「夏休みって短すぎない?!」
「あっという間だよね」

すでに毎年恒例となっているやり取りをしながら私たちは始業式が行われる体育館へと向かった。
全校生徒を体育館に集める所為で、建物内の温度は上昇する。それでなくても熱いというのに...。 すでに帰りたいと考えながら体育館へと向かう人の波に流された。
長い校長先生の話を終えてホームルームも終えると、明日からまた日常が帰ってくるのだと改めて思った。


あのときのことは夢なんじゃないかと思った。
だけど目が覚めて自分の足が土で汚れていたことで、私はあれが夢ではなかったということを確信した。
脳内で兵助くんに会ったわけではなく、現実に兵助くんと会うことが出来たんだと思うと嬉しくてたまらなかった。 シーツを汚したことについて怒られた上に何で土の汚れがついているのかと問いただされてもへらへらしていられるほどに嬉しかった。 だけどすぐにあれが現実なら鏡が割れてしまったということも思い出した。
パジャマのお尻ポケットに入れていた鏡を取り出して、すでに鏡としての役割を果たすことは出来ないのを確認した。
だから、兵助くんと会えたという事実と共に、兵助くんにはもう会うことができないという事実に胸が痛んだ。

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「お風呂は?」
「んー、いいや後で」

お風呂に入るよりも今は見ているバラエティ番組を優先したくてそう言った。
別に一番風呂にどうしても入りたい、という願望は私には無いので誰かに先に入ってもらっても構わないのだ。 兵助くんと会える時間を少しでも長くしたくて一番風呂に入っていたけど、今ではそんなに早くお風呂に入る必要がなくなってしまった。 すでに習慣となって私に染み付いていたことだけれど、その習慣も必要がなくなれば新しい習慣で上書きをすればいい。
テレビを見ながらそんなことを考えて、自分で傷ついた。

お風呂から上がって髪を乾かして寝る準備をしてから部屋に戻ると、すでに時計は12時を指し示していた。
明日の学校の用意をしてから手持ち無沙汰になった私は、机の引き出しにしまってあった鏡を持ち出した。 夏休みの間に生活リズムが少し狂ってしまっていてまだ眠たいとは感じなかった。
あの日、鏡が割れてしまったことを知りながらも一応いつもの時間に鏡に触れてみた。だけど鏡はいつものように鏡面が波打つことも、 光ることも無かった。鏡面が無いのだから当然だ。
往生際悪く期待していた気持ちが砕かれてしまい、私は鏡を隠すようにして机の中にしまった。
以来、引き出しの中から出すことがなかった鏡を取り出した。
鏡はあの日最後に見たときと何も変わっていなかった。当然だけど鏡面はないままだ。だけど他はおばあさんから鏡を譲って もらったときから変わっていない。つやつやと光っている黒い中に赤い花がパッと咲いている。
何も変わっていないように見えるのに、鏡面だけがなくなっていた。
もう兵助くんと会うためのツールではなくなってしまったそれを私は今一度じっくりと眺めてみた。 そうして、持ち手の部分に少し違和感を感じて目を凝らす。
そうすると注意深くじっくりと眺めないと気がつかないほどの小さな傷を見つけた。何度も手にして眺めていたはずなのに、こんな傷があったなんて初めて知った。 親指でその部分をなぞってみると、唐突にあの夜、兵助くんが鏡に触れながら突然声を上げてこの部分に触れていたのを思い出した。 あの時は特に気には止めなかったけど、今となっては兵助くんが何故驚いていたのか気になった。
だけどそれを尋ねたくても本人に会うことができないのだからしょうがない。
もう本当に会うことができないんだと思うと、じわりと視界が曇った。出来るだけ考えないようにしていたことを改めてつき付けられたような気がして胸が痛んだ。 誰も見ていないので何の気兼ねもなく私は手で目を擦った。そうして鼻を啜る。
あの時笑われた泣き顔を笑う人はいないのだ。
そんなことを考えていると自然と頭は”あの時”のことを思い返していた。何度も繰り返している光景をもう一度瞼の裏に蘇らせる。 忘れないようにと思っていたのに、日が経つにつれて映像は鮮やかさを失っていた。
そのことが辛くて目を開いた。
放っておけば頭が勝手にそのことについて考え始めるので、私は手の中にある鏡を見つめた。 そうすると、鏡面があったはずで今は木目がむき出しとなっているところに違和感を覚えた。
手で触れてみると不規則に縦に入っている木目にひっかかりを覚える。所々ひっかかるそれは傷だとすぐにわかった。 一体いつの間に、そんなことを思いながら手元を覗き込んでみたものの、ちょうど照明の光を背負っている状態では暗くて よく見えない。なので、立ち上がって天井に設置されてある照明の下に鏡を持ってきた。
光に照らされて目に映ったそれに、引っ込んだはずの涙がもう一度溢れてきた。

”想ってる“

何百年という時を鏡面に守られてきたその部分は日に焼けることもなく、きっと彫った当初と変わらない色合いをしている。
これを彫ったときの兵助くんは、私と同じ気持ちを共有していた。

「私もだよ...」
兵助くん、私も想ってる。







(20150125)  (あとがき