私の願いにも似た願望は、次の日実現されることになった。 森山とは本当に何も無かったかのように朝の挨拶をした。だけどそれきりだ。 いつもならいろいろと話をする機会があるのに、今日はそれがなかった。 いつも通りにするために張り切って「おはよう」と言うと、「はよう」といつも通り、森山も返してくれた。 だから森山に避けられているのかもしれない、というのは私の考えすぎなんだと思う。 この間できたばかりの“彼氏”に、別れを告げるというのは結構なエネルギーが必要になる。けれど、そんなことは気にしていてはいけない。 森山以外の人のことを今は好きになることが出来ない、と実感した私は別れを告げることにした。 そうでなくては、今でさえもあまりそこまで自分のことが好きなわけじゃないのに余計に嫌いになりそうだ。 何年か経ったりしたら森山以外の人のことも見ることが出来るかもしれない。いや、かもしれないじゃなくて、きっとできる。 だけど今は無理だ。同じクラスで毎日顔を合わせているのだから、この思いがなくなるなんてことは無いんだ。 それを私はわかっていなかった。自分で自分の気持ちを読み誤った所為で、今こんなことになっているのだ。 こんなことというのは、彼氏から元彼氏になる予定の人と、人気の無い廊下にいることを言う。 「ちょっと話があるんだ」と、呼び出した私はそのまま教室で話を聞こうとする彼を連れて、人気が無い廊下までやってきた。 選択教室ばかりがあるこの階は、人気があまりないのだ。 少しばかりホコリっぽい廊下で、私は元彼氏になる予定の彼氏を前に深呼吸をした。 私の様子が普通ではないことが伝わったのか、相手は何だか居心地が悪そうにしている。 「あの! 別れて、ください...」 気合を入れたおかげで出だしはよかったものの、徐々に尻すぼみになった言葉は最後には口の中でもごもごと情けない感じに音になることがなかった。 それでも十分、私が伝えたかったことがわかったらしい彼は、驚いた表情をしている。そりゃそうだろう、ついこの間付き合い始めたばっかりなのだから。 じっとりと手や鼻などに汗をかきながら、私はもう一度考えていた言葉を口にした。 「この間のことで、そういう風に見れないってことがわかっちゃって...友達としてしか見れないみたいなんです......すいません」 頭を勢いよく下げるも、相手から言葉が返ってくることが無かった。私はゆっくりおそるおそる顔を上げてみると、見るからにショックを受けた顔をしている彼を見つけてしまった。 申し訳ないことをした、と胸が罪悪感で痛みを覚えるものの、だからといって発言を撤回するつもりはない。 反応が無いのでどうすればいいのかわからず、そのまま5分ほど(実際はもっと短かったかもしれないけど)停止していると、 ようやく頭の整理がついた様子の彼が言った。 「そっか...」 「うん、本当にごめんなさい」 内心私の気持ちは「本当にごめん」って言うよりも「ホッ」だった。あっさりとこちらの要求をのんでくれた彼に、よかったと安堵の息が漏れそうだった。 本当に最悪の女だと思う。自分でも。 だけど私がホッとすることができたのはその一瞬だけだった。というのも、次に彼が思いも寄らない言葉を口にしたからだ。 「けど、まだわからないよね」 「......え?」 一瞬彼がなんていったのかわからなかった。それほどその言葉は思いもしないものだったのだ。 「今はまだ友達としか思えないかもしれないけど、徐々にそういう風に思えるようになる可能性もあるだろ?」 私は情けないことに「え、え? ...え?」とか言うことができなかった。 「まだ早かったのかも、キスは」 そう言ってさっきまでの表情はきれいさっぱり消し去って、笑顔で彼はそういった。 私はといえば、最低なことに今の言葉を誰かに聞かれていないのか辺りを確認した。 「今日は一緒に帰れる?」 「え、いや、え、と」 「メールして」 そうしてにこっと笑みさえも浮かべて、彼は階段を軽やかな足取りで駆けていった。 私はといえば、まだ混乱状態だった。確かに別れ話をしたと思うのだけど...今のは一体...... 