とんでもない頭の痛みで目が覚めた。 胸のあたりの不快感に眉を寄せつつ、重い体を起き上がらせてみればやはりとんでもなく頭が痛い。同時に喉の渇きを覚え、ベッドから這い出ようとしたところで何か違和感を覚えた。動物的な感覚ともいうべきか。自分でもどう説明すればいいのかわからないけれど、とにかく何かがおかしいと思ったのだ。痛む頭を片手で抑えながら今まで寝ていたベッドを見てみれば、こんもりと布団が盛り上がっており、明らかに誰かが居た。 瞬間体が凍り付いたように固まり、血の気がサァーっと引いていく。意識が遠のいていきそうな感覚に、そのまま倒れ込みたかったがそうもいかない。 知りたくない現実にこれから向き合わなくてはいけない予感と、昨夜の自分の失態を思い、胸のあたりの不快感が増す。 向き合いたくない現実だが、それでも気になってしまって首をそうっと伸ばして真っ白な布団が盛り上がっている先――顔があるらしいところを見てみる。 布団を肩まで被り、向こうを向いているので見えるのは白い頭と褐色の肌だけだった。 白い頭...?もう一度覗き込んでみるとやっぱり白くさらりとした髪が見える。 もしかしてとんでもない年寄りとかじゃないよね...。 そんなことを考えて余計に具合が悪くなってくる。そして遅ればせながらハッとして自分の恰好を確認してみればブラとパンツ...下着は着ていた。 そのことにホッとするものの、なぜ下着だけを身に着けている状態になってしまっているのかを考え、頭を振って中断した。嫌な方向にしか想像することができない。なら想像するのはやめよう。 とりあえず何か飲みたい。そっと立ち上がってみれば、見慣れた部屋であることに気づいた。 ここHLに来てからは家代わりとしているホテルの一室だ。白い壁紙に、濃い茶色の額縁に入った花の絵が飾ってある以外にはあまり特徴もない。HLの風景を一望できる大きな窓の前にベッドが置いてあり、隣には電気スタンドが乗った小さなテーブル。ベッドから寝ころびながら見れるように、と配置したのであろうテレビ。布張りの背の低い一人掛けのアームチェアが向かい合って置いてあり、真ん中にある小さなローテーブルには、スマホが乗っている。床にはトランクが開けっ放しで放置されている。 見慣れた光景を眺めながら、そっとベッドから立ち上がり考える。 ......ということは、私が彼...(多分彼。もしかしたら彼女かもしれないけど...)をここに連れ込んだということだろうか。胸のあたりの不快感がますます主張してきたのを手で擦ってやり過ごそうとするものの気休めにしかならない。 備え付けられている小さな冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出した。 蓋をひねってボトルに口をつければ、よく冷えた水が喉を通っていく。ボトルの半分ほどを飲んだ時には不快感が少しマシになったように思う。こぼれてしまった水を腕で拭いながら一息つく。 「オウ、俺にもそれくれ」 「んー」 冷蔵庫を開いて中からもう一本水を取り出し、声が聞こえた後ろを振り返ればベッドに見知らぬ男が座っていた。 「ぎゃあッ!!」 「いや、遅ぇだろ。どんだけ鈍いんだよ」 驚きのあまり飛び出た声に呆れたようにコメントされたが全然頭に入ってこなかった。ただただ見知らぬ男がベッドの上で胡坐をかいているという光景に目玉が固定されてしまう。どうやらおじいさんではなかったことについては安堵するが、昨日自分は本当にやらかしてしまったことを確信してしまうことになった。 何故なら青年は裸だったからだ。褐色の肌に筋肉がついた体を惜しげもなく晒している。 「ふっ、服を着てください...! てか、その...誰ですか...?」 「お前......さっきまで一緒に寝てたってのに照れてんのか?」 「!!」 照れているかどうかということよりもさっきまで一緒に寝ていたという言葉のほうが胸にきた。と言っても、嫌な意味でだ。氷がたっぷり浮かんだ水の中に心臓を浸されたみたいな心地に息が詰まった。 それをどう勘違いしたの男は面白そうにニヤリと唇を釣り上げている。 「俺のマグナムを拝みたいってんなら見せてやってもいいけどなァ?」 「見たいわけないじゃないですか!!!!」 にやにや笑っている男に怒鳴りつけるが全然堪えた様子はなく、顔には相変わらずいやらしい笑いが張り付いている。 それに憤りを感じながらとりあえず手に持ったままだった水を男に投げてから旅行鞄から服を取り出して身に着けた。昨日着ていたはずの服が見当たらなかったことに一抹の嫌な予感を覚える。 「お前がゲロッたんだろうが」 「....ゲロ」 「まさかとは思ってたがやっぱり覚えてねぇのかよ!あんだけ人様に迷惑かけといて!ゲロかけやがったんだよ、この俺様に向かってよぉ!」 男――ザップというらしい――は、昨日酒を飲もうとバーに行った際、べろべろに酔っ払った女が虚空に向かって何事か話している場面に出くわしたらしい。それが私だったというのだ。 誰も座ってない隣の席に向かって何やら話している私を持て余していた顔馴染みの店員に声をかけられ、暇つぶしに相手をしていたらしい。 