
笑みを返したところで、絶妙なタイミングでお客さんが入店したので私も食満さんもそちらを見た。
「いらっしゃいませ」の声は完璧に食満さんとハモった。口を上げながら意味ありげに視線を寄越した食満さんに私も口端を上げて返しながら 不意に友人の言葉を思い出した。
――も彼氏を作ればいいんだよ!
...ホント、簡単に言ってくれる。友人にそう言われたときに脳裏を過ぎった人...自分の浅ましさに苦い物が口内に広がった。
その笑みに意味を見出そうとすること事態間違っている。




→クリスマス回避コマンドが見つかりません。




(20111223)