「どういうことだってばよ...?!」 「別れられなかった、ってことだってばよ」 思わず呟いた独り言に低い声で返答があり、私は反射的にびくっと体を強張らせた。 突然の第三者の登場に心臓はバクバク鳴っている。 そして閉まっているはずの教室のドアが、突如ガラガラと音を立てて開いたと思うと森山が立っていた。 ドアを左手で押さえながら、何事も無いような顔をしてこちらを見ている。 あまりにも急な出来事に、私は小さく「うわ!」と声を上げながらその場で軽く飛び上がってしまった。それほど森山がこの場に現れたことに驚いた。 そんな私を見ても森山はいつものようにからかうでもなく、何だか疲れた様子で溜息を一つ零した。 「お前、もっと押せよ」 主語が抜けてしまっている言葉だったが、何のことを言っているのかはすぐにわかった。 何をしていたのか知らないけど、私達が話していたのを薄い壁越しに聞いていたことは明らかだったからだ。 森山のもっともな言葉に、一瞬ぐっと喉が引きつる。 「だ、だって...」 「結果的にいいように丸め込まれてるじゃん」 森山の強い口調は気持ち的に責められているような感覚になる。 それに抗いたい反抗的な気持ちはあるものの、結果的には口にすることができなかった。 「......わかってる」 いじけるように呟いて、自分の上履きの汚れたつま先を見つめた。 何で私が怒られないといけないの。むくむくと胸の中でその感情が膨らんでいくのを感じた。 そうして沈黙でその場が静かになってから、森山が密かに息を吐いた音が聞こえた。 「代わりに言ってやろうか」 さっきまでの強い口調はどこへやら。今度は存外に優しい響きをしていたものだから、私はついつい顔を上げてしまった。 そうして交わった視線の先にある瞳がまるで私を気遣っているようだったので、さっきまで私の胸の中に居座っていた感情がサッと消えた。 都合がよすぎる自分と、簡単すぎる自分に苛立ちを感じる。 けれど実際、私は都合がよくて簡単だ。それを今自分で証明してしまった。 「...いい。自分で言う」 そんな自分が恥ずかしくて、誤魔化すようにもう一度視線を上履きに向けた。 そうしてそのまま少しばかり時間が経ってから、私は落ち着きを取り戻してくるとどうしても弁明したいことを思いついてしまった。 森山は何かを言うでもなく、そこにぼんやりと突っ立っている。 今言っておかないと絶対に後悔する! それが自己満足であったとしても! 私は自分にそう言い聞かせて、ただそわそわしていたのから意を決して口を開いた。 「...あのさ!」 決意が声量に出る結果になり、私の声はとても大きかった。人が居ない廊下に私の声が反響した。 森山は驚いたようにこちらを見ている。ちらっとそれを確認してから、私は視線を上空に彷徨わせながら口を開いた。 「さっきの、あれは、私は了承してなかったんだけど! 不意打ちだったから、逃げれなかったんだよ!」 私が何を言っているのかわからなかったらしい森山は「アレ?」とか言っていたが構わずに言い切った。 森山が心当たりを探すように少しばかり考えるような素振りを見せてから「あ、」と、思い至ったように呟いたのを合図に、 私はその場からダッシュで走り去った。恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になっているのを感じる。 私的には今の言葉はとても勇気が居るものだったのだ。森山に言い訳をするということは、そういう風に思ってほしくないということだからだ。 だから、私の気持ちが透けてしまっているかもしれないと思った。 「あ、おい!」と、森山が私を引き止めるように声を上げていたけど、私は止まることが出来なかった。 文字通り転がるように階段を走り降りて教室に戻った。 森山は私の気持ちに気づいたかもしれない。いや、きっと勘がいい森山は気づいた! どきどきする鼓動を抱えて次の授業を受けるために自分の席に座り、教室の入り口に神経を全て注いでいると森山が帰ってきた。 だけどその様子は私が想像しているようものはなにもなく、いつも通りの表情で森山は自分の席に座った。 ―→ |