そこに関しては私もうっすらと記憶がある。このHLで夜間にうろつくのは危険とガイドブックにもネット情報にも載っていたので控えていたのだが、一人で時間を潰すには夜は長かった。二日は大人しくホテルの部屋で過ごしたものの、三日目となってくると何故かHLでもやっていけるという謎の自信が沸いてしまったのだ。 二日の間にこれと言ったトラブルに巻き込まれることもなく、観光できたことがこの謎の自信を得る根拠となってしまった。根拠としては非常に薄すぎるものだけどそんなことは頭からすっ飛ばし、私は夜のHLへと繰り出した。そうして見かけた比較的治安がよさそうな場所にあったバーへと乗り込んだ。店の中はいろんな人種に、異界出身の者たちであふれていた。気後れしそうになる自分を勇気づけるために色がきれいなカクテルを一気に煽ってからの記憶がない。 ザップさん曰く、べろんべろんになっていた私は格好のカモと見なされ、下手をすれば目覚めた時には臓器がなかったり、見知らぬ場所に閉じ込められていたり、売られていたかもしれない。それを助けてくれたということだった。 その話にゾッとして青くなる私に、ザップさんは尚も続けた。 「お前、それをこのザップ様が助けてやったんだよ! ってのによぉ、恩知らずのオメーは何しやがったと思う?! ゲロだぞゲロ!!!!」 口から鼻からゲロを出して泣きわめくお前を!この!ザップ様が!! こういわれてしまっては散々迷惑をかけてしまったらしい私は何も言い返すことができない。ただただ小さくなって「はい...すいませんでした」という他ない。 こちらの態度に調子づいたらしいザップさんはベッドの上で偉そうに腕を組み、地べたで正座する私に向かって語気を強める。 「テメェの服だけにかけりゃいいもんを俺の服までゲロりやがって!!」 「本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません...」 「しょうがねぇから水洗いしてホテルに洗濯頼んだんだよな。だから着替えたくても着替えられねぇんだよなーあーさむぅ」 「確認してきます!」 わざとらしく己の体を抱くポーズをして寒いという様子に些か苛立ちが込み上げたが、文句を言えるような立場でもないのでぐっと堪える。 どうやらパンツは無事だったようで穿いているのが見えた。そのことに安堵しながらも急いで部屋を出た。 上下真っ白な服と私が昨日着ていた服も一緒に受け取り、部屋へと急いで戻った。 仕事が早くて助かったと何度もお礼を言えば、苦笑が返ってきたが私としては本当に助かったと思ったのでお礼は全然伝えきれなかった気分だ。 あの様子だとどんな文句を言われるかわかったもんじゃない。ザップさんへの感謝の気持ちは確かにあるのだがあまりにも威張った態度をとるので、最初に感じていたはずの感謝の気持ちは少し小さくなってしまっていた。 「おう、やっと来たか」 風邪ひくかと思ったぜ。と厭味ったらしく付け加えられた言葉にイラっと来ながらも、服を渡した。 一緒になってベッドに座るというのもどうかと思い、アームチェアへと腰を下ろす。ザップさんはベッドの上に胡坐をかいて座っている。着替え終わってから一息つくようにそこに座ってスマホを眺めている。その様子をただ眺めている、というのもどうかと思い、放置してあるトランクを片付けることにした。開きっぱなしで服の類は洗濯を終えたものを乗せていただけなので、下着も丸見えという状態だ。すでに見られているだろうことを考えれば慌てて片付けるのも滑稽だ。そうは思いながらも進んで見てほしいものではないので適当に詰め込んでジッパーを閉めようとしたのだが、どういうわけかジッパーは一向に動いてくれない。来た時にはきちんと閉まっていたはずで何かが増えたことはないはずだろうに。 「」 「...はい?」 トランクの上に片足を乗り上げてジッパーを動かすことに躍起になっていたので、名前を呼ばれたことに気づくのに一拍遅れた。 私がなにをしているのか認めたザップさんが何か言いたげな表情をしたものの、結局何も言わずに手の中のスマホへと一瞬視線を戻してこちらを見た。 「お前の番号教えろ」 「えーー.......」 思わず口を出た不満の声はすぐさま拾い上げられてしまった。鋭い眼光が飛んできて、しまったと思った時にはもう遅い。 「あぁ?! まーだわかってねぇのか?! このザップ様がお前を助けなけりゃ一体どうなってたかをっ! テメーには感謝の気持ちってのが足りねぇんじゃねぇのか!日本人は礼を重んじるとか言うのはありゃ迷信か?!」 ちょっとした不満を一音口にしただけで百倍になって返って来るので、抵抗する気力は早々に削がれてしまった。 二日酔いで頭が痛むこともあり、楽な道へと進んでしまう。この楽な道は”今は”と枕詞がつくことになるのが薄々わかってはいるのだけど、勝てそうにないという予感も相まって私は自分の番号を読み上げることになった。 それをスマホへと登録したらしいザップさんが「よし」と呟くのを疲れきった顔で見つめる。 HL滞在4日目のこと。 ―→ |